命がやってきた
久しぶり、note。
素直に言います。
忘れていたわけではなく、書くのに飽きていました。
人様の記事を拝見することは多々ありましたが、なんとなくアウトプットすることがなく。
以前書いた記事も2年前。もうそんなに時間が進んでしまったのか。ログインした時思ったことは「私、立派な浦島太郎じゃん」でした。
以前の記事以降、いろんなことがありすぎたってのもありまして。また少しずつ記事にできたらいいなと思ってます。
まずはタイトルにある通り、我が家に命がやってきてくれて、今はもう生後9ヶ月になります。
需要があるかわかりませんが、私自身妊娠中いろんな方の出産レポを読ませていただいていたので、恩送りの意味で書かせてもらいます。
ハードな表現、現代人らしすぎる表現も多く含まれていますので『こいつ言語の話よくするくせに、この記事の表現とか色々とやべーな』と思われましても、ぐっと堪えてお読みください。
陣痛からの自然分娩です。医療用語などに誤りがあったらあしからず。
どなたかの参考になれば幸いです。
当初の予定日は12月27日でした。しかしまあ前駆陣痛のようなものは12月上旬にあったが、それ以降音沙汰なし。超過超過で結局年が明けてしまいました。
このころ「おーい、そろそろ退去ですよー」と何度も声掛けしてたけど、なんの返事もなく。
経産婦さんはわかると思いますが、『内診グリグリ』とかしてくれなかったんです。「当院は赤ちゃんのタイミングを待ちます。超過したら促進剤やバルーンなどで措置をします」という感じで、結構自然派だったんです。なので尚更ヤキモキ。
年が明け、元旦。
超過でモヤモヤしてた私は「えーい!クリスマスもいつ産まれてきてもいいようにケーキ頼まないでおこう〜なんて言って、何もしてないから外出しちゃえ!初詣行くぞ夫!」みたいな感じでムシャクシャを外出することで発散することにしました。
初詣に行くためにいった駅のトイレで、ゼリー状のおりものが出てたのを確認。粘液栓なるものか?とそっと拭いてちょっぴりソワソワした。
翌日1月2日、 水っぽいおりものが大量に出たため、14時頃年末年始で時間外だが産院で受診。助産師さんに2回くらい内診されたので、結構血が出た(これが内診グリグリっぽい感じだったかもです)。そしてこの時、子宮口1センチも開いてないと言われ絶望。
高位破水ではなく、おりものだろうと言われ帰宅。破水とかの前兆じゃないのかよ!と自分ツッコミ。
むしゃくしゃしたまま張り切ってトルティーヤパーティした。もちろんノンアルコールビール付き。調子に乗って夜更かししていまい、やっと就寝しようとした深夜3時頃、1分間くらいの生理痛がきた。
日付が変わって1月3日、 夫の冬季休暇最終日
最初は15分間隔くらいだったが、4回くらいその波が来たあと5〜7分間隔へ。強めの前駆陣痛くらいの痛さだったのでとりあえず5時まで1人で様子見。この頃そこそこ痛かったがまた何もなかったら悲しいので頑張って我慢。5時になったら夫を起こす。痛みもさらにアップしてきたので夫の腕を握りつぶしたりした。
7時半ころ間隔が5分切った時もあったので、産院へ電話。間隔を伝えると今すぐ来て!と言われたので向かう。子宮口柔らかくなってるけどまだ1センチかなぁと言われ、また絶望。
でも陣痛は来ているようなので自宅でリラックスしながら陣痛間隔狭めて行こうと言われ帰宅。寝てなかったから間隔の合間に寝る。痛いけど眠れるくらいの余裕があったし、間隔がバラバラになり出す。また前駆陣痛だったのか?となり、本陣痛が遠のいた感覚があった。
ただ10分前後の間隔で陣痛(重い生理痛)があったので、諦めずに記録。
また5分切り出したので、産院に電話。「お風呂入れたら入ってね。陣痛進むし、入院〜出産したら入れないから!」と言われて入浴。なのに、また陣痛の間隔遠のく。
間隔にバラ付きがまた出てきたが諦めず記録!
1月4日。
日付変わってすぐころ、夜中に痛みがマシマシに。やばい、無理!となって産院へ電話。「間隔バラバラなんだよね?うーん。でも元々1月4日朝から入院予定だったし、入院セット持ってこっち来れる?」と言われて夫と向かう(この時4時くらい)
薄暗い院内。分娩室方面からすごい声が聞こえる。「赤ちゃんの声かな?」と夫と話してたら助産師さんから「あ。あれはお母さんの声です。出産頑張ってる声ですよ〜」と。あのすごい声が!?と一気に心細くなる。
夫は4日から仕事始めのため、帰宅してもらうがこの時心細さがMAXになっていたので泣いてしまう。たくさん抱擁してもらった。
そこから9時くらいまで1人で陣痛と戦う。そのうち3〜4分間隔になり、途中から記録やめる。2日の夜からまともに眠れてなかったため、眠くて眠くて仕方なかった。因果応報…。
9時頃なって助産師さんが内診しにきてくれる。「1〜2センチ!すごくやわらかいから、いい感じですよ」とちょっと褒められてワクワクする。バルーンはしなくてよい、促進剤からとのこと。促進剤のゴーサイン出て、産院が開いた瞬間に実の母が入室(付き添いは1名のみ許されていました)。促進剤が怖すぎて血管収縮、そのせいか1時間くらい血管へ投与できておらず、血管外に漏れていた…助産師さんは平謝り。さし直してもらってようやく効いてくる。
NSTモニターの張りの数値見ながら「きたきたきた!」と母の手を握り潰す。陣痛中はとにかく短く息を吸い、長く吐くを繰り返す。キツすぎる時はナースコールで助産師さんに来てもらう。お尻さすられながら休み時間(間隔)をうまく利用するといいと言われ、指導を受けた。この時もヒーヒー弱音を言いまくり。今思うと情けない。
母から「大丈夫大丈夫、お母さんになれるよ!赤ちゃんも頑張ってるからね!」
助産師さん「上手よ!息もうまくできてる!すごいよ!いい陣痛きてる!」
褒めのスペシャリスト2名に励まされながら13時頃まで頑張る。
途中助産師さんに内診される。「3センチ強かな!」と言われ、少しだけ希望の光が見えた気がした。
が、ここでまさかの赤ちゃんの心拍が下がる(150→80)。姿勢変えよう!と言われるが、私が痛すぎて動けず。そうこうしてたら助産師さんが目の色変えて「いや、すぐに分娩室いこう!!!」といきなりの意向転換。え?!え?!とあれよあれよと車椅子に乗せられ、分娩室に移動。この時も私はギャーギャー騒ぐ。「痛い!乗れない!やだ!!!」と。でも容赦なく無理矢理乗せられる。
よし、立ち会い希望の旦那さんを呼びましょう!といわれ、母から夫へ電話してもらう。今から向かうが、30分〜1時間かかると言ってたようだ。
車椅子からベットへの移動も痛くて叫ぶ。助産師さんが「あのね、すっごいいっきに進んでるから分娩室に移動したよ!赤ちゃんは大丈夫なんだけど、ちょっと苦しいみたいだから酸素つけるね!呼吸頑張ろう!」ドラマとかで見るような酸素マスクをつけてもらい、ちょっと呼吸が楽になる。酸欠って本人にはあまりわからないんだなってその時ふと思った。
立ち会いは1名までなので、夫が到着するまでは実母。手を握り締めまくる。
助産師さんから「今5センチくらいだよ!」と。まだ5センチ?!あと半分もある…と少し絶望。直後に確実に進んでるよ〜と励まされる。
子宮口10センチになるまでは吐く呼吸を意識して!と言われ、痛くても痛くても息だけに集中。華奢な母の手が潰れてそうだった。
とその時、夫まさかの最速で現れる。母とバトンタッチ。
息も絶え絶えな私は「夫〜ありがとう〜…もうつらいよ〜…アーー!キターー!!!いたたたた!死ぬ!!もう嫌!」を繰り返してたらしい。本人は覚えていない。
夫の手も握りつぶしながら耐える。「すごいよ!大丈夫だよ!頑張れ!」と言われ内心「大丈夫じゃねー!!!!そしてすでに頑張っとるわ!!!ボケ!!!」とキレそうになるが、黙って夫の素直な気持ちだよねと思い、受け止める。
分娩室に移動して、だいたい1時間(体感)もしないうちに8センチ!と言われた。この時くらいに、となりの分娩室から先輩赤ちゃんの産声が。「ああっ、赤ちゃんの声だ!うわー、かわいい!私も早く産声聞きたいよー!」と興奮する。助産師さんから「お、その調子!いいね!聞けるよ産声!」と励ましてくれる。
9センチ〜になると、いきむ練習をさせられる。分娩台がトランスフォーム。でも骨盤が痛すぎてうまく乗れない。片足はトランスフォームしたとこに、もう片足は助産師さんの太ももに乗せさせてもらう。「ここしか無理です!ごめんなさい!」って言ったら「いいよ!乗せて!踏んで!蹴って!」と。
謎のレバーを持たされ、排便の時の要領で!と。今までいきめなかったら、感覚が掴めず苦戦。そして途中、恥ずかしながらぽろっと便が出たと思う。
助産師さんから「あ、髪の毛そこそこ生えてるよ!頭触れるよ!触る?」と言われたので、せっかくなら!と指で触れる。ごめんなさい助産師さん、いきむことで必死すぎて髪の毛はよくわからなかった。
痛みと崩壊しかけの精神状態で気を失いそうになるけど、目を開ける意識をする。でも結局瞑ってたことのほうが多かったかも。ぎゅっと瞑らないように意識。
助産師さんに「もうほぼ全開だよ!次の陣痛きた時、いきむよ!」と言われ、排便の要領を試す「痛いー!いやー!!!産みたいーーーー!!!!」と大声。声出していいよ!と言われ、大声で叫び続ける。本来は声出したらいけないはず、おすすめはしません。笑
途中やっと破水。(タイミングはあやふや)ものすごい量の温かい水が「ぼんっ!」と言って溢れ出した。これがホンモノの破水かーとやっと納得。
いきみ4回目〜くらいになるともう嫌気がさしてきたけど、「いいよー上手だよー」とほだされ、なんとか乗り越えていく。
6回目〜くらいに「もっといきんで!」と言われ「これ以上は無理ー!でも会いたい赤ちゃんー!!」と火事場の馬鹿力でいきむ。
ぶるんっ!と出た感覚。赤ちゃんが産まれてきてくれた。
すぐ「ギャーギャー」と産声をあげてくれた。産声で元気なのがわかり、ホッとした。やり遂げた感がすごくて、涙なんか全然出ない。
臍の緒は誰が切る?と突然訊かれ、夫にどうする?ときいたら、僕が切ります!と。
そして軽く体を拭かれて、カンガルーケア。意外と大きいな!とびっくり!そして温かい!
体をきれいに拭いたり、体重体長を測定してもらい、おくるみしてもらって夫がだっこ。その間私は胎盤出されるため、お腹押される。そしてドクターにお股を縫われる(「土壇場で会陰切開したんだよ」と伝えられる)。結構痛いところまで切ったとのことで縫うために全身麻酔?(寝てしまう)を打たれ、一瞬で気絶。
起こされてすぐ目が覚めたら、夫がきれいにされた赤ちゃんをだっこして現れた。私の寝てる分娩台に置いてもらって改めて対面。
泣きもせず、じーっと私の顔(いや、私の後ろの照明か?)を凝視していた。
健診時のエコーと同じようにお口パクパクさせていて、「あの時のパクパクだ…」と感動。
分娩室に隣接してるトイレがあり、おしっこしてくださいと言われたけど、痛すぎて動けず。担いで連れて行ってもらえてなんとか便座に座れたけど、排尿できず。出産直後は尿を出さないと子宮が戻りにくいらしく、もう少し後ででもいいのでその内出してねと言われる。が、何故か立てずトイレから出れなくなり、助産師さんにしがみついて出ようとするけどこの時気を失う。おそらく麻酔がまわっていて抜けてなかったようだ。なんとか起こされて、車椅子で入院部屋へ。
お腹空きすぎていたところ、ちょうどよく運ばれてきたおいしいご飯を食べた。
私の両親も産まれるまで近くで待機してくれており、すぐに来てくれたので赤ちゃんと会えた。両親は少し面会時間短く設定されてたので会って30分くらいで帰宅。
夫は面会時間ぎりぎりまでいてくれて、「本当に頑張ってくれてありがとう、パパにしてくれてありがとう」と何度も言ってくれた。赤ちゃんをずーっと見つめて、ずーっと話しかけていた。
私も夫に「早く来てくれてありがとう、ずっと付き添ってくれてありがとう」と伝えた。
産んだ当日は新生児室に預けて、母体を休めた。カロリーメイトとかポカリとか、好きなお菓子やジュースを摂取した。
といっても、産後ハイがすごくて目がギンギラギンだったので総じて眠れない入院生活。せっかくの全室個室だったのになと思った。
が、眠れなかったのは正直大変だったけれど、私にとって人生で1番幸せな入院生活だったのは間違いない。
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