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産褥期に夫婦関係を最高の状態にするために夫婦で話して決めたこと-3

主たる対象:プレママ・プレパパ、出産直後〜産褥期の夫婦の方々。
内容まとめ:産褥期はとにかく妻が睡眠を確保し、体の回復に専念できるよう、夫、両親、友人、ヘルパーなど、ありとあらゆる手段を講じることが肝要。

一昨日からの連載の最終話です。
一話目
https://note.mu/hack_and/n/ne6996ece0516
二話目
https://note.mu/hack_and/n/nba7a01dbb379

我が家がした決断に至るためのポイントを再掲します。

・妻は産後実家に戻らず、家で回復に専念する。(里帰り出産しない)
・私が週に1日有休を取得する
・市の援助で格安で利用できるシッターさんを呼んで、家事・育児を手放せる環境を作る(回復に専念する)

ポイントは以下

1:準備:産褥期はとにかく妻は動かなくても、家事・育児がなるべく回るよう準備対策する(出産ダメージが少なくて、体調が良いならそれでOKだし、準備するに越したことはない)という考え。
2:支援:産後に義母が支援してくださるという、大変嬉しい申し出があった。さらに住んでいる市の制度で産後にシッターを超格安で利用することができた。
3:夫の育児参画:産後、育児になるべく参加して、妻と同じレベルで育児に関わることで、「育児」を妻だけのものにせず、負担を分散させたい。という僕の強い意思。
4:家事・育児の決裁権:家事・育児を妻のものにしない。妻の管理にしない。妻の正解に自分が合わせる状態にしない。

今日は4に関して、我が家でどうやっているか、やろうとしているかを書きたいと思います。

いや、こう書くと「上手くいっている」ように思われてしまうかもしれませんが、これは我が家では今も試行錯誤中で、自分がぴりぴりしている時などはここが発端になり、ケンカが始まったりしています。

産前にいろんな書籍を読んだ中で、とても印象的だった内容の一つが、「夫を教育する」「夫を育てる」「夫に教える」といった、表現や視点です。
この表現は、前提として「妻が正しいことを知っていて、それを知らない夫に教える・育てる・教育する」という姿勢なんだと感じました。

この話は、少し込み入るので、前提条件をつけるとすると、男性を2つの軸で4象限に分けて、やる気がある自立育パパ群と、要場数育パパ群、やればできるパパ群を対象とした議論に集中したいと思います。

というのも、「男は稼ぐのが仕事群」も少なからずいるのは事実で、そういう方に今回のポイントは関係が薄く、アプローチする順番が違うと感じるからです。
ということで、以下議論は、前提として、「育児・家事をやろうとしている。「または、「できる」夫である。場合に関する内容です。

さて、前置きはいいとして、「4:家事・育児の決裁権:家事・育児を妻のものにしない。妻の管理にしない。妻の正解に自分が合わせる状態にしない。」です。

我が家もトライアンドエラー中なのですが、

「家庭での家事・育児のやり方や出来栄えの正解を、経験場数が多い女性側が決めてしまい、それをさせようとする」とどうしても、男性側は「正解に合わせる」形になってしまいます。

仕事に置き換えるとわかりやすいと思います。全ての決裁権をマネジメントが持ち、自分は持てていない。マネジメントはアウトプットだけではなく、そのプロセスまで、事細かに指示をしてくる。
例えば、「お皿の洗い方はこう。水は出しっぱなしにしない」「トイレットペーパーは予備が*個になったら補充する」「哺乳瓶の洗い方はこう」「洗濯は下着と肌着、アウターと靴下で分ける」「掃除機はこうやってかける」「沐浴の仕方はこう」などなど、、、
こんなの上から言われて、それが「正解」として振舞われたりしたら、、、さらにそれに異論を唱えると、怒られる。という経験を重ねたら、、、

誰しもが「もう、(面倒臭いから)言われたことを、言われたようにやろう」と適応していくと想定できます。

そういう場合マネジメントが言うのは「下から提案が上がってこない」「主体的に動かない」「指示待ちの部下ばかりだ」という言葉です。

家庭で言えば、「夫は指示したことしかやらない」「自分で考えればわかるのに、なんで考えようとしないの?」となるわけです。

家事・育児を頑張っている女性を非難したいわけではありません。

しかし、ホルモンの関係や産褥期の育児参画の時間などで、どうしても時間的ディスアドバンテージがある男性に、女性が全てのプロセスとアウトプットを正解として提供する。というアプローチは、むしろ男性を無思考な作業者にしてしまうのではないかと心配しています。

良い、悪いはそれぞれのご家庭の価値基準でご判断をされるとよろしいかと思いますが、ぜひ、どのような状態が「家庭として最善か」ということを一度考えてみると良いかもしれません。

そもそも、夫婦それぞれ育った家庭の当たり前があり、さらに一人暮らしなどをしていれば、家事の経験があり、その分の当たり前があるかと思います。大雑把に掃除する人、潔癖な人、洗濯はまとめてやる人、食事には1汁3菜がマストの人。
どんな志向も良い・悪いはなく、方向性と深度が、他の人と違う。というのみなのだと思います。つまり、それをご自身がご自身の中でやっている分には、多様であってよいと思うのです。

結婚して一緒に暮らすということは、そのやり方に関して、どちらかが受容・妥協・諦めをするか、二人で中庸を探すかのどちらかなのだと思います。(中庸は真ん中という意味ではなく、ちょうど良い間。という意味で使っています。)
受け入れられる部分は大いに受け入れればいいと思っています。もしかしたらLife Hack的なものもあるかもしれません。
ただ、二人共がお互いの価値観が相入れない場合は、議論をしても平行線になると思います。なぜなら、お互いの中での合理性がすでにそこには存在しているからです。

ここは我が家も遠距離結婚を解消して同棲してまだ半年くらいなので、家事もすり合わせながら、時にケンカになりながら、進めている部分です。

ちなみに、受け入れるという文脈で、私が妻のやり方を受け入れてよかった!と思うのは「毎朝洗面台では洗顔後のタオルは新しいハンドタオルを使う」「洗面台の鏡は毎朝使った後に(そのハンドタオルで)拭く」「シンクの排水溝の生ゴミ受けは毎日しっかりと洗って綺麗にする」「お風呂から上がる前に水シャワーで全体の汚れを流す」「常備菜を作って小鉢で出す」「テレビをつけず、音楽を流す」など、あげはじめたら枚挙に遑がありません。受け入れることが悪いことではないと、身をもって感じます。

必ず中庸が良いというわけではなく、自分が納得できるのであれば、受け入れること、妥協すること、諦めることも全然良いと思うのです。

それでも、重ね重ねになりますが、夫婦は同時に親になるのであれば、育児や家事の仕方を「母親が決めて、それに従わせる」という姿勢は、逆説的に「父親は常に母親にやり方を確認し、指示を待つ」状況を生み出すリスクを孕んでいます。

我が家は、ここは二人で対話しながらですが、二人ともが親として、それぞれの「当たり前」や「自分の慣れた、自分なりに合理的・良いと感じるやり方」を綜合して、二人が作る新しいやり方を作っていこうと話しています。

そうすることで、私は自分で思考し、自分なりの工夫をし、自分なりの改善を繰り返すことができます。その暁に、妻に負担をかけない育児も家事も勝手に妻と同等レベルで自主的に実施する夫になるのだろうと思っています。

今日の内容は、まだまだうちも議論して、新しく差が見つかって、ぶつかって、という部分なので、焦らず頑張っていきたいと思います。

みなさんのご家庭でのLife Hackがあれば、ぜひ教えてください。

今日も最後までご笑覧くださりありがとうございました。

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