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湯を沸かすほどの熱い愛にみる、母親という名の偶像崇拝

誰かを、自分の悪気無い言動で傷つけたり、怒らせてしまった経験がある人はどれくらいいるだろうか?

傷つけて、怒らせてしまった人が大事な人であるほど、どのように謝罪して、どのように寄り添えば、怒りは鎮まるのか。

自分はどのように振舞えば良いのか。

どうしたら、許してもらえるのか。

怒っている相手に対して、自分が故意は無いにしろ過失があるのならば、全面的に非を認めて謝るしか無い、と私は思っている。

最近、職場で私の無神経な言動のせいで先輩をひどく怒らせてしまった。

カッとなった先輩は私に対して「それは無いよ。ありえない。」と言い、私もその場で謝ったのだが、先輩の怒りは鎮まらず。

次の日に声をかけると「なんでこっちがアンタに気を遣わないといけないの」「アンタは何もわかってない」「ふざけんなよ」とかなり強い口調でキレられた。

私は頭が真っ白になりフリーズしてしまい、なす術がなくなったのだった。


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邦画がもともと好きな私にとってうれしい事のひとつが、ネットで映画が気軽に見れるようになったことである。

最近は家事をしながらスマホで動画を見るのがひそかな楽しみのひとつ。

今日は何を見ようかな、と動画アプリを見ていた時に目に留まった「湯を沸かすほどの熱い愛」を、前知識ほぼゼロの状態で見た。

日本アカデミー賞か何かで宮沢りえが絶賛されていたか、何か賞をとった記憶があったため、家族の感動ものかな?と思って見始めた。

あらすじ、公式サイトはこちら。

「熱い愛」は賛否両論?

ノスタルジックで香りまで楽しめるような映像が大好きなのだけれど、この映画はまさしくそれだと思う。

生活と、匂い、息遣いと空気感、を、すべて感じる。

個人的にはかなり感動して、涙がひっきりなしに出てきて、宮沢りえの美しさも相まって最高だな!という感想だったのだが、レビューを見ると見事に賛否両論だった。

否、の方の意見が気になり見ていると、まぁわかる、なるほど。そういう見方をすると確かに最悪だ。この描写も、私も疑問が残っていたの、わかる。という感じで概ね理解と共感までできた。しかし再度映画を見て、最高という評価が変わるかというと、清濁併吞といった感じで、最終的には「やっぱり最高だ」という感想になるに違いない。

その理由は、やはり映画はフィクションで、これはこの物語だという気持ちで見ているからかもしれない。

レビューで、かなり怒りを露わにした書き込みをしている方は、この物語の中の理不尽な、摩訶不思議な、他人の脳みそを覗き込んだ違和感を、感じ取って処理して自分の感情を文字にできる人だと思うので、すごいなぁと思った。(小並感)


ここからはネタバレも含みます。

「いじめ」に立ち向かうのは本人だけ?

内容は、一年前に父親が蒸発した母子家庭の生活、そして学校でいじめられている娘…の描写で始まるのだが、このいじめがなかなかえげつない。

賛否、のぴ意見では「今時の学生がこんなわかりやすいイジメするわけがない」という感想もあった。

確かにそうだと思う。

Twitterで見かけた「ボッチだった6ヶ月間」という漫画。この漫画を読んだときに、身近で、例えば隣のクラスで起こっていたかも?というような感覚になった。こういう経験をしている人は多いと思う。

現代の、というか思春期のいじめは、亜澄のように制服に絵具をつけられたり、大人が見てもわかるような事態にはなかなか至らないはず。ただ、田舎で、事なかれ主義の大人達に囲まれていたら、いじめっ子達が”どこまでやって大丈夫かゲーム”に進展することも少なからずあると思う。

亜澄のいじめ描写は、フィクション感が強めだった、というのは分かるが、杉咲花ちゃんの演技が、孤独感に蝕まれながらも母親という支えがあるから何とか保てている危うい生命力、思春期独特の弱さを感じさせてくれた。

宮沢りえ演じるおかあちゃんの「今逃げたらダメ」という言葉が、見ている人の経験に語りかけているからこそ、自分の経験と照らし合わせて拒絶反応をしてしまう人もいるんだと思った。

そして「逃げたらダメ」と言ったおかあちゃんは病に倒れ、余命を告げられる。

いま整理してみると、逃げたらダメ、って亜澄だけじゃなく、自分に言い聞かせてたんだなあ。

いじめに立ち向かうのは本人だけでなく、周りの家族や友人も一緒だ。ここに監督の思う「母親像」ひとつのフィクションの”疑似成功体験”を見た。


一歩動き出す事の大切さ

そして双葉は、探偵に依頼して消えた旦那を突き止める。

「探偵さんにお願いしたらこんなに簡単に見つかるんですね…」この言葉は、何となくだけど家族間の悩みを持つ人全員に通じる事かもしれない。

こうする、と決めて行動すると、スンナリ事が運んだりする。という事は今までの人生で度々あった。

そして母娘を置いて出て行ったお父ちゃんを、オダギリジョーが演じているのだが、これがまた最高に憎めないクズ野郎でとても良い。


ダメ”男”を認めて受け入れて欲しいという見え透いたメッセージ

根っからの悪いやつじゃないけどクズ、って優柔不断の権化なんだと思う。本当に大切にしなきゃいけない事や人を、優劣をつけれてなくて、自分に甘い。

現代において、この「自分に甘い」って、生きていく力でもあると思う。ダラダラにダラけちゃダメだけど、程々に「いやだって俺だし…」「たかが人間だし」みたいな適当さも必要というか。

オダギリジョーが優柔不断なクズ野郎であるほど、強くて芯のある双葉と結婚した理由も分かる気がするし、双葉がこんなクズ旦那を見限らないところにも通じると思う。双葉からしたら、逆に眩しいよ。清々しいよ。

ただ、このオダギリジョー演じるお父ちゃんがマジで最悪だという酷評が多い。それは分かる。男性脚本家の悪い癖というか、「強い女」に全てを押し付けてる感、これを良しとする世の中になったら生きにくいという女性の意見もめちゃくちゃ分かる。

特に、浮気して出て行ったお父ちゃんと、その連れ子の面倒まで見る双葉。普通に考えると法律の出番である。

だがこれはフィクションである。私の中では映像美も相まって、これは昭和後期から平成(携帯とか出てきたけど)の現代版「男はつらいよ」だと思って見るフシがあるな、と。

酷評にあるように、女だけの車に声を掛ける20代のヒッチハイカーを同乗させるなんて危険すぎるし、幼女連れ去られたり暴行されたら病気の双葉は勝てる訳ないし、無防備すぎる。松坂桃李が胡散臭く見えるのも問題だった。まぁそういう演出だろうけど。

女だけの旅に出るあたりから、映画の重要な伏線がどんどん回収されていく。このあたりの脚本は圧巻としか言いようがない。

女性の内面の描き方がどうしても"男にとって都合が良い"ものだという感覚はあれど、そういう女性もいるのだろう、という気持ちで見ていた。

ここが、男性脚本と男性監督による無意識の、全女性(母親)に向けた「ダメな男を包容力で包み込んでほしい。」というメッセージにもとれる。


愛とは何か?

そして全体的に、双葉の子供たちや周りに向けた"愛ゆえの"行動は、確かに理解できない部分もある。何故そんな言い方なのか?とか色々あるが、私はそれ以上に語りかける宮沢りえの表情とその後の抱擁に、愛を見た。

双葉もまた、母の愛情を真っ直ぐに受けられず、手探りなのだ。

人は皆それぞれ、自分の中に理想の"母親像"があるんだと思う。

自分の母はこうだった。

本当はあの時母親にこうして欲しかった。

私が母親になった時にこういう事をしたい。


双葉は、映画の中で双葉なりの母親をやり切っている。その姿が強くて美しい。

誰かが見て感動する言動が、他の誰かが見たら最悪だ、なんて作品としての完成度は間違いなく高いと思う。


私は双葉のこの熱い愛を感じ取ったし、その強さに惚れ惚れした。

愛とは何か?

それは、許す事だと思う。


怒ってもいい、悲しくなってもいい。

双葉は、周りの人達を、大事にすると決めた家族を、許していた。

浮気をして出ていったお父ちゃんを

亜澄を置いて出ていった本当の母親を

家出して粗相をした真由子を

母親を許せなかった自分自身を


ラスト、双葉とお別れのシーン。これも賛否両論あるが、フィクションとしてはアリだと思う。

愛と、銭湯の湯と、温かみを感じるラスト。


私は双葉の愛に触れる事が出来て本当に良かった。

このタイミングで、この映画を見ることが出来て本当に良かった。


私は周りを許す事が出来てるだろうか?

私は私自身を許す事が出来てるだろうか?


人間だもの、失敗する事も、逃げたくなる事も、怒る事も、悲しい事も、たくさんたくさんある。

そんな時、双葉の愛を思い出し、描く未来に進めるよう行動できるような自分でいたい。

下手でも、凹む日も、間違った日も、温かいお湯に浸かって、自分を許せるような気がする。


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