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「坂道」 けっち

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Photo by Tomas Halajcik on Unsplash

坂道といって思いうかぶのがどうしても「のぼり坂」なのは、それなりに年をとって、叶ったことよりも叶わなかったことが多いことを実感しているからかもしれません。「じ〜んせい、楽ありゃ苦〜もあ〜るさ〜」という小唄を聴いてもやはり楽より「苦」のほうに納得してしまう。苦しいことがあったときに「楽ありゃ苦ありだよ」と納得させようとしている自分がいます。

でもはたして本当にくだり坂的幸福はないのでしょうか? 僕の家のちかくには(うちをのぞいて周りは億単位の高級住宅街ということもあって)急激な坂道がたくさんあります。この坂をのぼって家にたどりつくまでは本当に大変で、ものすごく苦しいのですが、一方、なんとなく今の家が好きだな……いや、大好きだな、と感じているのは、家から外へでるときに下りる急なくだり坂を歩く爽快感が関係しているのかもしれません。

僕はいまの急な坂の上にあるアパートから外にでるのが好きなのです。下から上にむかって吹いてくる風が顔にあたったときはとても気持ちがよく、坂の上からゆっくりくだっていく道のりにはただ歩いているだけでなにかしらの刺激をかんじます(それは気圧の変化と関係あるかもしれません)。

くだり坂……と書いていま気がついたのですが、「くだり人生」という言い方はネガティブなイメージしかないですね。一方で「のぼり人生」というと、グングン上昇していくイメージ。のぼり坂の苦しみが成功にはつきもので、くだり坂の楽な感じが堕落を連想させるのかもしれませんが、実際に人生を生きぬいていくためには「のぼり」の苦しみばかりを意識するのではなく、「くだり」の楽しみにフォーカスしていくことのほうが実りが多いのではないか、なぜならのぼり坂は意識せずともどっちみち苦しいのだから……。

自分たちの住んでいるアパートの急な坂道をくだったすぐのところに、山小屋のような雰囲気のいい喫茶店があります。徒歩1分。朝はコーヒー代でバタートーストとゆで卵、それにミニサラダもついているモーニングサービスがあります。徒歩1分の場所にわざわざ行ってコーヒー飲まなくても家で飲めばいいじゃないか、とついつい節約を考えてしまうのですが、あの急なくだり坂を降りる1分間、そして山小屋の喫茶店……を思うと、ふと急に行きたくなってきました。今日もありがとうございます。

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