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「ビートルズ」 はっち

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Fabs.JPG

私はビートルズをリアルタイムで聴いていた世代ではないが、それでも「ビートルズが好き」と口に出すのは躊躇われる。それはなんだか、現代アートでいうところの「アンディ・ウォーホルが好き」とか、映画でいうところの「007が好き」とか、そういうのに近くて、あまりにも有名すぎて気恥ずかしい心持ちになるからだ。

それでも、やはりビートルズには、それだけの人を惹きつける引力のようなものがあって、それは決して主張が強いというわけではなく、喫茶店や飲食店で流れていても会話や食事を邪魔することなく、それでいて耳障りはよく、しかし、ちょっと聴いただけで(たとえアレンジされていたとしても)ビートルズだなとわかる何かがある。

もちろん他にも、すばらしいミュージシャンはたくさんいるのだけれど、聴き手との距離のとり方が絶妙だな、と思うのは他にはいないかもしれない。ふつう、音楽はそれ自体に聴き手との距離を推し量っているところがあって、Aという音楽にはAという距離があり、それは誰が聴いていてもほとんど変わることはない。しかし、ビートルズの音楽はある人にとってはものすごく近く、またある人にとってはものすごく遠くの位置で存在することができると感じるのだ。この現象は、小説なんかだとわりと起こりやすいのだけれど、音楽は難しい(と私は思っている)。

と、こういうことを書いていて、これってコミュニケーションのとり方の話だな、と気がついた。彼らはコミュニケーションの一環として、音楽を奏でていたのかもしれないな。

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