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ドッジボールは偶数でやる遊び。それが中学受験スタートのきっかけに。

こんにちは。晴れある投稿第2弾。今回は全投稿の予告通り、小学校3年からの私を書きたいと思うが、まずは受験をはじめるに至るまでの軌跡を描こうと思います。

~塾の入塾テストに不合格。それでも信じてくれた母~
小学校3年生の冬ごろ、家は離れていたが母ともに仲の良かった友達に誘われ、N塾の入塾テストを受けに行きます。しかし、結果は不合格(笑)友達は受かったものの、私は余裕の不合格でした。母に「どうする?」と言われてもなんとも気にしてません。しかし、幸いなことに私には兄がいました。兄は私と違って頭が非常によく、あっさり塾に入塾できしかもαクラス。母は、兄弟でこんなに違うものかと悩み、「いや、そんなわけない。」と思ったそう。私にこんなことを言ってきます。「お兄ちゃん、塾で勉強頑張ってるけど、どうする?」その言葉は、私にはこんな言葉に聞こえます。「お兄ちゃんは塾へ行って勉強するのに、あなたはいいの?」と。私は当時、とにかくお兄ちゃん大好き。なんでもお兄ちゃんの真似をしたがり、なんでも一緒がいいと常に言っていたそうです。母はわかっていて聞いたようでした。「えーーじゃあやろうかなあ。」どう思い、母と話し合う。しかしお気づきだろうか。私はお兄ちゃんの真似はできないということを。。。(笑)そうです。私は入塾テストに落ちているのです。同じ塾に通えないのです。結局塾には行かないと決めた私でした。
そんなこんなであっさり年明け。いつものように近所の友達5.6人で遊んでいると、一番仲の良かった女の子の友達がいきなり「私習い事あるから、抜けるね」と言ってきます。その日は何も思わなかったのですが、その2日後にも「抜けるね」、またその2日後にも「抜けるね」、、、なんかおかしい。1日おきに遊びから抜けている。。。ちょっとした好奇心で気になってしまった私は、母に調査を依頼。今まで習い事ひとつしてなかった友達が1日おきに早くにぬけちゃうから「ドッジボールが奇数になっちゃうじゃないか!!!!ややこしいのよ」そういって理由をさぐってもらうように言います。母はまったく相手にせず、「なんか新しいことでもはじめたんじゃない?」の一点張り。仕方なく、本人に聞こうと2人きりの隙を見計らって聞くと、まさかの「みんなには内緒よ。私ね、中学受験するから塾にいってるの。」「えーーーーーーー!」それを聞いた時、私はただただいいな、と思いました。私がいけなかった塾に友達が言ってる。しかも、みんなに内緒でなんかやってる。その"人には言えない内緒にできる事柄がある"というミステリアス感と"いつも遊びを途中で抜ける"というスケジュールパンパン感がなんともいえず、「かっこいい。」と思ってしまったのでした。かえってお母さんにすぐに「私も塾通いたい!Aちゃんも塾いってるんだって!」お母さんはなぜか私がそう言いだすのをわかってたかのように、「Aちゃんね。。臨界セミナーっていう塾にはいったんだって。しかも臨界セミナーなら入塾テストいらないらしいのよ。」なんとここへきて、テストなしで入塾できるという事実が発覚。母にこう言い放ちます。「この塾入って、お兄ちゃんがいるS塾の入塾テストに受かるようがんばる!!!」今考えると目標がちょっとずれているかもしれない。しかし、塾へ行く、という中学受験への第1歩を遂げるのである。

~ドッジボールは偶数でやる遊び~
私は、中学受験を決して強制されたわけではない。一度やってみたらできちゃった♡という才能をもっていたわけではない。ただ、私には
・いつも遊んでくれる大好きな兄と友達の存在
・母の「お兄ちゃんは、塾いってるよ。」という言葉
・友達の「内緒ね。」と「抜けるね。」という言葉
・友達が通っていることへのうらやましさ
・ドッジボールは偶数でやっていたという習慣
・毎日、近所の友達と当たり前のように集まってドッジボールで遊ぶという習慣
があったのである。"人"、"ちょっとした言葉"は、時には人生を変えるほどのものであること、そして私はここでも"習慣"を備えていたことがきっかけとなり、人生の大きな第1歩を踏み出したのであった。

「勉強の習慣化」のプロはここにある。

次回、
もちろんあっさり・順調にいったわけではない、私の塾生活をお届けします。


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