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私、誰かの役に立ちたくて病気したんじゃないよ

周りからよく言われること、

「葉羽さんは自分が病気をしたことで、病気の人の気持ちを分かってあげられるようになって、良かったじゃない。きっと誰かのお役に立てるわよ。」

私、誰かのために病気になったんじゃないよ。
誰かのためだったら、病気なんかしたくなかったよ。

同じ言葉でも病気が治ってから言ってもらえたなら、嬉しかったかもしれない。
でも、今現在苦しんでいる私には、誰かのためなんて思える心の余裕は無いし、とても受け入れ難い。

でも病気の人の気持ち、少しはわかるかな。
言われたくない言葉も、少しはわかるかな。

健康な人から受けるアドバイスと、不健康仲間がかけてくれる言葉はこんなふうに違う。

健康な人からのアドバイス
「こうこうこうすればいいわよ」

不健康仲間からの言葉
「こうこうこうしてみるとか・・」

私には大きく違って聞こえる。不健康仲間はアドバイスではなく、私と同じ目線まで降りてきて、一緒に考えてくれる。不安を共有してくれてるって感じられて、すごく安心する。

では私はどうだろう、病気の人に対して安心する言葉をかけてあげられるだろうか?
特に、私とは違う病気の人の辛さをわかってあげられるだろうか?

それは経験だけじゃなく、言葉選びでもなく。
自分だったらどうだろう、とその人の辛さをイメージしようとする優しさ。
そして、自分にはイメージしきれないとわかる謙虚さ。

いたって健康な私の友達夫婦は、私の不調を知って、こんなことを言ってくれた。

夫は真剣な面持ちで、
「俺たちには葉羽の辛さ、わかってあげられないな・・。」

今まで誰からもかけられたことのない言葉に嬉しくて、硬ばっていた肩の力が抜けた。私の辛さを本当にわかってくれたんだ、と感じられた。

妻はLINEで、
「人間は不可思議に満ちて、ロマンや奇跡を生み出します、人間は宇宙ですから。」

人によってはこの言葉を的外れと受け取るかもしれないけれど、私は心が温かくなった。もう治らないと医師から言われている私に、目先の現実だけを追っていない、非日常的な解釈で、心は解放された。
彼女の持って生まれた感性なのか、心を尽くして考えに考えて発してくれた言葉なのか。

大らかで冷静で細やかな心、謙虚。
病気の人に対しても、誰に対しても、謙虚でありたいと思う。


*この記事を病人の甘えだと感じる方もいらっしゃるかもしれません。
 気分を悪くなさったらごめんなさい。


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