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「竜とそばかすの姫」が虐待問題へもたらした功罪

★★ネタバレ注意★★ 詳しいストーリーは記載しませんので、この映画をすでに映画館で観た方のみに解るように書いています。

私は1983年生まれの子ども時代に虐待を受けて大人になった虐待サバイバー(虐待から生き残った者)です。「おおかもこどもの雨と雪」や「未来のミライ」など細田守監督のアニメーション映画はこれまでも観てきており、私は細田守監督の映画はとても好きという立場の人間です。しかし、事前に、ある知り合いの虐待サバイバーがこの映画を観て、「虐待描写」があり、それがこの映画で登場すると事前に知らなかったため、唐突に観てトリガーとなり、ひどくフラッシュバックを起こして精神が悪化したと聞いていたため、虐待サバイバーである私は、むしろ逆にこの映画を観たくなって観ました。

率直な感想は、私は観て〈希望〉が描かれていて良かったなと思ったし、私の場合は、〈虐待の後遺症〉を抱えていてもこの映画で精神的な病は悪化しませんでした。おそらく、虐待サバイバーといってもトリガーとなる描写は人ぞれぞれだし、病状が良い時か悪い時かでもメンタルが悪化するかしないかは変わってくると思います。なので、虐待サバイバーの方は、ご自身の判断でこの映画を観て下さい。ちなみに、この映画は、後半に児童虐待を受けている子どもが2人が登場しますが、映画全体のテーマは虐待問題に焦点を絞ったものではありません。

しかし、この映画は、児童虐待を受けている今の子ども達や、子ども時代に虐待を受けて大人になった虐待サバイバーにとって、〈大きな希望〉を描いてくれている反面、致命的な罪を犯している映画だと私は思いました。そのため、この記事のタイトルに「功罪」と入れました。

細田守監督が虐待問題へ犯した「罪」

まず、功罪の「罪」の方から解説していきたいと思います。この映画が児童虐待が全体のテーマではないこともあるせいか、細田守監督の児童虐待の問題の理解の浅さから、世間に既に固定化された虐待問題の〈間違った認識〉をさらに助長する内容になっている点がとても残念でした。国内外から高く評価される日本を代表するアニメーション映画監督がしてはならない致命的な罪を犯していると思いました。

その罪とは何か?といえば、虐待を受けている子どもを虐待親から保護すれば、子どもは救われて一件落着!という世間の間違った虐待問題の認識をさらに助長している点です。虐待を受けた被害者が保護された後や、虐待が発見すらされず、保護されないまま大人になって重度の<虐待の後遺症>に罹患し、大人になって長い年月を酷く苦しむことについて、世間にほとんど知られていませんから、虐待が終わった後の子どもや大人の治療や支援のなさを描かなければ、発見・保護された被虐待児がこれで幸せになったかのような描き方には非常に問題があると思います。

<竜>はネット空間<U>で起こしていた問題行動を大人になりリアル社会でやってしまう

虐待を受けている子どもを保護すれば一件落着ではなく、虐待を受けた子どもが大人になった時、<虐待の後遺症>という重度の精神疾患に多数罹患する被害者が多いのですが、その実態が世間にも知られていなければ、精神科ですらまだあまり知られていない実態があるのです。

このため、適切な治療や支援を受けられず、多くの元被害児童が大人になって精神的な病から加害行為を起こしてしまうことは珍しいことではありません。この映画内のネット空間<U>という世界でアバターとして暴れまわり、他者に迷惑行為をして周囲から嫌われ、排除さていた<竜>は、親からの虐待から保護してあげたとしても、虐待による<心的外傷>の治療がお粗末な日本の精神科の実態では、治療すらなされないまま、大人社会へと放たれていきます。

<U>というネット世界でのアバターの<竜>は、背中に沢山のアザがあり、そのアザの正体は現実世界で今まさに虐待を受けている最中の子どもの〈心的外傷〉を象徴したものでした。そして、<竜>の背中のアザだけでなく、<竜>はネット空間<U>の中で、すでに親からの虐待によって〈情緒障害児〉と化しており攻撃性が非常に強く、精神的に既に病気になっており、<U>の中で秩序を乱し大暴れしています。こうした被虐児は実際に現実世界でも多いです。<竜>は、病的には、すでに、被虐待児症候群に罹患している状態です。

この映画では、主人公の女子高生のすずが、虐待されている子どもの居場所を特定し助けに行きます。描かれてはいませんが、児童相談所に保護されて子ども達は救われて一件落着で終わって、めでたしめでたしという映画ですが、児童虐待は子どもを虐待親から救い出せば、問題がなくなるわけではありません。そこからが被害者にとって大変な人生になるのです。

確かに、虐待環境から子どもを救い出してあげることが、支援の第一歩であり大きな支援だと思うのですが、例え虐待親から引き離されて、適切な養育者のもとへあの子ども2人が移ったとしても、<竜>の<心的外傷>への適切な治療がなければ、<竜>は<U>の中で大暴れて他者(他人のアバター)に加害行為を繰り返す状態の病気は大人になっても治りません。

虐待は終わってからが本当の地獄

世間があまり知らないことですが、私は児童虐待を受けて大人になった当事者として、「虐待は終わってからが本当の地獄」が始まると言いたいです。児童虐待には、大人になると、〈虐待の後遺症〉という重度で複雑な精神疾患に陥る被害者があまりに多いのです。2018年6月に、厚生労働省は、レイプ被害や災害など1回きりの被害(単回性の被害)による従来の心的外傷後ストレス障害(PTSD)とは分けて、児童期の虐待など長期にわたる反復的な被害による心的外傷を〈複雑性PTSD〉という病気として認定しました。

虐待の後遺症は、非常に多岐にわたる精神疾患や身体疾患まで重複で引き起こすため、一言で説明することは難しいものです。このため、〈虐待の後遺症〉については、以下の記事に別にまとめてありますので合わせてお読みください。

<竜>は大人になり再び社会から虐待される

<虐待の後遺症>は、子ども時代よりむしろ成人後に顕在化します。このため、現実世界においても、元虐待の被害児童が、激しい攻撃性や加害行為(または自傷行為)などを繰り返しますが、大人になればもう虐待の被害者だと世間からは認識されず、自己責任とされてしまいます。このため、<竜>のような子どもは、大人になり自身の加害行為や迷惑行為(=虐待の後遺症)によって、再び社会から激しいバッシングと社会的排除を受ける羽目になります。これが多くの虐待の被害者が大人になって辿る運命なのです。

<竜>のように誰かが、親からの虐待を発見してくれて、児童相談所に繋がり、適切な養育者の元へ子ども時代に辿り着ける被害者は、〈ごく一部〉であり、ほとんどの被害者が、保護すらされず、そのまま大人になります。※ちなみに、この映画では、<竜>が適切に保護されたかは描かれていませんが、主人公すずや、すずの友人たちが喜んで映画の幕を閉じたことからも、<竜>はとりあえずは保護されたのだと思われます。

児童虐待防止法(2000年制定)ができてまだ20年の日本

児童虐待は、最近の子ども達が受けている被害だと誤解されていますが、児童虐待防止法が制定されたのは2000年であり、まだ20年しか経っていません。このため、防止法がなかった2000年以前の虐待を受けていた子ども達は、命に危険があるレベルの虐待があっても、児童相談所が介入するというケースは稀でした。当然、〈虐待〉や〈児相〉という言葉の認識を世間がもったのも、この20年の間ですから、2000年以前は、虐待を受けていた子ども達を近所の大人や教師が発見しても、虐待という認識もなければ、児相に通報するという知識も行政の体制も整っていないという実態がありました。

今の子ども達でも適切に保護されていないケースが沢山ありますが(その理由として、虐待死が起きている。適切に保護されていたら虐待死は1件も起きていない)、児童虐待防止法が制定される2000年以前は、保護されないまま大人になる虐待の被害者が大半だったのです。では、そうした被害者は大人になり、虐待親から逃げられて、幸せになったのか?というと、大半の人が重度の<虐待の後遺症>を患い、それが病気だという知識も当然なく、精神科にかかっても理解されず、適切な治療も支援もないまま地獄の大人時代を生き延びるしかなかったのです。それが今の親世代です。

2000年以前の元虐待児は、今の社会を〈大人は自己責任〉とされながら、冷たい社会の中で生きています。また、トラウマ治療も保険対象外で高額治療という課題にも、元被害児童の今の大人たちは直面している現実があります。

細田守監督が虐待問題へ貢献した「功」

では、この映画で私が虐待の被害者にとって、<希望>だなと感じた面を述べたいと思います。それはこの映画の冒頭に出てくるあるキャッチフレーズです。「現実はやり直せない。しかし、<U>ならやり直せる」。児童虐待を受けて大人になった虐待サバイバーは、重度の<虐待の後遺症>を世間にも精神科にも理解されず、病気の重さから<竜>のように現実世界で暴れまわり、社会的排除に遭っていきます。

私自身も、20代のすべての期間を<虐待の後遺症>が重度の急性期で過ごしたため、職を何度も失い、家族を失い、社会的排除に遭った人生でした。そうした虐待を受けた元被害者の大人(=虐待サバイバー)は非常に多いです。それでも、私は、30代半ばになり、現実世界とは違う<もうひとつの居場所>を見つけました。それがインターネットでした。ネットがない昭和時代を生きた虐待サバイバーは現実世界しかなく、ネットという<もうひとつの居場所>を見つけ、そこから人生をやり直すことは不可能だったでしょう。

ネットの良い面は虐待問題の解決への希望

インターネットも当然、良い面もあれば、誹謗中傷など悪い面もあります。でもそれは、現実世界でも同様のことで、ネットもリアルも両面を備えた存在です。だから、リアル vs. ネット という二項対立の問題ではなく、どちらも良い面、悪い面があり、どちらが良いというものではないと思います。しかし、現実世界しかなかった昭和時代に比べて、ネット世界がある現在は、「選択肢が増えたこと」は間違いなく良い面だと私は思います。現実世界だけでない<もうひとつの居場所>であるネットがあることは、現実世界で押しつぶされそうな子ども達や大人達にとっても、選択肢が増えたことは間違いなく良いことです。

そして、この映画では、他のアバターたちが現実世界では歌うことができなかった主人公すずをネット空間<U>の中で応援し、それが何千人、何万人、何百万人と波及し、世界的な歌手になっていきます。こうした何千人、何百万人もの人から短い期間であっという間に応援をされるという世界は、現実世界ではあり得なく、インターネットができたことによる<功>の側面として最も大きな良い面の1つではないでしょうか?そうして多くの応援者が集まれば、世論を変えていく運動へとつながることもあります。

虐待サバイバーが匿名で自身の<虐待の後遺症>の辛さや支援のなさを訴えたり、同じ当事者同士が出会って協力し合えたり、その声が、当事者だけでなく、日本中、世界中に広まり応援が集まれば、国も動き、虐待サバイバーの支援体制の構築につながる可能性があるという希望はとても大きなものであり、ネット世界がある今の時代だからこそ実現可能性がある大きな希望なのです。

この映画の冒頭に出てくるあるキャッチフレーズに「さあ、新しい人生を始めよう。さあ、世界を変えよう。」というこの映画全体のネット世界があることの希望というテーマには、虐待の被害者としてものすごく勇気づけられました。

※虐待サバイバーの支援の構築のための署名活動は、以下より実施しております。ぜひともご賛同を宜しくお願い致します。

児童虐待は、保護すれば一件落着ではない

何度も述べるように、虐待から子どもを保護したり、大人になって親からの虐待から逃れられれば、虐待された被害者が救われるわけではありません。虐待は終わってからが本当の地獄の始まり。また、<竜>のように虐待を発見されて、保護される被害者はごく一部であり、ほとんどの被害者が、児童養護施設などに保護されないまま<支援ゼロ>で大人になります。当然、虐待の後遺症が重度で悲惨な人生になります。こうした<虐待の後遺症>が治療・支援されない大人がごまんといることが、児童虐待の連鎖が防げず、虐待を再生産しているという点が、虐待問題が解決しない一番の原因です。それについては以下の記事に詳しくまとめてあります。

虐待の被害者は、成人後の自殺率も高く(虐待の後遺症が重度であるため)、犯罪率、生活保護率、貧困率、ホームレスになる人もとても多いです。虐待されている子どもを保護すれば一件落着という世間の間違った認識をさらに助長する映画ではなく、虐待問題を取り上げるのであれば、本質的な解決を描いた作品でなければ、児童虐待の被害者は、世間の無理解から更なる被害に遭い続けてしまう危険性が高まります。

センシティブな社会問題を映画で取り上げる場合は、その社会問題への下調べをしっかり行った上で、当事者が傷ついたり、さらに社会的排除に遭うような作品を作ってほしくはありません。細田守監督にとっても、それは映画作りを通して社会に望んでいる結果とはまったく正反対のものではないでしょうか?児童虐待の根本的解決を描いたような映画が出てくることを当事者としては切望しています。

※虐待の後遺症の典型的な症例については、以下の書籍にまとめてあります。精神科医の和田秀樹先生の監修・対談付き。




虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!