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ぐうたらして時間を溶かした日こそ書く。


今週も日記を書きました!

今週は
健やかなるときも、病めるときも、飲めないときも
■海はゆるしてくれるから
■若いと言われて喜ぶところが若くない
■言い訳できる日は食べる
■油断していた大腸カメラ
■歯医者帰りの口にケーキを
■ぐうたらして時間を溶かした日こそ書く
の7日間です。


◼︎6月24日(土)健やかなるときも、病めるときも、飲めないときも
遠路はるばる出かけ、夜は夫のリクエストでおいしい焼き鳥屋へ行くが、車なので酒が飲めない。健やかなるときも、病めるときも、飲めないときもともにするのが夫婦だろうということで、ウーロン茶同士の乾杯。つくね、せせり、もも、梅ささみ、ハツ、手羽先。どれもガツンと食べ応えがあり、一貫して酒に合う味。酒に合う味は、酒の飲めない場面だとこんなにも尖がってしょっぱいのかとふたりで笑う。

◼︎6月25日(日)海はゆるしてくれるから
海の見えるところが好きだと思う。海はいつでも寛大で、海はいつでもせつなくて、海はいつでもゆるしてくれるから。いいのよ、いいよのよと背中をさすってくれるから。わたしは誰かにゆるされなければならない生き方をしているのだろうか。そんなはずはないのに、そんなきもちがずっと心の底にある。ゆるしてほしい。うまくやれないわたしを。わたしがわたしでいようとすることを。今日泣こうとすることも、明日笑おうとすることも。ひさびさの潮の香りは、生命の香りだった。

◼︎6月26日(月)若いと言われて喜ぶところが若くない
電車でたまたま隣に座っていたマダムに話しかけられた。「学生さん?お若いわよね」と聞かれ、「全然学生じゃないです!学生に間違われるなんてうれしいです!」とにやにやした顔で即答してしまう。20代前半のころ、若いと言われることがくやしくて、すこしでも落ち着いた大人に見られたくて、背伸びばかりしていた。特に仕事の場では。それなのに最近は、若く見られるとうきうきしちゃう。それが、あの頃より若くない証拠だなあ。


◼︎6月27日(火)言い訳できる日は食べる
明日、大腸カメラを受けるため、今日から検査食。グリコさんのたゆまぬ企業努力のおかげでおいしく味わえたが、ちょっとお腹がすく。検査食以外に食べてもいいもののリストに食パンが入っていたのでパン屋へ。普段、妊活のこともあってなんとなく小麦粉を控えていて、パンはときどきしか食べないのだが、ここぞとばかり2枚で200円の高級湯ごね食パンを買った。すんすんにおいをかいでからパクッといくと、もっちりふわふわであぁたまらない。食指が動きすぎる。だって仕方ないよねえ、食事制限があるんだもんねえ、食べていいものを食べるしかないんだもんねぇ…と自分に言い聞かせながら、ばぐばぐ食べる。


◼︎6月28日(水)油断していた大腸カメラ
病院から指示をもらっていたとおり、朝7時から「モビプレップ」という腸管洗浄液をしぶしぶ飲み続ける。初めて大腸カメラを受けたときに「スポーツドリンクに飴の小梅をたくさん溶かしたような味」と看護師さんに説明を受けたけれど、言い得て妙。やっぱりその通りの味がした。空っぽになった大腸で駅まで歩く。人とすれ違うたびに、「わたしは今あなたより腸がすっきりしています」と心の中で謎のマウント。病院に着き、緊張をやわらげようとしてくれる看護師さんに対し、検査が初めてではないというちっぽけなプライドから、「前回そんなに痛くなかったので、大丈夫だと思います」と強気のコメントをしてしまう。いざ始まると、あれ…いた…ううううう…いた…いてててて…。完全に油断していた。不妊治療でもあらゆる検査を受け、もうそれぞれの痛みや不快感をはっきりと記憶していられない。あまりに声を出すので先生と看護師さんに心配され、申し訳ない。終了後、「痛そうでしたが大丈夫でしたか?」と看護師さんに声をかけられ、今度は「すっかり油断してました」とコメントすると、看護師さんふたりに笑われた。今回は新たにポリープができていなくてよかった。わたしは痛くても安心したい。次は、どうせまた油断している3年後。

◼︎6月29日(木)歯医者帰りの口にケーキを
ケーキを作って待っている日に限って、夫がなかなか帰ってこなくてじれったい。20時を過ぎて帰ってきた夫は、仕事帰りに歯医者に寄っていた。定期検診で、すみずみまでピカピカにしてもらった歯が最初に出会うのが、妻が年に一度焼くかどうかのケーキ。なんという運命の巡り合わせ。


◼︎6月30日(金)ぐうたらして時間を溶かした日こそ書く
日中、体がだるくて重くて、今日は時間を溶かしてしまった。こんな日も、だらけてしまったこと自体をnoteに正直に書いてしまえばいいかなと思えるわたしは、以前と比べれば図太い人間になってきていると思う。書き方はなんだっていい。「わたしよりぐうたらした一日だった人いますか」でもいいし、「一日ぼーっとしてた日のタイムスケジュール」でもいいし、「家から一歩も外に出られず、部屋着で過ごした日のご飯」でもいい。「だらだらしてしまった」ということが、人に安心感を与えることもあるみたいだと、noteを始めてから気づいた。世の中、右も左もがんばっているキラキラした人だらけだったら、息が詰まるもんね。かくいうわたしもずっと歯を食いしばって走りつづけていた側の人間だったのだけど。キラキラしている日ばかりを切り取ってSNSにあげたがっていた側の人間だったのだけど。だらだらして溶かした時間も、それ自体を書いてしまえば、すこしは価値が生まれ、取り戻せる気がする。取り戻そうとするくらいなら、最初からがんばれよとは思わないでおく。


今週もお読みいただきありがとうございました!過去の日記はマガジンにまとめています。


おわり

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