手垢のついていない言葉や表現を探して。
今週も日記を書きました!お時間ある方、お付き合いください。
今週は…
■手垢のついていない言葉や表現を探して
■親の敷いたレールを歩く小学生
■まあこれも人生か
■YOASOBI『アイドル』
■『羅生門』と大人にきび
■「似合ってるね」が最高
■ こんなはずじゃなかった日々の中で
の7日間です。
◼︎7月1日(土)手垢のついていない言葉や表現を探して
文章を書いていていつも思うのが、「むずかしい言葉は使いたくない」。まあそれは大丈夫。わたしはそもそもむずかしい言葉をあまり知らない。平易でやさしい15歳にもわかる言葉で、わたしだからこそ書けるものを書きたい。となれば、探すべきは平易でやさしいけれど手垢のついていない言葉や表現なんじゃないかと思う。知ってるけどその場面でその言葉か!という心地よい違和感や、この言葉とこの言葉を組み合わせるのか!という小さな驚き、昔からあるめずらしくない言葉なのになぜか新鮮!という感覚を大切にしたい。
◼︎7月2日(日)親の敷いたレールを歩く小学生
この行列に並ぶところからがサーティーワンだ!と意気込んで列の最後尾に並んでいると、前の女子小学生ふたりが、「どれにしよう。わたしサーティーワン初めて!」なんていう会話をしている。もうひとりが「バニラとかストロベリーがおいしいと思う。わたしは一度だけ食べたことがある」と言ったところで、横にいたどちらかのお父さんと思われる出資者が、「せっかくのサーティーワンなのだから、そんな普通のじゃない、サーティーワンでしか食べられないものを食べなさい」と助言しながらお金を渡す。「そっかあ…そうだよね…」と親の敷いたレールの上を歩こうとしている小学生ふたり。注文していたのはたしかにサーティーワンらしい、色鮮やかでにぎやかなアイスだった。受け取るふたりのうっとりした姿を見て、親の敷いたレールの上で見つかる出会いもあるのだろうなあと考え至る。
◼︎7月3日(月)まあこれも人生か
逃れようがないのに、どうしても納得したくないことを突きつけられて、もだえている。知らずに一生を終えられるなら、それでよかったのに。「まあこれも人生か」を自分の心を守るための盾にして久しい。あと何度唱えればよいのだろうと思いながら今日も唱える。
◼︎7月4日(火)YOASOBI『アイドル』
YouTubeに、YOASOBIの『アイドル』のさいたまスーパーアリーナでのライブ映像がアップされていた。数日前にアップされたのに、すでにものすごい再生数。あ~かっこいい!でっかいテレビで再生したら、ライブの中にいるような高揚感に包まれて、自然と、おい!おい!とやってしまう。最初は客側だったのに、加速する気持ちを止められなくなって、最終的には歌う側に回った。音痴にはむずかしすぎる音程。もしも今、誰かに「人生で、一度でいいから言ってみたい言葉は何?」と聞かれたら、「アンコールありがとう!最後くったくたになるまで一緒に燃え尽きてくれる!?」と答えると思う。でも、「YOASOBIでした!ありがとうございました!」も捨てがたいと思っていたら夫が帰宅したのでふつうの主婦に戻る。
◼︎7月5日(水)『羅生門』と大人にきび
朝、化粧をしていると、鼻に控えめなにきびを発見。大学の授業で芥川龍之介の『羅生門』を読んでいて、下人は何歳くらいかという話になったときに、「にきびがあるから16、17くらいかな?」という意見が多いなかで、ある男子が「そんなのわからない!だって大人にきびかもしれないじゃないか!」と力強く発言したあの日の教室を、自分の顔ににきびを見つけるたびに思いだしてしまう。記憶はにきび以上にしつこくて頑固。
◼︎7月6日(木)「似合ってるね」が最高
一張羅のワンピースを着て出かけているというだけで上機嫌なのに、そのうえ出かけ先で、「そのワンピース望月さんにとーっても似合っててすてき!」と褒められたから、ほわほわする。「この服かわいいね」より、何倍もうれしかった。だって、似合ってるってことは、わたしも含めて丸ごと褒めてくれるってことだよね。これを着ているわたしの肌の色、髪型、お化粧、買ったわたしのセンスも丸ごと。最高だよ「似合ってる」。
◼︎7月7日(金)こんなはずじゃなかった日々の中で
ちょっといろいろ事情があって、今週は平日のうち4日間通院をしていた。通院メインの生活ができるのはありがたいことなのに、歯がゆい。今日の病院は初めて行くところで、受付のスタッフさんに「待ち時間が1時間くらい出るかもしれません」と、とても申し訳なさそうな顔で予告される。大丈夫ですよ、こちらはもう不妊治療(受ける方)のベテランですから。1時間待ちなんてどうってことありません慣れっこですから、それよりもこうして前もって目安を教えていただけるのは大変助かります、心づもりができますので、と思いながら、「大丈夫です」とだけ伝えて、待合室でnoteを書いた。失い続けて、こんなはずじゃなかったと思う日々の中で、わたしは自分のことをこうして書き残そうとするようになった。書いたらすこし、目の前の霧が晴れ、その先には想像しなかったような出会いもあった。あかるい夜だった。
今週もお読みいただきありがとうございました。
きっとまた来週も書きますきっと。
おわり
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