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noteで半年間日記を書き続けたら、ものすごい変化が起きた。


4月からこのnoteで、日記を公開しはじめた。数百文字ほどの短い日記を一週間分まとめて、毎週土曜の夕方にアップしている。開始から約半年が経ち、立派な習慣になった。とりあえず、一年間は公開し続けるつもりでいる。

noteで日記を書くと、驚くような変化がいくつも起きた。せっかくなので、今日はそれを4つにまとめてシェアさせていただこうと思う。



まずひとつめ。文章筋がじわじわと鍛えられてきた。

日記を書こうと思った理由のひとつは、文章が上手になりたいから、だった。わたしは、日記を人に読んでもらうことは、ほかのどんな文章を読んでもらうよりもよっぽど難易度が高いと考えている。自分自身は人の日記を読むのが結構好きな変態だけれど、一般的にはそういう人はけっして多くないと思う。だって、役に立つ記事(情報)ではないから。読者に直接関係のある話でもないから。日記を書くのが、有名人であれば話は変わってくると思うけど、わたしは無名のフリーランス主婦。ハイセンスの持ち主でもない。誰もわたしの暮らしに興味がないことなんて、百も承知である。

それでも日記を、せっかく公開すると決めたからには多少は読んでもらいたい。読んでもらうためには、できごとをただ羅列するのではなく、工夫しなきゃいけない。素材の選び方、表現の仕方、リズムとテンポ、タイトルの付け方…。これは何よりのトレーニングになるんじゃないかなと期待した。そしてその予想は当たった!

まず、「書く種かもしれない!」と思う瞬間に作動するセンサーがとても鍛えられてきた。最近では一日に5回くらいはセンサーが鳴るので、どれを書こうかしぼり込むのに迷うまでになった。そして、どうすればこれをあざやかに、体温をもって伝えられるだろうと、日々言葉を探すようになった。本を読んでも、テレビを見ても、会話をしても、スーパーへ買い物に出かけても、常に言葉を採集しようという前のめりさが以前よりも出てきた。正直、目指している文章にはまだまだほど遠いけれど(そんなにすぐに上手になれないからたのしいのだけど)、日記のおかげで確実に文章筋が鍛えられてきていると思う。



ふたつめ。毎日を無駄にしている感覚や焦りが減った

現在会社勤めをしておらず、またフリーランスとしての仕事もほとんど行えていないわたし。今いちばんがんばっていることは不妊治療で、それはがんばりと成果がまったく比例しない結構理不尽な世界である。これは自分でした決断なのに、ただ通院をするだけで、何も得られず、何も進んでいないように感じて落ち込む日も多い。仕事にがむしゃらだったときのような「今日はここまで終わった!」「この目標をクリアした!」というわかりやすい感触がない。

だけど、日記を書くと、そしてそれをあとで読み返すと、「ちゃんと生きてた」感じがする。無駄にして過ぎていった一日なんてなくて、どの日にも名前があって、わたしはたしかに、ここで暮らしていたのだと思える。一日いちにちを保存できている感じが、すっごくうれしい。



みっつめ。何も起こらなくても文章は書けるという手応えを得た。

わたしの日記を読んでくださっている方にはバレてしまっていると思うが、わたしの日記は大したことが起こらない場面が地味。まあわたしが地味だから仕方ない。何かを食べているか、夫と会話しているか、テレビでスポーツ観戦をして騒いでいるか、不妊治療を嘆いているか、自分を励ましているか、おおよそそのあたり。それでも十分書けるのだとわかった。これはものすごく大きな手応えで、わたしの書く根っこのような部分を太くしてくれた。

わたしはおばあちゃんになってもずっと文章を書き続けたいと思っていて、だけどできるかぎり平穏に生きていきたいとも願っている。このふたつはずっと、トレードオフのような関係だと思っていた。波瀾万丈に生きなければよい文章は書けないと。でも、可能なことかもしれない、と今はすこし希望を抱いている。しんどいことはもう起きてほしくない。それでも、たとえば夫と風呂上がりに果物を食べながらした会話で、あるいは散歩に出かけたときに見た空の色で文章を書くことができれば、書くネタに困る日はこないんじゃないか。人生が大きくうねらなくても書き続けることはできるんじゃないかと思いはじめている。


よっつめ。自分のことをすこし好きになった。

不思議なことに、どんなエピソードも文章にして残すと、我が子のような感覚になる。できごとがわたしの手をすこしだけ離れて、ひとつの小さな作品として生まれる。すると、きらいではいられなくなる。自分のことはなかなか好きになれなくても、我が子となると、簡単にきらいになるわけにいかない。どの日も「なんかかわいいな」と親バカなマインドになる。自分をかわいいだなんて思う日はないのに、自分の過ごした一日いちにちは結構かわいい。わたしもわるくないね、と思う。日々を書いて残すことは、自分を認めて自分を好きになってあげることのきっかけをくれているのかもしれない。




と、4つあげてみたけれど、最後にどうしても言いたいことがある。noteがなければ、続かなかったと思う、ということ。

日記を人に見せることは勇気がいることだったし、これは誰のためになるのだろうという迷いもあったけれど、あるとき「毎週たのしみにしている」というようなコメントをいただいて、それがたまらなくうれしくて、ここは安心して日記を公開していい場所なのだと思えた。今は毎日、今日は何を書こうかとうずうずしている。noteという場所があって、スキやコメントというリアクションがもらえたから、読んでくれた人がいたから、こんなにもうずうずしながら書き続けることができている。これは間違いない。いつも読んでくださっている方、ありがとうございます!

noteで日記、とってもいいですよ。


過去の日記はマガジンにまとめているので、読んでやってもいいよという方はどうぞ!(もちろん無料)


おわり

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望月
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