noteすごい。何もしてない日を「note書いた日」にできる。
わたしは大発見をしてしまったかもしれない。
「今日何もしてない。何も生み出してないし、誰の役にもたってないし、一歩も前に進んでない。やばい」って日があったとする。というか、普通にある。
(まあ、最近はそれを「ぜいたくな日だったわ」と思って楽しんだりしてるのだけど)
それでも、やっぱり焦る日もある。一応、この社会を構成する人間のひとりだから。わたしがこうしてソファに寝転んだまま机のじゃがりこに手を伸ばしている今この瞬間も、世の中は前に進んでいるのにって。みんな置いてかないでよって。
そんなとき、noteを書く。なんでもいい。面白くなくても、誰の役に立たなくてもいい。300字でも400字でもいいから、noteを書く。そしたら、なんということか。
何もしてない日が、「noteを書いた日」へと進化する。
わたしは、「書く」ということをした。紫式部も紀貫之もした、「書く」という崇高な行いをしたのだ!と自分を褒めることができる。
残そうとしなければどうせそのうち消えてなくなってしまうその日の気持ちと記憶を、たしかに残しておくことができる。
反対に、頭から消したい忘れたい気持ちだって書くことで消せたりする。
noteは、何もない日に意味を与えてくれるのだ、と気づいたのだった。ありがたいな〜。ほんとにありがたい。
何もない日にこそ、noteを書こうと思う。毎日たいしたことが起きなくったって。
おわり
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