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もしも、身バレしたら。



noteで、学生時代の友人を見つけた。アイコン写真とニックネームと記事の内容でそうだと確信してすぐに、見なかったことにしてそっと閉じた。


顔や本名フルネームを潔く出してnoteをやっている人を見ると、ほんとうにすごいなあと思うし憧れる。わたしはそれができていない。誰かが知っているわたしと、また別の誰かが知っているわたしと、わたしだけが知っているわたしがあまりにもちぐはぐで。

わたしは親や友人にさえ、不妊治療や不育症、それからメンタルダウンのことをほとんど伝えていない。心配をかけたくないし、一時期かなりナイーブで傷つきやすくなってしまっていたので、誰かがよかれと思って言った言葉で勝手に傷つくのがこわかったからだ。もう、何を言われても自分から傷にしてしまうような状態だった。大切な人を、嫌いになりたくない。そのためには、言わないのがいちばんだと思った。わたしなりの、人間関係の守り方だった。

だからこのnoteは、そんな言えずにきたことを書く場としてはじめた。フリーランスの、それもライターなのだから、noteを集客やブランディングのために使う方法もあっただろうけど、当時はそんなことを考える余裕はまったくなく、とにかくずっと言えずにきたことを言葉にしたかった。

だから、わたしの近くにいる人たちに読まれるとすこし不都合だなあとは思う。

もしもすべてをオープンにしてnoteを書けたらなあと思う日はあって、そうだとしたら書きたいことがたくさんある。

ちょっといろいろある家族のこと、やってきた仕事のこと、部活のこと、大学時代のこと、変わった趣味の話、推しの話、友人と遊んだ話、夫との馴れ初め、夫のぶっとんだエピソード、住んでいる街、そして、ふるさとのこと。


書きたいけど、世間は狭いし、noteをやっている友人も知ってるだけで何人かいるから、何かの拍子でわたしが誰なのかに気づく人がもしかしたらいるかもしれないと思うと、ここではなかなかそれらのことを書けずにいる。

体感としては、6割くらいはnoteには書けないことで、残りの4割くらいの中から毎日書きたいことを探している。

でもそれが、4割のことをすこしたりとも取りこぼすまい、見逃すまいと、目を凝らすきっかけになった。それは、日々の豊かさに気づき、生活の満足度を上げることに直結した。

書けないことが多い窮屈なnoteだからこそ、書けることを余すことなくたのしんでよろこんで書いてしまいたいと思っている。


それでももし、身バレをしたら。

以前はもうnoteをやめるんじゃないかなと思っていた。でも最近は、これで気づいてくれたということは、わたしのことをよくわかってくれている人なのだと思おうと考えている。まあそれもいいかって。


わたしの知人・友人である皆さん。もし、わたしが誰だか気づいたら、できればそれをこっそりあなたの胸の奥にしまっていただけるとありがたいです。知らないふりをしてほしい。わたしは、「あの人に知られている!」と、誰かの視線を意識するようになるときっと途端に筆が止まる気がするから。どうかお願いします(笑)。


おわり

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