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受け入れると受け止める

「お母さん、一回受け止めましょう」

これは、今日の育児相談で心理士さんからかけられた言葉であり、私の心に深く刺さった言葉。

noteをご覧になった方ならおわかりになるだろう。
長男の癇癪の対応に悩んで、いろんなところに相談してきた私だが、ついに、自分の職場(特別支援学校)の臨床センターの心理士さんのところにたどり着いた。

共感

同じ敷地内にいる心理士さんにたどり着くまで、なぜこんなに遠回りをしたのかというと、それは単に私のプライドの問題である。

非常勤として生徒たちと接していながら、自分の子供のことはわからないんだと思われるのが嫌だったし、恥ずかしかった。

でも、いろんなところに助けを求めるうちに、私の孤独だったり、困っていることは別に恥ずかしいことではない。むしろ、わかりません。助けてください。教えてください。と言うことは、私を成長させてくれる絶好のチャンスなのかも。と捉えられるように。

先生はたっぷり子供について聞いてくださり、気が付いたら私の幼少期のことまで。
その中で、私が彼の癇癪に「共感できること」と「共感できないこと」があり、その”あるなし”によって私の対応に差が出ることに気が付かされた。

例えば、ピアノ練習が上手くいかなくて癇癪が起こる。
これは、私も幼少期に実際経験したことであり、共感できる。

逆に、コップのお茶がこぼれて癇癪が起きる。
これは、なんでこんな事で怒ってるの?と共感できないこと。

私の対応も、
共感〇→うまく弾けないと悲しいよねえ。
共感✕→拭けばいいじゃん!

私が共感できるかできないかで、彼の気持ちを代弁できないときがあるのだ。


受け止める

だが、何で怒っているのか全然理解できないのに、気持ちを代弁するのなんて無理!!!なんて思った私に先生は、
「お母さん、受け入れなくていいんですよ、受け止めれば」
と言った。

つまり、受け入れるとは賛成したり同意する事。
受け止めるとは認める事なのだ。

自分でも気持ちのもやもやの正体がわかっていない状態だから、
「悲しかったのかな?」「嫌だったのかな?」疑問形でもオッケー。
気持ちの名前を一緒に探していこうと思えばいいかもしれない。とおっしゃっていた。

私の中では、「受け入れる」と「受け止める」がごっちゃになっていて、訳が分からない状態のまま一生懸命受け入れようとしていたことに気が付いた。
共感できないようなことをすんなり受け入れられるはずもないんだから、そこは受け止めるだけでよかったんだ。


ニュートラル

話を聞いて、すっきりしたのと同時に、今までできなくて私が息子を苦しめていたのかなんて心の中がくぐもったり、でも今気づいてよかったよね。って励ます自分もいて。

何とも言えない、どちらにも振り切れない気持ち。

でも、もう少し前の私だったら、「今までできなくてごめんね」を強く引きずっただろう。
それが、気持ちが落ちる前に自分を救い上げようとできているのは、オンラインサロンで自分を見つめなおしたり、思考の変換を教えていただいたからだと実感している。

出来ないことを聞いたり、助けを求める自分を好きになれて、今のニュートラルでいられる自分を褒めたい。
そして、息子たちに対していつでも気持ちを受け止めてあげられるようになりたい。


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