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【ネタバレ】劇場版「きのう何食べた?」~感想をつらつらと~

 私は食べ物が好きだ。食べるのはもちろん、作るのも、おいしそうなものを作ってる人や収穫するところを見るのも好きだ。私のtwitterのいいね欄は、おいしそうなものであふれている。誰に見せても恥ずかしくない、たぶん。

 ドラマ版の「きのう何食べた?」は、食べ物大好きな私にとって、たまらないドラマだった。ほのぼのとした日常の中で、レシピ解説付きで料理中の映像を映してくれるところや、食卓に並ぶおいしそうな料理を、おいしそうに頬張るほほえましいおじさん二人が好きだ。
 最近amazon primeに、やっと劇場版が追加されたので早速見てみたので、今回はその感想をつづろうと思う。

 物語の大まかなあらすじは以下の通りだ。
 西島秀俊演じるシロさんと、内野聖陽演じるケンジは同棲中の恋人同士。シロさんはゲイであることを隠しながら働く弁護士で、倹約家でお料理上手。真面目で理性的だが、優しい人物である。一方、ケンジはゲイであることを隠さず美容師として働いている。陽気で大らかでお茶目な人物だ。ドラマではそんな二人が囲む食卓を中心に、二人がゲイとして生きることの葛藤を描いていた。
 
 今回の映画では、二人の京都旅行から物語がスタートする。シロさんは、周囲からゲイとして見られることに抵抗があり、旅行なんてもってのほかだったのに、ケンジの誕生日だからと旅行を企画する。しかし、あまりに素敵な旅行プランにケンジは、シロさんが病気なのではないか、好きな人ができたのではないか、捨てられてしまうのではないかと急激な不安に襲われてしまう。シロさんはそんな訳ないだろうと笑うのだが、本当はもっと違う狙いがあったと告白する。

 シロさんの両親は、シロさんがゲイであることを知ってはいるし、頭では理解しているものの、大事な一人息子がゲイであり、結婚はできないこと、孫は期待できないことを、心の底から受け入れている訳ではない。特に、母親は不安が強く、衝撃なことがあるとすぐに倒れてしまう。
 元々は、正月にはケンジを連れて実家に帰ることになっていたシロさんだったが、前回ケンジが来た後に母親がショックで寝込んでしまったことを知らされ、ケンジには来てほしくないというのだ。そのことを伝えるために、シロさんは今回の京都旅行を企画したのだった。

 こう書くと、「シロさん良い年こいて何しとんねん…親なんて無視しろ…」という気持ちにもなるが、シロさんにはシロさんなりの心配がある。そう長くはない両親の今後のことを思ったり、これ以上母親に心労をかけたくないという気遣いだったり、孫を見せられない自分にどんな親孝行ができるだろうかと考えたり、いろいろな思いある。これをケンジに伝えることにもまた葛藤がある訳だが、シロさんは両親からのこの理不尽なお願いをケンジに伝えるのだった。

 しばらく経ってから、いつもの食卓でシロさんはもう一度、ケンジに両親との件を切り出す。最初に切り出したときと同じようなさみしそうな笑顔で、ケンジは「大丈夫」と取り繕うが、そんなケンジにシロさんは「怒っていいんだよ」と優しく促すのだ。
 そんなシロさんに「怒りたかった。でも俺怒れない」とケンジははっきり伝える。(怒れないよね、怒れないよ、怒っちゃったらシロさんいなくなっちゃうかもしれないもんね)と私は泣かずにはいられなかった。この二人は、お互いにお互いのこと好きで、想いあっているのだが、いつも不安に駆られている。

 ゲイであるがゆえに、両親から認めてもらえない、世間からの理解も得られにくい、婚姻関係になれない、子どもも産めないなどいろいろな障壁があり、相手が自分から離れてしまうのではないかという不安があるのは自然なことだろう。ケンジはシロさんに「だって、俺シロさんのお嫁さんでも、奥さんでもないし」と言う。確かにその通りだ。婚姻関係で結ばれるということは安心感を生む。と同時に、切り離したくてもそう簡単に切り離せない、いろいろなしがらみも生んでくれる。

 ただ、この二人の不安は、婚姻関係がどうとか、そんな形式的なものだけに由来するものでもないと思う。この作品は、確かに同性愛者の二人が主人公ではあるのだが、同性愛者にしかわからない、同性愛者特有の感情の揺れを描いているなんて言うそんな排他的な作品ではない。人と人との信頼や家族という普遍的なテーマを描いているからこそ、多くの人が共感し涙するのだと思う。
 だから、シロさんの上司のおばさんが、嫁にリンゴをおすそ分けしようと思ったら「いりませんってきっぱり言われちゃった」と肩を落とし「姑と嫁だからね。会いたくないし、来てほしくもないんだと思う」といったことをシロさんにこぼすシーンがある。異性婚の間でも同じことが起こりうるということを示しているのだ。

 映画の中で、シロさんは両親に改めて会いに行く。「会いたくない、来ないで」ということがとてもケンジを傷つけたこと、自分も正月には帰らないでケンジとともに過ごすことを伝えるのだ。いろいろな葛藤まみれだった、あのシロさんが親にちゃんと怒ることができたのだ。

 そして物語の最後に、シロさんのお母さんが「これからは、あなたはあなたの家族を一番大事にしてね」と伝えるシーンがある。あのめちゃくちゃ不安の強いお母さんが、理想の息子を良い意味で諦め始める。ここにシロさん親子の関係性の変化を見た気がした。

 ケンジがシロさんに「シロさんとずっと二人。すっごく幸せ。(中略)でも、二人だけじゃだめなんだよ。俺たち二人だけで生きてる訳じゃないからさ。だから、シロさんはこれまで以上にお父さんお母さんと仲良くしてね」と言う。そう、二人だけで生きていきたいと思っても、そんなことは不可能なのだ。この作品自体、同性愛の二人だけの世界を描いたラブストーリーではなく、いろいろな家族の形を描いた物語なのだ。

 
 こんな風に書いていると、家族葛藤を描いた重苦しい話のように聞こえるかもしれないが、おじさんたちのかわいらしいやりとりもコミカルで魅力で思わず笑ってしまう。そして、おいしそうな料理が出てくれば、どんな重苦しい話も一旦忘れて、視聴者も一緒に食を楽しむ。生活ってそうなのだと思う。どんなに嫌なことがあっても、不安なことがあっても、我々は食べて寝て働かないといけない。ずっと嫌なことばかり考えている訳ではない。この作品を見ていると、そういう生活の一部分をのぞかせてもらっている気分になる。これからも二人の何気ない日常が続いていくことを切に願う。

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