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特集『海の向こうのもう一つの家族』


 日本との縁が深く、新型コロナウイルス禍でもさまざまな交流が行われている韓国・釜山。そんな釜山には、日韓の友好を心から願い、活動する人たちがいます。その1人が、カフェを経営するジャン・ユンチャンさん。今回、ユンチャンさんがどんな経緯や思いで活動をされているのかを聞きました。

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日本を愛する釜山人 vol.2
張 允暢(ジャン・ユンチャン)さん

カフェ「Caffeinated」オーナー

自身の店で日本人観光客向けのサービスを提供してきた。
日韓友好を目的として活動する社団法人「ぷさんさらん」とも協力し、
ボランティアでイベント活動を展開している。



幼いころから身近だった「日本」

 ユンチャンさんはもともと、日本に特別な関心があったわけではありませんでした。「周りには日本を嫌っている人もいたが、自分は特に気にしておらず好きでも嫌いでもなかった」と言います。学校では日本と韓国の歴史的な因縁について学んだにも関わらず、ユンチャンさんはなぜそれが気にならなかったのでしょうか。
その背景には、日本に留学していたというおじいさんの存在がありました。

 

 日本人を含めた海外の友人が多かったというおじいさん。ユンチャンさんが家の電話に出ると、日本語や英語が聞こえてきたことも多くありました。「もしもし?」と言われれば「ちょっと待ってください」。「ハロー」と言われれば「ジャストモーメントプリーズ」。当時は、この2種類の返答を覚えて使っていたそうです。

 そんな環境で育ったこともあり、幼いころから外国人に対する偏見を持つことはありませんでした。普段メディアで聞く日本人の悪いイメージにも惑わされることはなかったといいます。



17歳、日本人との出会い


韓国の年で高校3年生の時、ユンチャンさんは交換留学生として一人名古屋へ渡りました。

「日本に行ったらみんな本当に優しかった」

ユンチャンさんがインタビュー中に何度も口にした言葉です。


日本ではこんな出来事もありました。

ある日、ユンチャンさんのもとにやって来たお年寄りのご夫婦。突然、ユンチャンさんに謝ってきたといいます。

「昔、日本が韓国に悪いことをしてごめんね」

この言葉に、当時17歳だったユンチャンさんは衝撃を受けました。日本語はまだ話せませんでしたが、勇気を持って話してくれたその夫婦の気持ちが十分に伝わり、心から感動したそうです。

 

家族がいる大好きな国


日本留学中、ショートステイを合わせると、5つのホストファミリーがユンチャンさんを受け入れてくれました。複数の家庭での生活を経験することで日本文化に対する視野を広げるという趣旨があったこの留学プログラム。この5家庭との出会いは、その後のユンチャンさんの人生に大きな影響を与えました。

名古屋の高校に一年間通ったユンチャンさん。出会った日本人は皆、両国間の複雑な関係性を感じさせないほど仲良くしてくれました。ユンチャンさんは、その中でも特にホストファミリーのお父さんとお母さんに恩を感じているそうです。

「今も連絡を取っています。誕生日には電話もするし、この前は韓国のマスクを欲しがっていたので、韓国海苔とハニーバターチップ(韓国で人気のスナック菓子)と一緒に段ボールに詰めて送ってあげました。親のように思っていて、家族として過ごしてきたのです」

当時はちょうどユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)や東京ディズニーシーがオープンした時期で、日本のお父さんとお母さんは、ユンチャンさんをいろいろな場所に連れて行ってくれました。「学校の勉強だけじゃなくて、せっかくだからたくさんの経験をさせてあげたい」という思いからでした。ユンチャンさんを本当の息子のように、家族の一員として受け入れてくれた日本のお父さんとお母さん。ユンチャンさんは、そのように尽くしてくれたホストファミリーの気持ちが一番嬉しかったそうです。



❝仲良くなれる❞確信と新たな決意


ユンチャンさんは日本人と実際に触れ合ってみて、マスコミを通じてイメージしていた日本と実際の姿が全く違うことを肌で感じました。

「韓国と日本は、明らかに互いを誤解しています」

だからこそ、不要な争いまでしてしまっているのではないか—。両国の人々を見て、非常にもったいないと感じたそうです。

気づけば、「互いを知りさえすれば、絶対にもっと仲良くなれる」という確信が生まれていました。

 政治的な問題を解決することは難しいけれど、民間の次元だからこそできることがあるはず。それは、個人のレベルでそれぞれがもっと近づき、コミュニケーションを取り、理解していくこと。「自分たちだからこそできることをやっていきたい」と感じたユンチャンさんは、ある決意をするようになります。

 

「韓国に帰ったらもっといい大人になって、僕が日韓の懸け橋になる!」

ユンチャンさんは、ホストファミリーにそう宣言して帰国しました。帰国した後は釜山の大学に進学し、国際観光学科を専攻。大学では日韓交流のチャンスがあれば積極的に参加しました。国際交流プログラムで大学の留学生たちのサポートをしたり、札幌の姉妹校との交流プログラムに参加したりもしました。日本の家族との約束を胸に、なるべく外国の学生に関わるため、努力を続けた学生時代でした。

 

 

苦労を乗り越え前へ


「日本と韓国を繋げたい」という熱い思いを持って活動していたユンチャンさん。しかし、人生は順風満帆ではなく、苦しかったこともありました。

 実は日本での起業を目指していました。ユンチャンさんは大学卒業後にもう一度、大好きな名古屋へ戻ります。「日本のみんなに韓国のものを紹介したい」という思いがあり、バイトをしながら経験を積むことにしました。

 しかし、当時リーマン・ショックに伴う不況で働き口が見つからず、日本では生きていくだけで精一杯の日々に。「せっかく来たから何でもやってみよう」と自分を奮い立たせましたが、2011年に発生した東日本大震災が追い打ちをかけます。名古屋も間接的な被害を受け、ユンチャンさんは食べたい物も食べられない、苦しい生活を余儀なくされました。

 そんな時に助けてくれたのが、留学時代お世話になったホストファミリーの方々でした。食べ物に困っていたユンチャンさんに食事を提供し、いつものように温かく迎え入れてくれました。

「彼らの助けがなかったら、あの時期を耐えることはできなかった」と、今も優しさを噛みしめています。

 

 2017年秋、ユンチャンさんは釜山のあるホテルからカフェをやらないかと提案を受けます。日本人観光客が多いそのホテルで、日本人は何が好きなのかを理解している自分がサービスを提供すれば、きっと意味のある仕事になる。そう思ったユンチャンさんは、ホテルの隣に『Caffeinated』をオープンしました。「日韓の懸け橋になる」という思いが仕事として形になり、動き始めた瞬間でした。

 店では日本人のためのサービスを意識して、日本語のメニューを用意したほか、ウォンがない日本人には円での支払いもできるようにしました。また、韓国のカフェにはないモーニングセットを日本人向けに開発。コロナ禍前はモーニングを食べて旅行に出かけるお客さんを見送るのが日課だったそうです。インタビュー中、ユンチャンさんは、留学時代に大好きだった喫茶店「加藤珈琲」でよく朝食を済ませていたことを、思い出深そうに語ってくれました。

 釜山で自分の店を開いた後もコロナパンデミックなどの困難は多々あったものの、周りの人々の助けで乗り越えてきたユンチャンさん。人との絆によってできることを増やし、着々と活動の幅を広げてきました。

 

 

日本で見つけた叶えたい夢


「日本はどこに行っても、買いたいものが多いことが羨ましかった」
日本で最も印象的だったことを、そう語られたユンチャンさん。日本ではどの地域にも特産品やご当地グッズなどがあり、その地ならではの魅力的な商品が売られていることに気づきました。

「韓国も良いものは沢山あるのに、なぜお土産を作らないのだろうか」と疑問に思い、釜山ならではの商品を作ることを決意しました。


 釜山は昔から日本との交流が特に盛んな地域。貧しかった朝鮮の人々に栄養を届けるため、日本から伝わったサツマイモの栽培に初めて成功した場所でもあります。
 ユンチャンさんはそうした歴史に着目し、「さつまいもキャラメル」を開発しました。コロナの影響もありまだ発売できていませんが、韓国の観光公社やメディアにも取り上げられ「意味のある挑戦をすることができた」と語っています。

「日本のように、どこに行ってもその地域の特性が表れている製品を作るのが夢です。韓国でもそうした産業が発展していくよう、これから自分が良いものを作っていきたいです」


真心をもって❝人を愛する❞


キリスト教徒であるユンチャンさん。幼いころからずっと守ってきたという聖書の教えを一つ教えてくれました。

❝自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい❞

マタイ福音書22:37-39

 ユンチャンさんはこう考えます。
「自分も他人もどれほど貴重な存在かを理解し、どんな人であっても真心を持って接すること。時にはそれが難しいこともありますが、それでもこの教えを守ろうと意識して、いつも必死に生きてきました」

 日韓関係には葛藤もありますが、国籍や文化で判断するこのではなく、両国の人々を真っ直ぐに愛するべき—。ユンチャンさんにはそうした素敵な信念がありました。ユンチャンさんが生涯大切にしてきたことが、今、日韓友好の活動に強く結びついています。

 

 

ユンチャンさんから日本の皆さんへメッセージ

「早くコロナが終わることを願っています。実際に会わないと心が通じないこともあるし、好きになるためには互いの文化を実際に経験することが大切です。実際に会えば凝り固まったものも溶けるはずです。コロナが終わったら、お互いにたくさん行き来しましょうね。僕がまず一番に行きたいのは名古屋です。一番会いたい人たちがそこにいるから」



あとがき

 取材をしながら、まず私が何よりも強く感じたのは、周りの情報や風潮に左右されずに日本人を信じ知ってくれたユンチャンさんへの感謝の思いでした。確かに、メディアで見るような素行の悪い日本人がいるのも事実だと思います。しかし、それで日本人全体のイメージが決まってしまうのはとても残念なことだと思っていました。

 私自身も韓国への留学経験がありますが、日本人としてどんな印象を持たれているのか気にしてしまうことがあったのを覚えています。ネット上で、日本人に対する偏見で溢れたコメントを見かけたのがその原因でした。しかし実際に韓国で暮らしてみると、ユンチャンさんのように、日本人であろうと偏見を持たずに一個人として私の性格や個性、価値観を知ってくれる韓国人がたくさんいることを知りました。もはや、私の事を日本人という理由で差別してきた韓国人は、5年間の留学生活の中で”0人”だったのです。

 私は一人の日本人として、ネガティブな報道の裏に隠れてしまっている日本人の本当の姿、本来の良いところを、もっと多くの韓国人が知ってくれたらいいなと思います。逆もまた同じで、韓国の事を好きになれない日本人の方がいたら、日本にいるだけでは見えない韓国人の良さ、韓国の本当の姿を、これからもっと日本に伝えていけたらいいなと思います。そしてこれから、ユンチャンさんのような方々の想いが実を結び、日本と韓国の全ての人々が手を取り合える時が来ることを願っています。

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