日記:2020/2/19(水)

맑음. When I went to work this morning, I found flowers of 福寿草 (Adonis ramosa) blooming in the garden right across from my apartment, glaring like neon yellow spots of light.  西の山のくぼみに積もった雪が、날개를 편 나비 같은 모양을 하고있다. Je pouvais la voir chaque hiver, mais il y avait peu de neige cette année à cause de l'hiver doux, et enfin j'ai pu voir ce papillon en février.

※「読みやすく説得力のある文章」がトレンドである何かと世知辛いインターネッツ・ライフですが、当日記は「そう簡単に読まれてたまるか」という趣旨でやっていく所存です。よろしくお願いいたします。

引き続き、金井美恵子『目白雑録5 : 小さいもの、大きいこと』。

 さて、今さら言うまでのことでもないのだが、私たちが日々接しているメディアにあふれている言葉や感性といったものは、そうした作品言葉の作者が独特の資質や個性を持っている、ということとは、たぶん、正反対のものなのだ。私たちの読む言葉と書く言葉は、文学と呼ばれるものを含めてそのほとんどが書き手はちがっても驚くほどそっくりである。
(pp.135-136、太字は本文では傍点)
(…)「創作家」は、ことにあたっての沈黙が許されていない存在であることがメディアによって暗に告げられているようでもある。「誰がいつどう描いたかがあらゆる分野で徹底検証される時」が「将来」あるのだという高揚した口振りには、沈黙している「創作家」たちをどこか威すような調子があるではないか。
(…)
 ロラン・バルトが、ファシズムについて、それが本当に恐ろしいのは、何かについての沈黙を強いることではなく、何かについて語ることを強いることだ、と書いていることが思い出されるではないか。
(pp.148-149、太字は本文では傍点)

何かしらの災害時や「非常時」と呼ばれる事態が生じたときは特に、「語ることを強い」られていないか、ことばの液状化現象に加担していないか、つねに警戒する必要がある。

読んだ記事:

ボリウッド映画界では近年LGBTQ+の人物を主人公にし、かつ彼らを「軽蔑、揶揄の対象」として描かない作品が作られはじめている、というBBC Cultureの記事。急速な都市化やインターネット技術の発達が、(インドの都市部だけでなく地方の小さな町に至るまで)伝統的な障壁を解体する一因となっているのではないか、と記事は分析している。インタビューを受けた映画批評家のAnna M M Vetticadは、ボリウッドのロマコメ・ジャンルにおけるLGBTQ+表現に風穴を空けた作品として"Dostana" (2008)を挙げており、一方同じく批評家のParmesh Shahaniはその描写の問題点を指摘しつつも、次のように述べる。

“(...) Importantly, the film was used by the queer community to come out to our families –we did’t have the language for it before that.”
重要なのは、この映画がクィア・コミュニティが家族にカムアウトするために使われたということです――それまで私たちは(カムアウトするための)言葉を持ち合わせていませんでした。

なお、本記事で取り上げられている多数の作品のうち、海外で多くの映画賞を受賞した(インド国内での受賞なし)Faraz Arif Ansari監督による「インド初のサイレントLGBTQ+映画」“Sisak“(2017)は、監督自身のYoutubeチャンネルで全編(約16分)が公開されている。一切セリフのない作品なので是非ご覧あれ。※彼の次回作"Sheer Qorma"(現在撮影中)は女性同士のラブロマンス映画で、キャストとスタッフがほぼすべて女性である点でも画期的な一作となっている、とのこと。今後の公開が楽しみ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?