「午後の曳航」

三島由紀夫作「午後の曳航」を読み終えました。

この本を読み始めた理由は三島由紀夫さんが書いた作品だからです。
大人は、子供のときに描いた栄光や自由など捨てなければ大人になれないのかもしれません。
この本のクライマックスからの結末は鮮やかでした。

私は幼少期から人と異なる考え方を持ち、その正しさのために人と話が衝突するとなれば、「争いは嫌いだから」と自ら人との関わりを断ってきたように思います。
しかし大人になるにつれて、そのような「自由な生き方」に孤独を感じるようになりました。そして私は栄光や正しさを捨て、日々の中に疑問や痛みを感じず、衝突のない鈍感で平和な大人になることを決めたのです。

しかし、登場人物の竜二と登はこの栄光や自由を信じて生きていました。
竜二は大人の立場から、登は子供の立場から、それらを大切にしてきたように、それらの信条は私自身が守ってきた感情でした。物語が進み、竜二がその夢や希望を捨てたことでだんだんと情景が殺伐としていくのは、大人になるという残酷な現実がその栄光や自由と敵対しているからだと思います。登は社会からの呪縛に縛られぬよう、希望と夢の存在を信じ、子供として最後の自由を行使するところで物語が終わります。

私は本を読んでいる最中、竜二が一度捨てた希望をもう一度信じるかしんじまいかとする葛藤を私自身と重ねていると、竜二のように後悔して死ぬのが怖くなりました。大人になる過程で失くしてしまった自由や栄光を、もう一度拾って、反芻して、大切なものとしての感覚を取り戻していく…それが大人になった私への使命であるように感じます。

社会が求める理想像になることが社会に生きる私たちには求められるかもしれません。しかし、子供のころから持っている感性、夢や自由はぞんざいにせず、大切にする。やがてそれが自分を信じる力になるのだと思います。

私もこの物語から学び、自身を信じることで何かを成し遂げられるような人になりたいです。

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