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私が世界一周をして手に入れたもの


 日常を忘れ、リフレッシュしたい。帰る場所のありがたみを確かめたい。見たことのない物を見たい。サバイバル能力を高めたい――旅に出る理由は人それぞれだと思います。

 私自身は、小学生の時に百科事典を読み、世界には見たことのない物がたくさんあることを知り、「いつか大人になったら世界一周したい」と思いました。両親が旅好きで、幼い頃から各国に連れて行ってもらったことや、幼少期に父親の仕事の都合で、香港とシンガポールに住んだことも、その考えに拍車をかけました。旅の目的地では、その土地でしかできない経験ができ、生(なま)の体験からは、誰かのフィルターを通した写真や文字情報からはこぼれ落ちる様々な情報が得られることを知ったのです。

 休みごとに家族や友人と観光旅行に出かけたり、海外で短期留学をしたり、青春18きっぷで日本一周してみたり……いろいろな旅を経験しましたが、まとまった期間を「世界一周旅行」にあてたいという想いは、大学に入学してから日に日に募っていきました。そして、大学生活最後の1年を、私は「世界一周」に費やしました。就職先が決まり、大学の卒業に必要な単位を全部取りきって、卒業までの約1年、実質的な「猶予期間」を得た私は、内定を得た翌日から世界一周旅行に向けて準備を始めました。

 旅費は自分でも貯めていましたが、より大きな企画にするために、まずはブログを立ち上げ、協賛企業を募り、企業にアポを取って営業を開始。世界一周の本をページのカドが丸くなるまで何度も読み込み、専門の旅行代理店で旅程を相談し、「世界一周航空券」を購入。滞在国が決まった後はビザの取得と予防接種。大きなバックパックや、バックパッカー向けの安宿で必要になるであろうバケツ(洗濯したい時に必須)や、旅行先で出会った人にあげるお土産、画質の良いカメラなど、時間をかけて必要な持ち物も集めていきました。

 そして、同じように「大学時代に世界一周したい」という夢を持っていた友人と一緒に、2008年の秋に日本を旅立ちました。卒業論文の締め切りに間に合うように帰国するため、タイムリミット「70日間」で14ヵ国をまわる旅。少し駆け足にはなるけれど、イースター島(チリ領)から始まり、チリ、ボリビア、ペルー、スペイン、モロッコ、エジプト、ケニア、ヨルダン、イスラエル、インド、ネパール、タイ、カンボジア、ベトナム、という世界一周経験者の間では「東回りルート」と呼ばれるルートを辿りました。

ちなみに「世界一周」の定義は「太平洋と大西洋を同一方向に超えて、スタート地点へ戻ること」であり、訪問する国の数は関係ありません。ただ、複数枚の航空券がセットになった「世界一周航空券」を使用すると、別々に各国を訪問するよりもかなりお得に訪問できることから、この「世界一周航空券」を利用した旅人が多いのです。

 私が世界一周旅行に出かけたのは2008年。この原稿を書いているのが2020年なので、約12年の歳月が経ったことになります。若い人には「世界一周をすれば人生が変わりますか?」と質問されることが多いので、改めてあの時の旅が私をどう変えてくれたかを考えてみたいと思いますが、結論は、「思い出が増えた」という凡庸な回答になってしまいます。

質問する側は「インドでガンジス川に飛び込んだら人生観が変わった!」「イスラエルでパレスチナ自治区の住民と触れ合って国家観が変わった!」などの、何もない自分が世界一周経験を経て、人間的に大きく成長し、人生の転機が得られた」という安直なストーリーを聞きたがっているように思います。けれど、私が実際に手にしたのはその正反対のストーリーで「場所が変わったくらいで、自分という人間は変わらない。どこにいても誰といても、自分は自分で、この人生から逃げることは出来ない」という絶望したくなるような現実でした。

 とはいえ私自身も、世界一周に行く前は、心のどこかで「この旅が私の人生を何らかの形で変えてくれる」と思っていたような気がします。それは半分事実で、半分は幻想でした。実際は、アクシデント続きの旅の道中に、日頃から感じていた自分の嫌な部分は、改善されるどころか、普段よりも目立って見えてしまい、自己嫌悪が深まりました。旅先ではどこへ行っても、日本での自分の暮らしがいかに恵まれていたかが身にしみましたが、それは戦争映画を見た後の束の間の感動と同じように、日常に戻るとともに薄れていきました。

 結局、人生は、今、自分の生きる場所で展開されていき、運命を変えるためには、ただ環境や出会う人を変えるのではなく、時に苦痛を伴う泥臭い努力をするしかないのだと思います。「自分の人生を変えるのは、自分である」ということと「人にはそれぞれ、生きる場所と向き合うべき運命がある」という逃れられない事実に向き合えたことが、この旅の一番の収穫でした。その他にも、たくさんの思い出と、体感を伴う地理感覚と生(なま)の知識を得ることが出来たと思います。

 私が訪れた直後に、パレスチナは空爆を受けました。新聞でそのニュースを知った時に「もう『知らない場所』の出来事ではない、あの時私が見た街と、すれ違ったかもしれない人々が攻撃を受けているのだ」と胸が痛みました。その胸の痛みは、パレスチナを実際に訪問する前に感じていた痛みよりも生々しいものでしたが、私が世界一周したところで、世界は何も変わらないし、私が出来ることも何も変わらないという現実を突きつけられたに過ぎません。パレスチナだけではありません。世界には様々な場所で、様々な理由で苦しんでいる人がたくさんいて、それぞれの闘いを生きています。私もまた、闘う人間の一人です。たとえ世界の現実を変えたくても、そのためにはまず、自分のいる場所でしっかりと闘うしかないのです。

 私が旅に行く理由は「あの時、あの人と、あの場所にいた」と思うため、一言で言うと思い出作りです。「そんなことか」と思うかもしれませんが、その思い出が、今の私を作り、辛い時に私を支えてくれます。

 あの時、チリで喧嘩し、ボリビアで揃って高山病で倒れ、各国で交代で見張りながらトイレやシャワーに行き、サハラ砂漠で一緒に流れ星を見た友人は、国際結婚して、今はアジアのある都市で暮らしています。私は、なんだかんだで世界で一番好きな場所「東京」で、愛する人と事実婚して、昨年、子どもを産みました。

 旅の後も人生はずっと続いていきます。今の日本は、命が脅かされるような苦しい場所ではないにしても、それぞれの闘いの日々の中で、誰の人生にも、「この人生で、こんな自分で、良いのだろうか」という迷いや、疲れる瞬間があると思います。私にも、もちろんあります。そんな時に、ふと蘇える旅の思い出は私を癒やしてくれます。それが、私が旅に出る理由かもしれません。

▼6月16日発売のこの本のに掲載されています。(※note用に改行など調整しています

▼世界一周の体験は文庫になっています

【以下は、note限定。世界一周前に読んだ本やオススメの本です。】

▼世界一周前に何度も読んだ本。同じ大学生である岩本さんが、世界一周して本を出していることに憧れました。知り合いの知り合いなので、大学一年生の時に一回だけ電話で喋って貰ったことがあります。嬉しかったな―!

▼私の世界一周のルートを作ってくれたのは、世界一周航空券の専門家の角田さん。

▼この本を何度も読みながら、持ち物やルートを決めました。大学時代は高橋歩さんに憧れて、イベントに行ってお話を聞いたことも。ステージに裸足で上がって、地べたに座るスタイルで喋る高橋さんがとても自由で、かっこよく見えました。

▼高橋歩さんの本で一番好きなのはこれ。高橋さんのパートナー論。

▼そういえば私、こんな本も出してます。宣伝!(国内旅行本です)


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