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オススメ映画「チャイコフスキーの妻」~押しかけ愛の鬱陶しさを妻の立場で描く~

 ケン・ラッセル監督を思い出しました。過激な作風とエキセントリックな言動で知られたイギリス出身でハリウッドではメジャーな映画監督。「恋する女たち」1969年、「ボーイフレンド 」1971年、「肉体の悪魔」1971年、など狂気を纏った耽美主義的映像が素晴らしい、けれど好き嫌いがはっきり分かれた監督でもありました。本作のキリル・セレブレンニコフは私にはお初でしたが、印象派風の正統的画面作りに織り込まれる演劇的な狂気、その意味で極めて興味深く鑑賞出来ました。

 今で言うストーカーで、一方的に愛を押し付け、それも大胆不敵、尋常を遥かに超えた求愛の顛末を描く。何を見て彼女は著名な作曲家を好きになったのか、ピョートル・チャイコフスキーの何が彼女をそうさせたのか? その肝心が今一つ納得ゆかない、見た目はピーター・サースガ―ドのような品のある優男、セリフでも何がってその全てとしか言ってない。とすると彼の曲に心底惚れたのか? 

 迷惑千万なのはチャイコフスキーなのは明らかで、デリケートな作曲に神経逆なででは困り果てて当然。にも関わらず、押しかけ愛の純情についほだされ神の前で結婚を誓ってしまった。やがて彼がゲイであることがわかった挙句も何ら変わることなく、いやそれ以上に狂気を帯びつつも懇願する。この辺りは「マエストロ: その音楽と愛と」2023年 のレナード・バーンスタインに対する妻フェリシアとは大分異なる。

 しかし見どころは、妻アントニーナの側に立てば悪妻と噂されようが一途な愛であり、即刻悪とも言い切れない辺り。しかも弁護士と結構激しい性愛を営みながら、チャイコフスキーの妻であることに固執しその名誉を守ることに必死の様相。扮するアリョーナ・ミハイロワの硬い美貌がジェーン・バーキンを思い起こさせ、それこそが美ではないかと錯覚もしてしまう。後半は、夫からの離婚要求をのらりくらりかわす話に終始するも、歪が生み出す妄想も挿入され、冒頭記したケン・ラッセル化してゆく。間違ってはいけません本作の主役はチャイコフスキーではなく「その妻」なのです。

 ちょいと前にはボレロの作曲家ラベルを主役とした映画「ボレロ」公開されたばかり、手を変え品を変えてのボレロ漬けの作品でした。が、続けての天才作曲家の映画と思ったら、本作ではまるでチャイコフスキーの曲が鳴らないのです。そう主役は妻アントニーナなのだから。

 ほとんど自然光のみの暗い撮影で、名画がそのまま動くような映像美で展開される。鏡を巧みに心象風景に取り入れ流石の映像美に感服する。レストランのトイレにまで押し掛けたシーンの鏡が実に分かり易い。結構な群衆も登場し大作感もたっぷりであるが、監督の主眼は女の心理分析にあるようで。チャイコフスキーの仲間により、集められた5人の若く美しい肉体を持つ男を全裸にし、女に差し出すものの、てっきり拒絶するかと思ったら、言われるままに1人の男をチョイスし、そのイチモツを握りしめるシーンが強烈です。なんてことなく醜女の深情けでもなければ、純情処女でもなかったわけで。さらにラスト近くの妄想ではまたまた全裸男が集団で女と踊りまくる映像まであり、それこそチャイコフスキー本人に見せれば泣いて喜ぶはずなのにと思う。

 夫婦の泥仕合の結末は、映画冒頭のチャイコフスキーの葬儀に辿り着く。女性の地位の低さがセリフのあちこちに示される時代背景にも思いを寄せなけれはならない。ただ一つ明確なのはチャイコフスキーがほだされずに断固結婚を拒否していれば起きなかった悲劇。といったって妻をめとらなければ何を言われたか、自らの性的指向を自覚していたとしても貫ける時代ではないわけで。こんな旧悪な離婚合戦の最中にあの「白鳥の湖」を作曲していたようで、アントニーナの厄介がマイナスに働いたのか、ひょっとしたらプラスに働いたかもしれない。

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