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真面目は相手を満たす手段

「真面目」

これは私の今までの短い人生で
とても役に立ってきた

言うことを聞いていれば、
空気を読んで相手が望んでいることをやれば、

大人たちに
「偉いね〜」と言われ褒められてきた

しかし...

歳を重ねるにつれて
何のために真面目であるのか?
疑問を抱き始め、どこか違和感をを感じていた

そして、この言葉に出会い
「真面目」である意味の答えが出た

真面目であることは
相手の都合の良い人間であるための
手段であったのだ

つまり、真面目になることは
投げられたフリスビーを尻尾を振りながら
取りに行く従順な犬になることだった

だから、「真面目」は
自分らしさや武器ではなく

むしろそれが強みだと思っている人間は
つまらない、価値が少ないなのだ

相手を満たすこと

それは確かに素晴らしい能力かもしれないが

自分自身が、
誰にも置き換えられない
唯一無二の価値を見出す為には
それでは足りない

"エゴ"
すなわち自分勝手さも必要であるのだ

相手の想像や許容の範囲内で行動するのではなく
自分で新たな範囲を形成するべきである

上の画像の人物は、他の場面で

対応力=自分勝手力 と表現していた

与えられた課題に対して
どれだけ自分勝手にできるか

それが芸術における、不可欠な武器であるらしい

つまり
規律と自由のバランスの中で
自分にしか出せない価値を見出す必要がある





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