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Judge a book by its contents

Chris Young, Kane Brown - Famous Friends


知識の冷淡な高尚さなど、キリスト教からすれば、真剣さの高まりであるどころか、冗談であり虚栄だ。

死に至る病 セーレン・キェルケゴール


はじめに

 錯視や認知バイアスがあるように、人間の『脳』は意外と信用できないところがあります。地下に続く階段を降りようとしたら”床に描かれた絵”だったり、「魚の絵を描いて」と言われたら、ほとんどの人が魚の”頭を左側にして描く”ように、いつの間にか思い込んでしまっていることがありますね。

 そんな脳の中には『シナプス』と呼ばれる接続部分があります。聞いたことがある人も多いと思いますが、このシナプスには2種類あるのです。

 阿. 化学シナプス
 吽. 電気シナプス

 この2つです。それぞれに特性があります。

【い】 
 化学シナプス… 信号が伝わる方向は一方向(A ⇒ B)
 電気シナプス… 信号が伝わる方向は双方向(A ⇄ B)

【ろ】
 化学シナプス… 複数の信号を合成できる(α + β = γ)
 電気シナプス… 信号の合成はできない(δ = δ)

【は】 
 化学シナプス… 信号を伝える時間は1/1000秒
 電気シナプス… 信号を伝える時間はほぼ0秒

 『一長一短』のようになっていますね。いろいろ言い換えてみると、

 化学シナプスは一方向にいくので『原因 → 結果』の流れになりますが、電気シナプスは双方向ですので、どちらがどちらか判らなくなります。化学シナプスは信号の合成ができるので、いろんなアイデアを『結合・交換』することに向いていますが、電気シナプスはそれらができません。代わりに、信号が伝わる時間がほぼ0なので”条件反射”のような動きや思考をすることに向いていますね。しかし、その分”単純”な動きや思考パターンになりがちです。電気シナプスは信号の合成ができませんが、1つのことに『集中』する場合はこちらの方が良いでしょう。

 原因、結果、結合、交換、条件反射、単純、集中…

 これらは生活の中、そして仕事の中でも大切な要素になっていると思います。どんなときにどんな行動や思考をすることが望ましいのか…”いつも同じ”である必要はあるのか…

 それでは本題にいきましょう。



a. 根性論は"奥の手"で使うもの

 昔から『根性論』の是非は問われてきました。身体が壊れるまでやることが正しいかのような考えで、特にスポーツでは広く用いられています。その他にも社会に出てから困難な仕事を乗り越えるために必要な精神論として根強く残っています。

 ただ、昭和から始まった根性論ですが使い方を間違えているのです。どう間違えているのかと言うと、根性論は、

 ”最初”から使うもの ではなく
 ”最後”に使うもの なのです。

 それなのに根性論を標榜している人たちは、なぜか”最初”から使おうとするのです。根性が勝敗や可不可を分けるのは、やるべきことを全てやって、それでも足りない場合(つまり”最後”)に出すと、劣勢が覆ったりすることがあるから「根性が大事だ」となるのです。しかし、現在は”最初”から使っています。ではなぜ、最初から使うようになったのか?

 先に答えを言うと『能力が劣っているから』です。

 言うまでもなく、能力が劣っている者は普通の人や秀でている人よりも『先』に窮地に追いやられますね。ですので、『先』に根性を出す必要があるのです。これが、普通や秀でている人から見たときに「根性を”最初”から出している」ように見えるのです。
 そして、こっからが問題というか、根性論が嫌われるようになった原因なのですが、自分が最初から根性を出しているからといって、他人にまで最初から根性を出すことを強要するようになったんですね。

 ”能力の高低”は人によって全然違いますから、最初から根性を出す人もいれば最後の最後に出す人、あるいは全く出さなくてもいい人など多種多様です。まぁ当然ですね。それなのにみんなに最初から出すことを強いるのですから、そりゃ嫌われますよ。

 普通の人や秀でている人に対する劣等感のようなものから、そうなっているのかもしれませんが、それも間違っています。
 たとえば能力が秀でている人は、『秀でている者同士の戦い』があるのです。そのときは最後には根性を出すこともあるでしょう。なぜなら、相手が自分と同じかそれ以上の能力の持ち主なので、余裕をかましている場合ではなくなるからです。

 格闘技などで根性を”最初から出す必要がある設定”にしていることもあります。ボクシングの”階級”が細かく分かれているのは、お互いが同じ条件(同じ体格・体重)ですから、最初から根性を出す必要がある確率が高くなりますね。
 そして、重量級の選手が軽量級の選手を相手に根性を出すわけにはいきません。個人的にキックボクシングをやっていたことがあるので少しは判るのですが、もし重量級の人が根性を出して”本気”で軽量級の人を殴れば即死しますから。

 獅子は兎を狩るときも全力を出す

 よく聞く言葉ですが、これは”野生動物の世界”の話であって”人間の世界”の話ではありません。

 そして、スポーツや格闘技でそう言えるなら、学問においても同じことが言えるでしょう。習ったことがない人は”知らなくて当然”なのです。なぜなら、習ったことがないからです。『知識』とは、教えたとしても理解できる人とできない人がいますが、少なくとも独占するようなものではなく、共有するものであるべきだと考えます。

 


α. 『根性』 と 『懇情』

 あのね、”最初から根性”ってのは、おっさん世代に判りやすく言うと「いま使っておるのがその10倍界王拳なのだ・・」ってやつやな。ドラゴンボールのフリーザ戦のときの界王さまのセリフやね。つまり、

 劣っている人… 10倍界王拳孫悟空
 普通・秀でている人… フリーザ

みたいな感じや。
 そのくらい能力・実力に差があるなら”最初から根性”やないとあかんやろ。でもフリーザの立場(普・秀)ならそうはならんし、実際そうやったやん。んで、『同じレベル同士』ならお互いに”最初から根性”になるけど、その場合でも最後の最後まで出さんやん。なぜなら、根性ってものは体力が無くなってから出すものであって、体力があるうちに根性って”意味不明”でしかないわけで。

 会社の中でもボクシングみたいに階級を細かく分けてくれとるなら、根性の出しようもあるけど、そんな風にはなってないやろ。同じ会社の中の同じフロアにハイパフォーマーからローパフォーマーまで混在しとったり、なんなら誰が成果を出してるのか判らんようになっとるとこもあったりね。

 そういう環境なら根性出すような機会に遭遇しにくいんやないかね。劣っている者が秀でている者に根性出して挑んでも”突っかかってるだけ”みたいに見えるし、同じくらいの能力同士の争いも「誰のための仕事をしてるんだ?」みたいになるやん。お客さんのための仕事なのか、相手に勝つための仕事なのか、分からんなるのよね。
 まぁこれは『成果主義』ってものの欠点でもあるかな。

 多くの人が今は大学まで行くことが当たり前になっとるやろ。ってことは、社会に出る前にいろんな『競争』をしてきとるわけやんか。試験だったり試合だったりね。
 んで、就職も『競争』みたいなもんやけど、それを乗り越えて就職して「やっとゴールにたどり着いた〜」と思ったら、その先も『出世競争』がある… ずっと競争してて休まる暇がないのよね。

 なによりその競争が”お客さんのためになってるのか?”ってのが気になるところよね。会社の存在意義(ぱーぱす)ってそこやん。それを抜かして単に「成果を出したい、勝ちたい」とか本末転倒もいいとこやで。ただの”自己満足の仕事”になってしまう。

 けどね〜、こういうことも若い子たちは薄々気づいてると思うで。なんとなく雰囲気で伝わることってのがあるやん。やから、”静かな退職”とかが出てきたんやろうし。競争を強要する環境ってのも、逆にやる気を削ぐことになるんや。

 ちなみに漫画の主人公が真の力ってものに目覚めるときって、だいたい『感情』なんよな。

喜… ?
怒… スーパーサイヤ人(ドラゴンボール)
哀… 無想転生(北斗の拳)
楽… ギア5(ワンピース)

 これらがある。
 スーパーサイヤ人は『怒り』によって、無想転生は『哀しみ』を背負うことで、ギア5はなんか笑っとるし心臓の鼓動がリズムを刻んどるから『楽しい』のやろな、多分。でも”喜”ってなんやろね。なんかあったっけ? ”喜”だけ無い気がするんやけど、誰か知っとるかな。

 ところで『根性』も感情の1つやと思うんやけど、4つのうちのどれやろね。

 自分が出してるそれは、根性では無いかもよ…って話よ。




Pangea - The One To Last


われわれは別々に間違いをやることも、別々に真理を射当てることもできない。

道徳の系譜 フリードリヒ・ニーチェ


おわりに

 表題の Judge a book by its contents は、『Judge a book by its cover』の反対語ですね。見かけだけが先行し、中身が伴っていない今の世界は cover ばかり見て、contents を見ていないかもしれません。

(中身がないことに人は本気には
ならない。つまり”根性”は
出さないんや)

 人間とは不思議なもので、見かけに騙されるかと思いきや、中身が無いことには気づくのです。騙す側からすれば”鬱陶しい”とは思うのですが、同時に”面白い”とも感じるのですよ。

(一筋縄ではいかない方が
面白く感じることはあるやん)

 話は変わりますが、過去に働いた店で『一つのポジションの仕事は一人が知っていればいい』との考え方から”そのポジションしかできない人だらけ”になっていたところがありました。

(つまり、誰か一人でも休んだら
もう”てんやわんやになる”って
ことや。他のポジションが
できんのやから)

 『根付いた文化』とは恐ろしいもので、誰もそれが”異常”だとは思っていなかったのです。だから毎回毎回同じミスが起こる。だけど、誰も直そうとは思っていないのです。ミスの対応に追われてどんどん仕事は遅れていきますね。

(思考停止の人ってホンマに
多いのよね。ビックリするわ)

 常々「これはマズい、改革しないといけない」と思っていたので、新人が入ってきたのを皮切りに、全てのポジションの仕事を順番に教えていきました。教え方は各ポジションで、

 お手本を見せる → 練習させる → 覚えたら簡単な実践 → 難しい実践

という風にしていきました。
 各ポジションで一人ひとりにやっていくのでもちろん時間はかかりますが、その結果、新人と数人の先輩だけで仕事が回るようになり、売上も上がりました。その先輩たちにも今でいう『学び直し(リスキリング)』を施していきましたよ。いろいろ勘違いしている人が多かったので、修正する必要があったんですね。

(もっと早く気づいていればもっと早く
直せたんやけど、そもそも長居するつもりが
ないから、あんまちゃんと見てなかったしな)

 まぁ私がやるときは『号令』なんかはかけずに粛々とやるので。直すのにかかった期間は約1年ですね。

(だから目立たんというか誰も気づかんのやろ)

 その店でも売上が上がったことに対して「根性や!!」などと言っている人がいましたが、私に言わせれば『基礎練をちゃんとやっただけ』ですね。先輩たちでさえ”皿洗い”もまともにできなかったのですから。

(強いチームほど、基礎をちゃんと
やっている…ってね)

 『速度』を求める世界では条件反射のようにノータイムで反応することを求められますので、その分”単純”になります。電気シナプスですね。そして、単純だから『飽きやすい』ものになったり、合成による『新しいもの』はできません。

(じゃあ、速度を求めなければどうなるか。その場合は
十分に時間があるき『熟考』できるのよ。合成するのに
時間がかかったとしても、出来上がった
ものは簡単には『飽きない』ものになる
やんか。化学シナプスや)

 根性を出す人は、根性を出すことが目的になってしまっているのですよ。

(やき、誰も共感できんのやで)

 電気シナプスは合成ができないので、同じものを複製する『Copy』に向いています。

(化学シナプスは合成できるから
『Arrange』とか『Originality』に向いとるで)

 昭和時代… 複製、量産、最高速度、コピー…
 ??時代… 独創、希少、最適速度、オリジン…

(『??時代』は来ることがあるのか…)

 ところで、根性を出す・出さねばならない環境を”自ら作り出す”ことを心理学用語で『セルフ・ハンディキャッピング』と言います。

(この環境はタチが悪いのや。反対側から見ると
”言い訳ができる環境”にもなっとるやろ)

 できたら「根性のおかげ」と言えて、できなければ「不利な環境のせい」にできますね。まぁ子どもが考えるようなことなんですが、今の世界は”大人”がやっているように感じます。

(『根性を出すことを強要する環境』ってのは
根性 = 感情 なんやから
『感情を無理やり操作する環境』と言えるのや)

 人間の感情を”操作”しようとしているのですよ。
 「根性を出せ!」=「感情を出せ!」
になりますが、どの感情を出せと言っているのですか? ってことです。

(喜怒哀楽の中のどれや? ってことや。
んで、言われた人がたとえどの感情の状態にも
なっていなくても、どれかを出せってことやん)

 人間の感情の状態を無理やり作り出す…人間ではなく、まるで『人形』ですね。それとも”見せかけの感情”でもいいから出せということでしょうかね〜。

(AIロボットのような…
cover ばかりの世界になるわけや)

 音楽では cover は copy の意味もありますね。元々の意味は『覆い隠す』とかですね。

(何を『隠す』必要があるのかね〜)

 ”take cover”にすると『逃げる、避難する』って意味にもなります。

(何から『逃げる』必要があるのかね〜)

 経験上、店舗の状態 = 本社の状態 です。
 判らないならそう言えばいいし、できないならそう言えばいいだけです。それができると”心理的安全性が高い”と言えますが、そんな会社や店舗はなかなか無いようです。

(閉鎖社会、閉鎖国家…すぐ近くにそんな国が
あるけど、日本もあんま変わらんよな)

 『能力』において、

  秀… 『解らない』ことが、『判らない』
  普… 『判らない』ことは、『分かっている』けど、『解らない』
  劣… 『判らない』ことが、『分からない』

 こんな感じですかね。

(今までの記事の中で、SECIモデル・PDCAサイクル・
発達障害・物理学・数学・脳科学とかの『知識』を
入れてきたけど、会社で教えてないやろ)

 教えてたとしても一部の社員にだけでしょうね。全員に教えるとなると手間がかかりますから。

(でも、この記事の中にある知識程度なら
ちょっとした雑談でも言えるやん)

 今の会社は社員同士の”つながり”がそれほど強くないようですからね〜。教えられた社員も「他の人に教えてあげよう」とはならないのですよ。

(完全な『個人プレイヤー』ばっかってことか)

 個人プレイヤーの中でも昭和時代は、どちらかというと”電気シナプスプレイヤー”が好まれていましたね。まぁ現代も『即答、即断、即決、即レス』など、その傾向は強く残っているようですが。

(化学シナプスプレイヤーも
”考える時間が長すぎ”や。30年も経っとる。どんなに
時間のかかる決め事でも3年もあれば十分やろ。
なんか時間に対して10倍界王拳を使っとるやん。”時間”に
対して使うな。使うとこおかしいやろ、それ)

 電気シナプスには、思考が足りない
 化学シナプスには、速度が足りない

(ほどよく『適度』に混ぜるとええかもね)

 それではこの辺で〜。

(ほんじゃぁね〜)



*参考書籍*
 ・死に至る病 セーレン・キェルケゴール 講談社学術文庫
 ・道徳の系譜 フリードリヒ・ニーチェ 岩波文庫
 ・脳の教科書 三上章允 講談社ブルーバックス

 ・ドラゴンボール
 ・北斗の拳
 ・ワンピース

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