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双志合立

〜はじめに〜

 前回の記事で師匠と弟子では視点/回転の”方向”が逆になることを述べました。

 師匠… 与える視点… 繁栄の回転
 弟子… 貰う視点… 滅亡の回転

 この世には2つの回転があります。師弟の間では繁栄と滅亡になりますが、回転の捉え方はこれだけではありません。というのも師弟は”上下関係” = ”縦方向”の関係にあるので、その場合は繁栄と滅亡の2つになるというだけで、”横方向”ではまた違った趣の回転になるからです。
 回転には、

 a. 1つの回転 且つ 縦方向
 α. 2つの回転 且つ 横方向

と、二種類あり、現代社会は前者の傾向が強く出ているのです。しかし、最初に述べた通り、回転は常に2つあるのが自然です。前者の傾向が強いということは1つの回転ばかりを見て、他方の回転を見ていないことになります。しかも”縦”ですから必ず”上下関係”になりますね。

 2つの回転で横方向の関係は上下ではなく”対等関係”になります。ちょうどスポーツで、フィールド上の選手は対等に扱うことのようにです。

 1つの回転で縦方向の見方は西洋のものです。一神教であり(1つの回転)、序列・階級を重視(縦方向)しますよね。日本も戦後から欧米化が進んだので、西洋の見方に染まっていますが、本来の日本、もっと大きくいうと東洋は、実は2つの回転で横方向の見方をする文化なのです。それは歴史が証明していることです。

 それでは過去をふり返って見てみましょう。





【国】
住民・領土・主権及び外交能力(他国からの承認)を備えた地球上の地域。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスは『最高善』を求めて都市国家が
作られると説いた。

Gino Vannelli - Appaloosa


素晴らしいものが突然生まれるなどということはないのです。たとえ、一房のブドウであっても、一粒のイチジクであっても。もしあなたがイチジクが欲しいと言うなら、私は「それには時間が必要だ」と答える。まずは花を咲かせ、実をならせ、そしてそれを成熟させる。

哲学者 エピクテトス


🇯🇵 日本

 日本の神は”八百万の神”と呼ばれていて、多くの神を崇める多神教です。天照・須佐男・月夜見の三柱は有名ですね。天照が最高神と言われることもありますが、三柱の上にはイザナギとイザナミの二柱がいます。天照らを生み出した神です。じゃあその二柱が最高神なのかと言われると、その上にもさらにアメノミナカヌシなどの五柱の神々がいます。この五柱はイザナギとイザナミを残してこの世界を去ったと言われていますね。

 このように「どこからを始まりとするのか?」によって最高神が変わってしまうのです。だから日本という国は”始まりがよく解らない国”なのです。
 この部分が欧米からすると意味不明に感じてしまうところなのです。欧米の国は発展と衰退、勃興と滅亡を繰り返してきたので、国が終わるときも解っていて、始まるときも解っていることが普通だからです。文書などが残っているので成り立ちが解るのです。

 日本最古の文書は『万葉集』で、先ず判ることは「文書を制作するレベルの文化・文明があった」ことですね。ただ、書かれてあることが”歌”なので、文化などをもっと詳しく知るには古墳や遺跡に頼るしかありません。ここは専門家に任せておきましょう。

 さて、天照からアメノオシホミミという神が生まれ、タクハタチヂヒメと結ばれてニニギノミコトが誕生しました。これが『天孫降臨』です。

 そのあと、山幸彦が生まれ、神武天皇までつながっていきます。この系統がず〜っとつながって現代の天皇が生まれたのです。

 ところで、天皇に関して”女系天皇”という話題が上ることがありますよね。でも、今見たように神話まで遡ると天皇(皇族)は男系でも女系でもないようなところがあるのですよ。

 ニニギノミコトから見ると男系 = ”父系” なのですが、天照から見ると女系 = ”母系” になりますし、イザナギとイザナミから見ると、こんな言い方はしませんが”双対系”とでも言いますかね。さらにその上のアメノミナカヌシなどに至っては性別がないので、ここでは”無形の位”と言っておきましょう。

 欧米の文化の1つに『書かれていないことは存在しない』という考え方があります。その考え方を採用するならば、アメノミナカヌシなどは性別がないことになるのです。ここで「そんなことはあり得ない」としてもいいですけど、そうすると『書かれていないことも存在する』ことになるので、最初の文言は”誤り”になってしまいますね。

 天皇を男系とするのは天孫降臨から見ているからですよね。だから皇室に”女系”を加えて男女平等を図ろうとしている。でも、天照から見ると皇族は”母系集団”ですから、母系 = 女系 の中に女系を入れることになるので、自分の中に自分を入れて割る微分か、お前は? って話になるのですよ。微分は物理学でやるもので、系統でやるものじゃないんです。

 言いたいことは、今のままで考え得るすべての”系”を網羅しているのだから、そこにわざわざ外から女系を足す必要はないのでは? ってことです。

 まぁ、女系を足したい人たちは天皇を男系として見ていて、その権威みたいなものを拠り所にしたいのでしょうけど、男系の権威を借りた女系って意味あるんですか? とも思うのです。女系、つまり母系集団は世界各国にあって、どの母系集団も男系の権威を借りるなんてことはしていないのです。だから、女系を作りたいならその人たちが自分で始めればいいだけじゃないですかね。わざわざ男系の中に作る必要はないでしょう。なにより今述べたとおり、皇族はすでにいろんな”系”を含んでいるのですから、人の手で新しく何かを足す必要はありません。自然のままにしておきましょう。

 キリスト教の神をやや強引に当て嵌めるならば、

 こんな感じですかね〜。キリスト教の神は”男性”で、日本神話で言えばアメノオシホミミの立ち位置に近いのですが、それだと聖母マリアと同じ”位”になってしまうので、上位の天照の位置になります。しかし、これだと神は女性ってことになりますね。つまり母系集団です。

『天皇は男系』との見方は、欧米 = キリスト教の影響なのですよ。キリスト教の神は男性なので、そこから始まった父系集団との見方が強いのです。しかし、本来の日本はそれだけの見方しかないわけではありません。父系の上には母系があり双対系があり、挙げ句の果てには”無形の位”まで出てくるのです。”無形の位”に至ってはもはや意味不明です。確かめようがありませんからね。だってそう書いてあるんだからしょうがないでしょう。そう書いてあるんだから。

 書かれていないことは存在しない ∞ 書かれてあることは存在する

ってことですね。


🇨🇳 中国

 中国は、国そのものは変わり続けていますが、長大な歴史を持っています。だから調べるだけでも何十年もかかってしまうので、「ちょっと知った」くらいのところでとどめておきましょう。でも、それだけでもなかなかおもしろいのです。

 中国と言えば霊獣の『龍』を思い浮かべる人も多いでしょうね。龍は元々は”水神”のことであり、降り龍は雨を、昇り龍は水蒸気を表します。さらに皇帝の権威を表すシンボルでした。日本もそうでしたが、昔は『治水』ができることが権力の現れだったのです。その時代に力を持つものは”治水ができること”が条件だったのです。

 そんな龍をシンボル = トーテム としていたのは”黄河”の地域にいる人々でした。「トーテム」は、日本で言うところの”家紋”みたいなものですかね。龍のトーテムを持つ集団は”父系”であり、誤解を恐れず言えば、孔子 - 儒教 に端を発します。
 龍は、男性・武・闘争や、”秩序”のシンボルでもあります。現代の中国を見るとそれがよく判るでしょう。政府による検閲など、行き過ぎな感は否めませんが、それが龍の性質なのです。

 現代では龍の性質が強烈に出てしまっている中国ですが、実は中国には龍と同格の霊獣がもう1つ存在します。その霊獣は鳳凰です。”火”のイメージが強いですよね。
 鳳凰をトーテムとした集団は”長江”にいる人々でした。”母系”の集団であり、老子 – 道教 の系譜に当たります。女性・文・平和や、”自由”のシンボルです。個人的には、この流れを汲む国は🇹🇼 台湾 だと考えていますね。だから中国は執拗に欲しがっているのではないでしょうか。まるで、無くした半身を求めるように… 。

 ところで、龍にしろ鳳凰にしろ、その姿を見るとキメラ = 混合生物に見えませんか? 龍はヘビやワニなどを混ぜた生き物に見えますし、鳳凰は孔雀やツルを混ぜた生き物に見えます。そういう姿で描かれることが多いと思います。
 日本で混合生物と言えば『鵺』、欧米なら『グリフォン』ですかね。

 これを考えていたときに、ふと、ホワイトヘッドの言葉が頭を過ぎりました。

人は具体と抽象を取り違える。

哲学者 アルフレッド・ホワイトヘッド

 そこで、龍や鳳凰は、複数の集団が合わさった集団なのでは...? と考えたのです。
 龍なら、

 ヘビをトーテムとする集団  ↘︎
 ワニをトーテムとする集団  → 龍をトーテムとする集団
 トカゲをトーテムとする集団 ↗︎

ってことです。鳳凰も同様ですね。

 で、ということは、ヘビ・ワニ・トカゲを”具体”とし、龍を”抽象”と捉えることができます。

 鳳凰なら、

ってことです。

 ”抽象”は現実には存在しないものです。人間の頭の中にあるだけで、実際に触れることはできません。だから龍も鳳凰も”霊獣”なのです。しかし、”具体”であるヘビやツルには触れることができますね。現実に存在するからです。

 複数の具体から共通する抽象を取り出し、なんらかの形で顕在化させる

 ↑これって高度なことですよね。だから、当時の人にはなかなかできないことだったかもしれない。それをなんとか形にしたのが”絵”であり、”文字”や”記号”です。

 当時の人々は抽象化はできないにしても、それ(= 抽象の領域)が存在することを後世に伝えようとした結果、龍や鳳凰が作られた… と考えました。その人には抽象化する能力がない、抽象化はできないのに抽象を表そうとすると、具体の領域で混ぜるしかないのですよ。だから傍目には”ぐちゃぐちゃ”に写ってしまうのです。

 ぐちゃぐちゃにごちゃ混ぜにしたのが”鵺”であり、優美な形になったのが龍や鳳凰、グリフォンなのではないか...? と考えます。

 ちなみに私の家の家紋は”扇”の形をしていて、親戚の話によれば先祖は”那須与一”だそうです。源平合戦の時に、船の上の揺れる的を弓矢で射落した武士 と言えば判りやすいですかね。親戚の話だけで、家系図が残っているわけではないので、真偽は定かではありませんが。
 家の宗教は神道...というか、『いざなぎ流』という民間宗教です。この宗教は神道・仏教・修験道・陰陽道などがごちゃ混ぜになって作られました。起源ははっきりしていませんが、おそらく平安時代末期ごろではないかと言われています。そういえば『鵺』が出現したのも平安時代後期でしたね。

 どうやら大昔に仕止めたはずの鵺が、現代で復活しているようです。1000年ぶりに”弓”を弾くことになるかもですね〜🏹 

(「動くと切る♠️」
HUNTER×HUNTER ヒソカ)

 ん? 揺れる的にどうやって当てるのかって? そんなに難しいことではないのですよ。
 先ず、揺れる的はこのように動いています。

 ゆらゆらと左右に揺れたり上下に揺れたり斜めに揺れていますね。その”揺れ”をじ〜っと見ていると、ぼんやり円が浮かんでくるのです。

 この円が見えたら、あとはその円の”中心”に向かって射つだけです。揺れ”幅”を見極めるってことですね。”幅”が判れば、その幅には必ず”中心”が存在しますから。

(「狙うのは身体の”中心”だ。
そうすれば標的がどう動いても必ず身体の”どこか”に当たる」
次元大介)

 現代の中国が”オラついて”いるのは欧米の影響でしょうね。欧米は男性優位の社会ですから、それに対行するには、武・闘争・男性をイメージさせる龍の方を出すしかありません。ただ、強く出し過ぎたが故に、自身の半身である鳳凰まで追い出してしまったのです。そりゃいろんなことが”詰んで”いくのは当然でしょう。半分しかないのですから。

 ちなみに『龍』の文字は、甲骨文字の龍と、昇ることを意味する”童”からできています。
 童 = 子ども ですね。

 言いたいことは、日本も中国も、次に述べる韓国も、本来の東洋に戻りませんか? ってことです。


🇰🇷 韓国

 韓国は国旗を見れば判るとおり『陰陽道』の国です。今の国旗の色はアメリカの影響を受けたのか、赤と青になっています。しかし、本来の陰陽道は”白と黒”ですね。白は光の三原色(赤・緑・青)を重ねた色であり、黒は色の三原色(マゼンダ・シアン・イエロー)を重ねた色です。だから、白と黒で表すことは、光と色の三原色すべて(6つ)を表すことと同義なのです。

 白と黒で表す = 光と色の三原色すべてを表す

 陰陽道の『五行説』は有名です。火・水・土・木・金の5つの属性を持つあれです。たしか漫画の『ナルト』にも出てきたような… あ〜でも、あれは木が風で、金が雷になってましたかね。まぁともかく、少なからず五行説の影響はあったと思いますよ。
 知っている人も多いと思いますが、五行説の5属性にはそれぞれを司る”神獣”がいます。

 朱雀・青龍・白虎・玄武、そして麒麟。方角も決まっていて、”太陽”や”少陰”で季節を表しています。

 ここにも隠と陽の”2つ”と、”回転”が出てきましたね。神獣は古代中国の天文学を基にして想像/創造されました。元々は『星座』なのですよ。

 その季節によく見える星座を、その季節の”象徴”とする

 これはどの国にも地域にもよくあることですね。
 火を司る朱雀と、同じく火を司る鳳凰は同一視されることがありますが、この2つは別の幻獣です。朱雀は”四神”であり、鳳凰は”四霊”になります。四霊とは応龍・鳳凰・麒麟・霊亀の総称です。

 四神は”方角”に依存するのに対し、四霊は”方角”は関係ありません。

 一神教の欧米からすれば、四神の中心にいる麒麟を”最高位”にしたいところですが、麒麟は四霊の1つに過ぎません。麒麟と同格の霊獣が他に3つあるのです。「じゃあ中心/最高位の1つはなんなのか?」と問われるかもしれませんが、私はこの問いには「見えない」と答えておきましょう。
「それはただの逃げだ」って? ん〜… 果たしてそうでしょうか。というのも、揺れる的の中心は見えないからです。的を射るときの円は実際に存在するものではなく、人間の頭の中に現れるものです。だから射手以外の人には見えないのですよ。
 それに、現代最高の頭脳と言っても過言ではない物理学者の故・ホーキング博士は、理論の中心が見えないという意味で、「ドラゴンの顔が見えない」と言っていましたよね。あれほどの大天才が見えないのですから、凡人に見えなくてもなんら不思議ではないでしょう。

 麒麟や鳳凰は、四方や具体によって導き出される中心であり、最初から中心があるわけではない

 つまり、

 A. 中心があるから、周りが生まれる… 西洋… 一神教
 ∀. 周りがあるから、中心が生まれる… 東洋… 多神教

ってことです。
 中国の皇帝は中央にいますが、最初からいたわけではなく、治水したり戦に勝ったりして後から生まれたものです。

 四霊の”色”は、なんとなくそうしただけですけど、青・赤・黄・緑の4色は『テトラクラマシー(四色色覚)』の色です。人間の目は青・赤・緑の三色を元に色を感知していますが、4つ目の黄色が見える人たちがいて、それを”テトラクラマシー”と呼びます。男性より女性に多い傾向があるみたいですよ。

 さて、ちょっと趣を変えて、五行説の『5』から連想するものは”ペンタトニック・スケール”ですね。音楽のブルースでもよく使われますし、日本音階の”ヨナ抜き音階”でも使われています。4度 = ファと、7度= シ を抜いた音階だから”ヨナ抜き音階”と呼ばれます。5音なので、五行説と合わせてみると、

 色は変えましたけど、それなりに”ハマる”と感じるのは私だけでしょうか。黒人が生み出したブルースはマイナー・ペンタトニックの方を多用します。四神で言えば、白虎や玄武に相当します。2つの神獣は秋と冬を司るので、哀愁のある曲が多いブルースと共通する点がありますね。秋も冬も哀愁を感じる人は多いでしょうから。

 音楽で『5』と言われれば『五度圏(Circle of 5th)』を思い浮かべる人もいるでしょう。サークル・オブ・フィフスは、Keyが五度ずつ上がる/下がる関係になっていて、最終的に一周するのです。

 五度上/下の音を主音とするKeyに移行して”回転”します。

 五度上に上がる方が”# Key”で、下がる方が”♭ Key”です。おおよそですが、2つのKeyは、
 # Key… Rock
 ♭ Key… Jazz
と、これらの音楽ジャンルで使われることが多いですね。両者とも同じブルースから生まれていることも留意してください。

 どちらから行ってもぐる〜っと回って下の方までいくと交叉 = 入れ替わるような形が見えます。薄い青が背景の部分です。この部分のKeyは表記が違うだけで、実音は、
 B = C♭
 F# = G♭
 C# = D♭
ですからね。このあと、それぞれがぐるっと回って行っても同じことになります。表記がややこしくなるのであんまり演っている人はいませんが。
 2つの回転に加えて『交叉』が出てきました。交叉により”入れ替わる”のです。
 実は2つの回転はかみ合うことで力を発揮します。それぞれが独立に回っていても、真の力は出せないのです。歯車の歯と歯がかみ合う感じですね。

 ところで、光と色の三原色を調べると、それぞれが”相補”の関係にあることが判ります。そして、光の相と色の相が交互に重ねられていくのです。

 どの色から初めてもいいのですが、最下段の左から4つ目の”緑”から上に向かって始めると、

となって、最初の緑に戻ってきますね。これはどの方向に行っても同じです。サークル・オブ・フィフスのように一周して元の色/Keyに戻るのです。

 ”緑”を中心に光と色の相を抜き出してみると、
                      

 それぞれの相が”歯車の歯”のようになって交互にかみ合っていますね。『成輪進』は私の造語です。最近、テレビで”政倫審”が話題になっていたので。
 政治の政倫審は”誤魔化す”なんてことができますが、こっちの成輪進は”誤魔化す”なんてことはできません。『自然の理』を人間の手で変えるなんてことはできないのです。

 自然は、輪を成し進むのです。




〜Interlude〜

Morgan Wallen - LAST NIGHT

(四霊は後半でも使うで)

”仕事”の中にも霊獣はいますからね。

(あんまり気づく人は多くないけどな)

というか、気づける人が”減った”んでしょうね。

(知と行がつながってないからや
霊獣は何かと何かの”狭間”に現れる)

現代はその狭間に、霊獣ではなくがいるのですよ。

(鵺、魔、狐… 呼び方はなんでもええけど
こいつらがおるとどんどん衰退するのや)

”棘”みたいなものですね。
抜かないとその部分が成長しなくなる。

(具体と抽象の区別がつかないヤツは
棘が刺さったままなんやろな)

幼少期に刺されたら、自覚しないまま大人になることもあるでしょうね。

(心理学でいう『抑圧』やな
これはホンマにめんどい)

時系列、相、などを練習する必要がありますね。

(それそれ、”練習”をしてない人が多すぎる
練習せんかったらできるようになるわけないのにな)

”天才設定”ってやつですかね〜。

自分で自分を天才に設定しただけ ってやつやな
めっちゃめんどいねん、これ)

天才かどうかは”他人が決める”んですよ。
その他人のことを信じられないことはあるでしょうけどね〜。

(凡人どころか、それに達してない人が判断する場合もあるわな
でも、だからといって自分で設定すんな、めんどくさい)

『人の才能を見抜けない人が、それを判断する立場に就いている』
これが事態をややこしくしているのですよ。

(人間社会ってのは”歪”よな)

人間が歪だからですね。
まだまだ不完全な生き物ってことです。

(完全を求めるとるくせに、半身を捨てたりするやん)

それも歪だからですよ。
人間そのものが”2つのDNA”からできているのに、
なぜ、1つにしようとするのか?

(遺伝子は科学的事実なんやから
それを素直に受け入れればええだけなんやけどな
人間はすべて”双対”でできとる)

1つにしようとするのは一神教…
「神になりたい」とかですかね〜。

(万能の神、万能の天才
神に”なる”ってところに壮絶な厨二病を感じるね)

そういうのは漫画の世界だけでいいんですけどね〜。
漫画は”子ども用”ですよ。

(厄介なのは”良質な漫画もある”ってところやろな
厄介というか、ええことなんやけど)

漫画家も”職人気質”なところがありますからね。
それに宗教って結構”厨二病”ですよ。

(古参の宗教は信じられるけどな
神道や仏教なんかわ)

新興のものはどうしても浅いですから。

(現代は簡単に宗教法人にするけど
申請できるのが100年後とかにしたらええんちゃう)

あ〜それいいですね。
宗教を”興した世代”ではなく、後世になってやっと認められる...
ってことですよね。

(そういうことや
しかも”申請”が100年後で
”審査”にはさらに100年とかね)

そうすると”自分の利益”じゃなくて、
”他人の利益”のことを常に考えることになりますね。

(新興宗教が一代で終わるのは”自分の利益”のことしか考えんからや)

本来、『宗教』はそういうものじゃないですからね〜。

(教祖が死んだら終わり って
それは宗教やなくて、ただの宗教ごっこやろ)

”会社ごっこ”してる会社もあるのが現代ですから。

(貰う視点 = 弟子
与える視点 = 師匠
これをもう一回ちゃんと教えんとあかんな)

師匠… (モノを)与えるから、(カネを)貰える
弟子… (カネを)貰えるから、(モノを)与える

(これが”因果の逆転”や
食券機の店舗は後者の考え方で作られとる)

その形じゃないと営業できない ってことは判りますよ。
だから、その形を変えろと言いたいわけではないのです。

(人は環境の影響を受けるからな
”割れ窓現象”と言うよな)

最初はそんなつもりはなくても、その環境にいることで
そうなっていくことがあるのです。
環境は人の”無意識”に作用しますからね。

(映画の『es』みたいなもんやな
”看守役”と”囚人役”を演じてもらう環境におることで
役をやっとる人たちが本気でそう考え始めるのや)

あの映画は実際の心理実験を元にしていたと思いますけどね。
最終的に”狂気”に染まっていきましたね。

(会社でも『監査役』になった人が
完全に人格が変わるなんて話を聞いたこともあるし)

人間と”猿”って、そんなに違わないのですよ。
昔、食券機の店に苦情を入れる老人がいましたよね。
もしかしたらその老人たちは、因果が逆転してしまうことを危惧して
苦情を入れていたのかもしれません。

(『老害』と言われる老人の話も
一回は”ちゃんと聞け”ってことなんや)

”商品を提供”したり、”上の立場に就く”ってことは、
視点が『師匠』になっていなければなりません。
弟子の視点のままで上の立場に就くなんてことはできないのですよ。

(やっていく中で自然と伝わることが伝わってない…
ってことは、その人は発達障害の可能性がある)

なんらかの原因で脳が眠ったままなんでしょうね。
脳の静回路と動回路がつながってないのです。

動回路を言語化せんと、伝わらんってことか
それは… う〜ん… たしかに… 眠ったまま… 脳の成長が止まっとるな)

動回路の言語化か… あんまり好きじゃないしな…。

(え? クロロ?)

あ、いや、なんでもないです。続けましょう。

(いきなり”飛ぶ”な、うっとうしい)

はいはい〜♪
昔は”お坊さん”がこういうのを治していたのでしょうけど、
現代では精神科医や心理カウンセラーなどがやってますね。

(ホンマにめんどい仕事ばっか残しやがってよ
クソジジィども)

仕事を残したままこの世を去るのはダメですよ〜。

(そうやそうや!
自分が残した仕事が片付くのを見てから三途の川を渡れ)

片付くまでは、三途の川は渡らせません。

(鬼が”通せんぼ”しとるからな
渡れまい フフン🎶)

それではそろそろ後半を♪

(はいよ〜 ∞)




【螺旋】
三次元曲線の一種。
回転しながら回転面に垂直成分のある方向へ移動(上昇または下降)する曲線。

Boz Scaggs - JoJo


ご遠慮なく
最初の命令を
お下し下さい‼︎
『ヤツを倒せ』
と・・・!!!

ダイの大冒険 ラーハルト


 さてと、じゃあ仕事の中におる霊獣に会いに行こうかね。ホワイトラビット(白兎)ほどかわいくはないけど案内人をやってみよう。”不思議の国”は意外と近くにあるんやで。


CROSS ROAD

 昔、働いとった飲食店の”構造”が、

って感じやった。キッチンの配置はちょいちょい変えとるけどね。飲食店はだいたいこんな構造になっとるから、自分らのとこでも応用は効くやろ。んで、キッチンの各ポジションを大別すると、
 🍗 メイン 🔪 … 焼き場、揚げ場、切り場
 🥣 サブ 🥬 … 洗い場、野菜場
となる。そういう店は多いと思う。でも、これはキッチンの中の話なんや。これを店全体で見たときは、
 メイン… ホール 👫
 サブ… キッチン 🍗 🔪 🥣 🥬
となる。
 ホールがメインになるのは、当たり前やけどお客さんがおるからや。店はお客さんがおるから成り立つものやから、お客さんのおるホールがメインになるに決まっとるわな、そりゃ。

ってこと。
 ここに『目線』が出てきたやろ。この目線には”縦と横”がある。

 キッチンの中のメイン… 目線
 キッチンの中のサブ… 目線

 キッチンの中だけで判断すると、メインに対してサブは常に”補佐役”になるやん。でも店全体で見たときには、キッチンそのものがサブの立場になるのや。ってことは、ホール = お客さん からすれば、キッチンはメインやなくてサブ = 補佐役 ってことよね。だから、キッチンってのは、本来”横目線”の方が強く意識されんとあかんことになるやん。
 キッチンのメインをやる人はついつい、

って捉えてしまうけど、もっと大きな視点で捉えたら、

となる。
 だから、縦目線と横目線を交叉させた視点が必要になるんや。

 キッチンの仕事ってのは”洗い場から始まる”やろ。そこから、野菜場 → 焼き場 → … と順番に経験していくやん。この順番は飛ばしたらあかんのや。洗い場 = サブ を飛ばしていきなりメインの焼き場とかをやると、縦目線が鍛えられるだけで横目線が鍛えられんことになるんや。横目線が鍛えられんかった人は当然、物事を縦にしか見れんなるやろ。それやと縦と横がクロスしないから、交叉させた視点は会得できんのや。

 交叉させた視点 = 第三の眼 は、クロスロードに現れる

 伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンは『クロスロードで悪魔と契約した』と言われとる。でも、その悪魔ってホンマに悪魔やったんやろかね? ”天使と悪魔”って概念が強い西洋では悪魔に見えただけで、東洋では別の姿に見えたかもしれんよな。

 四方を司る四神、それらが交叉する場所には『霊獣 麒麟 』が現れる。


双対螺旋

 飲食店の仕事をざっくりと表すと、

となる。大別すると、
 ∀. 店全体の”始まり”は『迎える』、”終わり”は『片付け』… 内包… 収束
 A. キッチンの”始まり”は『オーダー』、”終わり”は『感想』… 外延… 発散
となって、2つの回転があることが解るやろ。2つの回転の”始まり”と”終わり”がつながっとることも解るよな。
 内包と外延は論理学用語やで。概念が適用される”集合 = 群” の形は、メビウスの輪、クラインの壺、トーラス機構 みたいになっとる。
 この図をもっと簡単にして描くと、

 こういうことや。なんか似たような図を最近作った気がするき、左側にその絵文字を載せとくわ。
 んで、この2つの回転を霊獣を使って表してみると、

 鳳凰と応龍は”双対”になっとることが解るわな。それぞれを『Phoenix Ring(鳳環)』と『Dragon Ring(龍環)』と名付けよう。
 
 店の流れには”方向”があるのや。でも、店の流れが阻害されることがあるやろ。その原因として考えられることは主に3つあって、
 α. 2つの回転のどちらか一方しか使っていない
 β. 2つの回転がごちゃ混ぜになっている
 γ. 回転方向に対し”逆行”する流れがある

 たとえば”逆行”する流れなら、

 キッチンから命令が出される場合は、”逆行”と言えるよな。
 キッチンってのはオーダーを”受ける立場”なわけよね。オーダーを日本語にすると『命令』って意味になる。だから、キッチンの役目は命令を受けることなんや。でも、キッチンから命令が出されるってなると、それは流れに”逆行”しとることになるよな。

 だからといって、キッチンを奴隷扱いすることはあかんで。世間では「お客様は神様」として、店員に対しては何をやっても許されるみたいに考える人がおるけど、そういうヤツには、
「店員は仏様ですけど?」
とでも返しておけばええんや。客が神なら、店員は仏やろ。
 んで、日本では神と仏は同格として扱う。対等の立場なんや。序列とか階級なんてものは”西洋の価値観”であって、”東洋の価値観”ではないんやで。

 西洋は、国ができてから数百年程度しか経ってないき、本当はまだまだ”洗い場の段階”なんや。幼いねん。でもそういうヤツほどメインをやりたがるんよな〜。

 本来の東洋は2つのリングを合わせた双対螺旋の形をとる。


円環の理

 今度は2つの回転の色まで変えて表してみると、

 双対螺旋を英語に訳して『Duality Spirals』としてみたけど、これでええんやろかね。こういう場合の双対は”Duality”なのか単に”Dual”なのか迷うよな〜。英語のめんどいとこやで。まぁそれを言うならドラゴンリングとかには『’s』を付けるべきなんやろけど。英語っていちいちいちいちめんどくさいねん。
「もっとざっくり行けよ」
と言いたいね。
 円環の理をもっと広げると、

 こういう感じ。日本・中国・韓国は似たような概念/価値観を持っとることが解るやん。円環の理を、単純に国旗の色で”国”に当て嵌めてみると、

ってなる。
 社会の上層におる人たちは、この『俯瞰像』を捉えて、下層におる人たちを導く = 促す のが役目なんやで。それやのに、導くどころか上層で解決するべき問題を下層に丸投げしとるやん。
「お前らホンマに上層か?」
って言いたくなるわな、そりゃ。
 発達障害や人格障害にしても、店の環境(食券機など)から受ける心理的な影響にしても、解決するのは本来は上層の仕事やで。判ってますか〜? お〜い、判ってますか〜? こんなもん下層の人たちが解決できるわけないやろ、アホなんやから。あいつらアホなんやから。

 自分が解決するべき問題を他人にやらせるなら、少なくとも”感謝”することであって、間違っても見下し奴隷扱いすることやないんや。恥ずかしくないんかね。というか、恥ずかしくて外に出れんから引きこもっとるのか。やれやれ…

 本来の役割、本来の東洋、本来の自然

 これらを取り戻すときやと考えるで。

 ちなみにこの2つの回転を、仏像の”印相” = ハンドサイン として解釈してみると、
 阿弥陀如来… 来迎印(らいごういん)/ 摂取不捨印(せっしゅふしゃいん)
 釈迦如来… 説法印(せっぽういん)/ 転法輪印(てんぽうりんいん)
となる。どれも指で”環”を作るのや。んで、
 来迎印… お迎えにきました
 摂取不捨印… 誰も見捨てない
 説法印 / 転法輪印… 教えを説く
って意味がある。

 仏教も伊達に長く続いとるわけやないってことやな。


補助と補佐

 キッチンの説明のところで『補助』と『補佐』に分かれとることに気づいたかね? この2つはまったく違う役割なんやで。結論から言うと、どっちも”助手役”なんやけど、立場によって変わるのや。

 2つの違いは、
 ∀. 補助役… の立場の者が、の立場の者を Prompt(促す)する
 A. 補佐役… の立場の者が、の立場の者を Follow(頷く)する
なんや。
 見てのとおり、主役と脇役が”入れ替わっとる”やろ。じゃあ、これはどこで入れ替わるかというと、1周目と2周目で入れ替わるのや。

 キッチンの仕事を一通りできるようになって、洗い場に戻ってみると、見える景色が変わることを知っとる人は多いと思う。それは”交叉した視点”から全体を見とるからなんや。前半では四霊に序列はないって言ったけど、ここでは捉え方を変えてみて、

とする。
 1周目はプレイヤーの視点から一点集中して仕事を覚えていく。2周目はマネージャーの視点から広範分散しながら仕事を進めていく。なんで一周した後に一番最初の洗い場に戻るかというと、洗い場ってポジションは、その場にずっといなくていいポジションやからや。他のポジションはオーダーがあるき、基本的にはその場を離れるわけにはいかん。でも、洗い場ってポジションは、洗い物が溜まるまではその場を離れることができる。ってことは、他のポジションを手伝えるってことなんや。しかも、一回そのポジションを経験しとるから、そのポジションの人が”してほしいことが判る”やろ。だって自分で経験しとるんやから。

 他人が”してほしいこと”を予測する。

 これって『仕事』において物凄く重要なことよね。だってそれが判れば、他人がほしい商品が予測できるってことやん。2周目の洗い場ってのは、それの基礎になっとるんやで。あらゆるビジネスマンが喉から手が出るほどほしい能力やないかね。

 でも、その能力がほしい割りには練習はしないんよな。

 他人がしてほしいことを予測する練習をしてないんやから、予測できるようになるわけないやろ。猿でも判る。こういうことは、スポーツをやっとった人なら尚更判ることやと思うけどね。練習しないでそれができるようになったことがあるか? って話よ。
 社会では”体育会系”の人たちが求められたりするから、余程こういうことを解っとる人たちなんやろな〜と考えとったけど、どうやらそうでもないらしいな。大したことはなかったか。

(「思ったほどのものでもない」
るろうに剣心 雪代縁)

 ダウンタウンが「なんで2回言うねん!」って言うとったのは、2周目のことなんやで。(←それはさすがに違うでしょう)

 後輩や部下の教え方に迷っとる人は、補助と補佐を混同しとる、補助と補佐の区別がつかない ってことでよろしいか? それなら、今説明したとおりの捉え方をすればええだけやで。

 さて、四霊をもっと大きく捉えるなら、

 1周目で知と行を会得して、2周目の麒麟から知と行を”交叉”させていくのや。ここに第三の眼が現れる。んで、それを研ぎ澄ましていくと霊亀の『俯瞰』に到達する ってことなんや。四霊の序列は、四神の序列に倣ってみた。
 龍…
 雀…
 虎…
 武…
になっとる。
 だから「いつまでも青春を〜」とか言うとる人は、いくつになっても青龍しか知らないってことでもあるのや。そりゃ第三の眼に到達できるわけないわな、猿でも判る。
 四神の中では玄武が最強やと言われとるし、それを四霊に当て嵌めると霊亀になるから、70歳以上の人やろな〜と考えた。

 西洋と東洋の違いをまとめると、

 こんな感じ。
『多様性』が大事なのであれば、東洋の思想こそ多様性に富んどると考えるね。

 東洋は”双対思想”の国なんや。


🇺🇸 America

 西洋にしても、キリスト教といえば十字やろ✝️ なぜこれをそのまま信じないのか? 正解を示してくれとるやん、キリストが

 アメリカって国ができるときに間違えたことは、
 1. インディアンの土地を侵略したこと
 2. 黒人の奴隷を使って発展したこと
なんや。

 『侵略』と『奴隷』

 この2つの”業”を背負うことになった。だからその後も、それを続けるしかなくなったのや。自分の間違いを認めたくない人は、それを正しいことにするために、それをやり続けるしかないのや。”何かを犠牲にして成功を手にした人”も同じよね。そうやって成功した人は、「成功のために何かを犠牲にすることは正しい!」と思い込むから、そのあともあらゆることを犠牲にするのや。発展や継承ができるわけもない。猿でも判る。
 自分がやっとることは”正しい”という『自信』があるんやろな。”誇り”と言ってもええ。でも、未熟な段階で持つ誇りはただの”驕り”にしかならんことがある。これは『傲慢』とも言える。

 アメリカは、部族間同士の争いはあったやろうけど、比較的平和に暮らしとったインディアンの土地を力づくで奪い、肉体労働は奴隷の黒人にやらせて発展したことが間違いなんやで。

 教会は、ガリレオさえ300年後にやっと、「ガリレオ裁判は間違っていた」と認められたくらい、とにかく自分の間違いを認めないのが間違いなんや。それは自信でも誇りでも意志でもない。ただの意地、駄々、愚劣 なことなんやで。

 東洋の間違いは、西洋に染まったこと
 西洋の間違いは、東洋を拒んだこと

 あんたら、頭が良いなら、いいかげん”交叉”してもらっていいっすか?

ってことや。
 トランプが再選すると、日本の安保が危なくなるって言うとる人がおる。でも、俺はそれでいいと考えとる。日本も”アメリカ”というお母さんの保護からは、いいかげん脱するべきやな。日本には、

 いつまで”おっぱい”吸ってんだ?

と言いたいね。

 ダ・ヴィンチ の『最後の晩餐』を見ると、仏教とのつながりが少しだけ見える。

 中央のキリストの”手”を見ると、左手は手のひらを見せてて、右手は腕こそ上がってないけど、こっちも手のひらを見せとるやん。これは印相では、
 左手… 与願印(よがんいん)
 右手… 施無畏印(せむいいん)
と捉えることができる。釈迦如来に多く見られる印相やな。それぞれ、
 与願印… 話を聞きますよ
 施無畏印… 怖がらなくていいよ
って意味がある。まるでユダに言っとるようやな。

 しかも、芸術学者の布施英利さんによれば、腕の”骨”の作りから、
 左手… 回外
 右手… 回内
の形を取ってて、それぞれの手の方の弟子たちもみんな、その形の手(腕)になっとるのや。
 キリストの左手側の弟子たちの手(腕) → 回外
 キリストの右手側の弟子たちの手(腕) → 回内
になっとる。

 んで、ここでユダの右手を見てみると、なんと回外になっとるのよね〜。ユダはキリストの右手側におるき、手(腕)は回内になってないとあかんのに、ユダの右手だけは回外なんや。そして、その右手には”裏切り”の証である金が握られとるんやったかな、確か。

 ダ・ヴィンチ以外の人が描いた『最後の晩餐』では、ユダは机の手前側に座っとるのや。たとえばアンドレア・デル・カスターニョは、

 これ。通例ではユダは机の手前の位置やったのを、ダ・ヴィンチ が変えた。んで、その通例の方、ユダが机の手前側に座っとるのを考えると、キリストとユダは鏡写し = 反転した姿 になるやろ。んで、両者の”手”を見ると、

 反転した姿では、ユダの右手は開いてなきゃおかしいのに”閉じとる”のや。キリストはユダの告白を促していたのかもしれんよな。
 金とは『資本主義』の象徴でもある。資本主義といえばアメリカ… キリストの教えを一番裏切っとるのはアメリカ自身かもしれんで。
 
 これが『アインシュタイン的逆説』ってやつや。
 西洋の”序列・階級意識”は縦方向の目線。んで、四神の縦には玄武と朱雀がおる。玄武は亀で、朱雀は鳥やから、『鶴亀』の元になったとも言われとる。
「つ〜るとか〜めがすーべった〜🎵 後ろの正面だ〜れ?」

 後ろの正面におるのは、自分自身かもな。

 さて、キリストと仏教のつながりは”とんでも話”でもなくて、実際にあったんじゃないかって学説がある。場所は忘れたけど、キリストが住んどったところに仏教が伝わっとって、それを知った可能性があるのや。それならキリストの手の形が仏教の印相と似とることも肯けるわな。

 言いたいことは、東洋にしろ西洋にしろ、お前ら全員、皿洗いからやり直せ

ってことよ。




Ending.

Cozy Powell・Gary Moore - Sunset
松本孝弘 ver.

〜おわりに〜

不思議の国は、すぐそこにあった ってことですね〜。
まぁ案内人とは言えませんけど。

(やかましい
遅刻せんかっただけマシやろ)

現代はラディカルな見直しをしないといけませんよね〜。

(らでぃかる ってなんやねん)

急進的とか根本的とかの意味です。
ちゃんと発音すると”レイデクル”とかですかね。

(ホンマか?)

もっというと”ネイデコー”とかですね。

(子音変わっとるやん、それ。N や)

”巻いていこう”でもいいですよ。

(ウッチャンか
懐かしいけども)

良質なコント番組が無くなっていったのは寂しいものです。
”作り出す”ことを怠った結果でしょうかね。

(現代の人たちは観察眼が無さすぎるんや
漫画原作のドラマの脚本家の事件にしても
”描いた人”が他にいてヒットもしてて
脚本家はそれを改変(改悪?)するだけ っておかしいやろ)

自分自身で生み出す ってことをしなくなったんですよ。
だから作る苦しみみたいなものを経験しないまま、その権利だけ手に入れたのです。

(そんな環境やと”腐る”に決まっとるわな
これも”弟子の視点”なんや
『貰う視点』=『奪う視点』やで)

貰う が歪に発達した行動が 奪う なのですよ。
昔、テレビ業界で「それだと作家が育たない」と言われていて、
そのときは、ここでの”それ”がどんな意味なのかは判らなかったのですが、
もしかしたらこのことだったのかもしれません。

(作ることもヒットすることも他人任せにして
自分だけはその作品を自由にできる権利を有する
ってことか
ただの”カス”やん)

それが”上層の思考”なのですよ。
まさに『奪う視点』なのです。

(本質は”餓鬼”やけど
表面は”高貴”にしたいのよな〜)

表面上ばかり見てますよね。
中身がズダボロだから、上っ面だけ取り繕いたいのでしょう。

(しょーもない
何でもかんでも”他人のせい”にするなよな)

飲食店なんかもそれがしやすい環境ですから。

(昔、炊飯器で「早炊きしたら米が硬くなる!」
って言われたことあるけど
それは単純に”水の分量を間違えた人がついた”なんよな)

今でも残ってる嘘ですね。
50年前くらいに誰かがついた嘘が今も続いてる ってことです。

(小さな問題 → 水の分量間違え を
大きな問題 → 炊飯器の不良 にすり替えた
その嘘の精算をするときがきたのや)

最初から素直に間違えたって言っとけば良かったですね〜。
会社は従業員に聞いてみるといいですよ。
『早炊きすると米が硬くなると言われたことがあるか?』って。

(まさか50年前の嘘がここまで広がるとはね〜
前に働いとった店で「それ嘘なんで、早炊きしていいですよ」
って3回言ったけど直らんかったから諦めた)

一回そう教えると修正が効かなくなるんですよ。
嘘を教える方が悪いのです。

(発達障害、というか「学童保育出身か?」と
思うヤツがチーフ(料理長)やったりするしな
この分やと、店長・マネージャー・SVなんかにもいそうよね)

この感じはいるでしょうね。
発達障害の人が教える立場に就くと、
発達障害がどんどん増えていくだけなんですけど。

(その辺が解ってないから悲惨な店だらけになるんや
増やしてどうする? って話よ)

自分に跳ね返ってくるだけなんですけどね〜。
すぐに怒鳴るのも学童保育っぽいのです。

(学童保育の子はずっと叫んどることもあるしな
脳の前頭葉が未発達やから抑制が効かんのや
できるだけ子どものうちに治してあげたいけど...
そのまま大人になると怒鳴って”脅す”ことでしか、自分を正当化できなくなる
無様な大人になってしまうからな)

不憫… 憐れ とも言います。
早いとこ病院で治療した方がいいですよ〜。

(飲食店は本文で述べたようなことを教える場所でもあるのや)

2つの回転、対等、円環の理… などです。
これらはどんな仕事にも応用が効くはずです。

(それやのに、教えるどころか”知らん”やつらだらけになっとるやろ
飲食店の仕事に向いてない としか言えんな)

衰退するのも肯けますね、向いてない人だらけになるのですから。
『自然の理』ってものを、子どもたちに教えるのも役目です。

(そういう店にしたくても
遥か手前の段階で”遮断”されるからな
小学生レベルの段階で止められる)

「1mm違う〜、はい、お前には何も言う権利はな〜い」ってやつですね。
この会社には子どもしかいないのかな? と感じますよ。

(だから何十年経っても子どもレベルのままなんよな
これは”脳の障害”を疑うのよね〜)

まぁそうでしょうね。
自分がやっただけなのに、すぐに他人がやったことにすり替えるのとか、
まさに脳に障害がある人の行動なのです。

(人間って観察するとおもしろい生き物なんや)

物理学の『時空』の概念とかも危ないといえば危ない気もしますしね。

(世界最古の”日時計”は紀元前5000年ごろの古代エジプトなんや)

”時間”とは概念であり、それは人間が自分で作り出したものです。

(日時計では中心に立てた棒の”影”を追うやろ
その影は地球の自転速度を表しとると言える。)

影は、地面 = 平面 に投射されますね。
平面とは『空間』のことです。

(地球の自転”速度”を、”空間”に写像したもの
これを『時間』と名付けたのや)

だから、この時点ですでに
空間と時間の2つは等価でつながれたことになるのですよ。

(それから7000年ほど経った20世紀に
「時間と空間は一体で切り離せない! キリッ!」みたいになったけど
それには『だろうな!!』としか言えんよな〜 って話よ)

人間が自分で等価でつなげたものを、
未来の人間 = 自分が「”切り離せない”ことを発見した!」と言っているのです。

(壮大な”自分探しの旅”みたいなやつ、やめろ
長すぎるやろ、さすがに)

小学校で習う『速さ × 時間 = 距離』の公式の表記を変えて、
『速度 × 時間 = 空間』とします。

(3つの要素を
v = 速度
t = 時間
Ƨ = 空間
とする)

そうすると『速度 × 時間 = 空間』は、

となって、時間とは空間と速度の『比率』なことが判りますね。

(物理学者のカルロ・ロヴェッリが『時間は存在しない』
って本を書いてその中で、数式から”t”が消えるから時間は存在しない
って言うとったのは、tを空間と速度の比率に”変換”すればtは必要なくなる
ってことかもな〜と考えたのや)

まぁまだその本を読んではないんですけど。
”速度”の時点で『km/h → 空間/時間』ですから、
右辺にも時間は含まれているんですけどね。
同じところをぐるぐる… 。

(カルロの本は、読んだところで理解できるか判らんしな
速度に時間が含まれとるなら、なおさら時間と空間は”等価”でつながっとる
日時計で

空間の記号に使った『Ƨ』は、中国やベトナムで使われる”チワン語”からです。

(空間 = SpaceのS を使おうと思ったけど
S はエントロピーを表すから
他のを探したのや
ƧはSの反転した形やな)

意外にも空間を表す記号はないみたいですね。
探し出せなかっただけかもしれませんが。

(物理量としては扱えない
ってことかもな
その割にはぐにゃぐにゃ曲げたりするのに)

私たちが知らないだけでしょうね。
素人はこのくらいでいいのです。

(中国は科学論文で不正があったりしたけど
科学に力を入れとるなら自分とこの文字を使えばええのにな)

アルファベットやギリシャ文字じゃないといけないなんてことはないですからね〜。

(遠慮せんでええで
かまへん、かまへん
好きにやりや
かまへん)

”漢字”でもいいのですよ。

(速度のところにc = 光速 を入れてみると)

光速は”不変”なので、比率の一方が固定されることになります。
そしたらもう一方の空間が変わることになり、
空間が変わるなら等価でつながれた時間も変わるのです。

(”不変の光速”と”不可視の時間”の『狭間』におる空間は大変やで
飲食店で言えば『デシャップ』の立場になるかね)

ぐにゃぐにゃになるのも肯けますね。
便宜上、”色”で表すなら、

ですかね。

同じ相の2つを合わせると、別の相で1つになる
ってことか)

一つの色は、相を変えると2つに分かれる
とも言えます。

(同じものを、違う視点から見とるだけ
よくあることや)

五感を使って自然に触れないから、狭い思考しかできなくなるのです。

(今年は何十年ぶりかに”昆虫採集”でもしてみればええで)

おっさんはただでさえ身体を使わないですからね〜。

(どこかの山か川か、原っぱか
運が良ければ”霊獣”に会えるかもな)

もし会えたのなら、なにかが”交叉”した ってことですよ。

(じゃあこの辺で〜🎶)

それではまた会いましょう。
世界のどこか、自然の中で...




*参考書籍*
 ・龍の世界 池上正治 講談社学術文庫






【本来の立場】


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