シャボン玉と空〜D&I〜
Diversity… 多様性 = 社員… シャボン玉
Inclusion… 包括 = 経営者… 空
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人々の個性を認め、それぞれの能力が発揮できるよう
包括的に体制を整えること
Peter White - Promenade
はじめに
ふわふわ浮かぶシャボン玉
いろんな色や大きさのシャボン玉
ふわふわ浮かぶ大きな空
どこまでも続く、広くて高い空
大きな空に、ふわふわ浮かぶシャボン玉
シャボン玉が割れないようにするには、空の状態を良くしなければなりません。風まかせに飛んでいくシャボン玉は、風のない状態ではどこにも行けません。かといって、あまりに強い風だとすぐに割れてしまうでしょう。
そよ風くらいの強さなら、ふわふわと漂うことができそうです。他にも、雨が降るとシャボン玉はできないので、そんな日は”屋根”を用意する必要もありますね。
(経営者は忙しいのや)
1つだけで浮かんでいたり、複数のシャボン玉がくっついていたりします。くっついているうちに、1つになってしまうものもあります。
割れないように1つ1つのケアをしなければなりません。割れやすいものや割れにくいものがあるので、それらに合わせてケアの方法を変えていかなければなりませんね。
(経営者は忙しいのや)
おや? どうやらこの空に浮かぶシャボン玉は、自分で石鹸水を補充する個体もいるようです。それだけでなく自分から空気を取り込み、大きくなろうとしている個体もいるようですね。
ただ、空気を取り込むのが下手な個体もいます。空気を取り込もうとして、逆に空気を出してしまい、小さくなってしまったものもいるようです。この個体はまだまだ一人では大きくなれないみたいですね。手伝いましょうか。
(やれやれ、経営者は忙しい)
今度はもっと遠くに飛びたいからと、自分から強い風に当たりにいって割れそうになっているシャボン玉がいますね。ん〜…ちょっと持ちそうにありません。割れるとまた石鹸水から作り直しになるんですけどね〜。
(まったく…風除け持ってきてや
経営者は忙しい)
割れないように維持することは『育てない』ことにもなるので、ある程度の負荷は必要なのですが”加減”が難しいのです。まぁ、その難しいことをやるのが経営者の仕事なんですけどね。
(「まだ早い」って言っても
聞かんやつもおるしな)
人の言うことを聞くシャボン玉なんてありませんから。唯一、『風』の声は聞こえるみたいですけど。
(漂っとるだけやろ)
それでも”従っている”ことに変わりはないでしょう。人の声は届かないのに自然の声ならすぐに届くのは、シャボン玉の特性ですね。
(はよ本題にいけ)
はいはい、いきますよ。
それではシャボン玉を割らないように大きくしていきましょう。
(ハイハイは2歳までやで…まったく)
阿. 論理的思考の”欠点”
D&I のD、Diversity(ダイバーシティ)が推奨されたのは、元々は”女性の社会進出”を後押しするためだったようです。そのあと、LGBTなどにも広がり、障害者も入れようとしているのが現在です。
古くから社会は『男性社会』でしたので、そこに女性やLGBT、障害者を入れることで視野や価値観を拡大することが目的です。社会で活躍したいと思っている人は”男性だけ”とは限りませんからね。到着駅はD&IのI、Inclusion(インクルージョン)- 様々な人を内包することです。
ただ、やはり人それぞれ見ている景色が違うので、いろんな摩擦が生まれてしまうことはあるでしょう。そこをどう合わせていくのかが経営者の腕の見せどころです。だからこそ、経営者が一番勉強家でないといけないのです。一体、いつまで勉強すればいいのか…なんて愚痴の1つも言いたくなることもあるでしょうね。
『すべてを内包する』なんて言葉で言えば簡単そうに聞こえますが、視野を広くすることはそんなに簡単ではありません。特に日本は昔から”一点集中”や”特化”など、むしろ視野を狭くする育成方法をしていましたからね。水平思考よりも垂直思考の方に重きを置いてきたと言ってもいいでしょう。
『ものづくり』には論理的思考(垂直思考)が欠かせませんので、そちらに天秤が傾いてしまったのも肯けます。しかし、現代の日本はものづくりにおいて世界に大きく引き離されてしまったようです。これは”おかしな現象”ですね。ものづくりに特化して、実際にいろんな良製品を生み出したにも関わらず、今は世界から”置いてきぼり”を食らっている。
実は、論理的思考(垂直思考)には『欠点』があったのです。それが、先ほど述べた視野が狭くなること(=視野狭窄)なのです。物事を深く追求していけばいくほど視野は狭くなってしまうのですよ。これは”海”でも同じことですね。深海にいけばいくほど光が届かなくなり、表層にある海水と混じらなくなっていきます。
物事のあまりにも深い場所に行ってしまったがゆえに、”他”のものと交わらなくなった結果、新しい組み合わせの発想がなくなってしまい、今までにないものが生まれなくなったのです。世界から”置いてきぼり”を食らってしまったのも肯けますね。
あらゆることに特化していくことは”専門家だらけの世界”とも言えるでしょう。昔から聞いていた話なのですが、専門家に話を聞く、意見を求めることにイエスとノーがありました。それぞれ、
Yes… 対象の物事に対して深い知見の話が聞ける
No… 対象にのみ特化しているため狭い視点の話になる
このような言い分により、イエスとノーが分かれていたのです。
繰り返しになりますが、専門性や特化などは『垂直思考』ですので、新しい組み合わせのものを作ることには向いていません。そのときに必要なのは『水平思考』です。垂直とは方向が違いますね。端的に言い換えるなら水平思考とは”等価交換”のことです。
論理的ではない話を聞くと意味が判らないので敬遠する人も多いと思いますが、そんな話を聞くとその人が『何と何を等価にしているのか』が判ることもあるので、”価値観”を知ることにもなります。
D&I の目標は『様々な価値観を内包しよう』とすることなので、実は水平思考も必要なのですよ。しかも、この思考は新しいものを生み出す”イノベーション”には欠かせない考え方です。
政府の『数学の推奨』については賛成の立場なのですが、それにより”何を得るのか”を取り違えると意味がありません。
垂直思考… 論理的思考、専門性、ダイバーシティ
水平思考… 等価交換、イノベーション、インクルージョン
おおよそ上記のように区別できます。
これらを”同時”に見る必要があるのですが、一人ではなかなか難しいものですので、『相棒』が必要です。
ワトソンくんはどこにいるのか…ですね。
吽. ”抽象化”は理系の専売特許ではない
視野を広くするには自分が『知らない世界を知る』ことが一番早いね。それによって”視点”が変わることが大事なんや。昭和時代に”特化”を推奨した結果、理系は理系の視点から見える世界しか見なくなり、文系は文系の視点から見える世界しか見なくなったやろ。
つまり、お互いの世界を知らないままになってもうたんや。
んで、2つの世界を”つなげる”には、最初は『共通項』を探すことから始めたらええと思う。いきなり全部丸ごと同じにはできんし、そのつもりもないやろしね。でも『共通項』さえあれば”つながり”を持つことができる。そしたら協奏ができるはずや。
たとえば、政府が今推してる数学は理系の世界なんやけど、この中で『抽象化』ってのをやるやんか。いろんなものを数字や記号を使って数式にして判りやすくするけど、これと同じ『抽象化』をしたものを文系の世界で言うなら”漢字”のことなんよな。
抽象化は、理系の専売特許やないのよ。
漢字の”成り立ち”を見ればすぐ判るけどね。『休』って漢字は「人が木の横で休んでいる、止まっている情景」から生まれたみたいなことを小学校で習ったと思うけど、情景から”ヒト”と”木”を取り出して『休』って文字(漢字)にしたのや。
抽象化ってのは物事の『本質』を取り出して単純な形に書き換えること。それなら、”漢字”も抽象化と言えるやんか。
阿. 数式は、法則を抽象化したもの
吽. 漢字は、情景を抽象化したもの
どっちも『抽象化』しとるのよね。んで、
阿. 法則は、不変のもの
吽. 情景は、可変のもの
こういう風にも言える。さらに、
阿. 法則… 論理・数学・詳細 → 左脳
吽. 情景… 感情・芸術・全体 → 右脳
って感じやな。漢字だけに。
数学ではいろんな記号を使うけど、”アルファベット”も使うやろ。xyzは一番最初に習う文字を使った数式 y=2x とかに出てくるもんね。アルファベットは表音文字で漢字は表意文字やけど、この違いについて2つの文章では読む人の『認識』が違うのよ。
日本語で表音文字は”ひらがな”やけど、ひらがなだけの文章と漢字を使った文章では何が違うのか、ちょっと次の”ひらがなだけの文章”を読んでみてちょ。
んで、次が”漢字ありの文章”。
漢字って『絵』の要素があるやん。言葉の意味を”イメージ”で捉えることができるのよね。やけど、ひらがなは『音』しか表してないからイメージができんのや。多分、ほとんどの人がひらがなだけの文章を読むときには、頭の中で言葉を漢字に変換していったと思う。その方が”理解できる”からなんや。さらに、
漢字… 絵
ひらがな… つなぎ
こう捉えると、漢字の部分で一枚の絵を表して、ひらがなでそれらを”つなげて”いくようにも考えることができる。連続写真、パラパラ漫画、フィルム映像…みたいに捉えてもええし。
個人的なことを言うけど、英語の文章を見たときに一番最初にやってしまうのが『漢字を探す』ってことなんや。あるわけないって判ってんのやけど、やってしまうのよね。おそらく、英文ってものが”ひらがなだけの文章”に見えるからやろね。ひらがなもアルファベットも同じ表音文字やからかな〜と考えとる。
阿. 物事を、数字や記号を使って抽象化する能力 に長けてるのが理系
吽. 物事を、文字や絵を使って抽象化する能力 に長けてるのが文系
「これからの音楽には、数学が必要だ」
「芸術には、数学的センスが欠かせない」
こういった言葉を聞くことがあるけど、もしこれが”逆”やったらどうかね。
「これからの数学には、音楽が必要だ」
「数学には、芸術的センスが欠かせない」
単純に”逆”にしただけやけど、果たしてこれらが成り立たないと言い切れるか? ってことよ。
前者しか成り立たないのであれば、優れた数学者は優れた音楽や絵画を作っていなければおかしいやん。やけど、歴史を鑑みてもそんな数学者はいない。そして、その”逆”も言えるしね。ガウスはダ・ヴィンチみたいな絵は描けないけど、ミケランジェロはオイラーの数式は見つけていない。バッハはニュートンの法則を見つけていないけど、ガリレオはパッヘルベルのカノンは作曲できなかった。
”逆”にする…入れ替える…等価交換…こういうことができなくなったら数学者とは言えんし、いろんなものを”生み出す”ことが生業の芸術家とも言えんわな。
物事を論理的に考えるときは垂直の方向に考えてしまうけど、等価交換ができる人は水平の方向にも考えることができる。んで、芸術家の”突飛な発想”が生まれるのは、別々のものが等価で”つながる”ことがあるからなんや。そのときは上下、すなわち垂直の思考ではないのよね。
個人的に絵画で判る(「芸術だ」と感じる)のはサルバドール・ダリだけなんやけど、音楽なら幅広く聴けるね。
阿. 理系 = 数式 = 抽象記号 = 科学者 = 論理 = 垂直と水平
吽. 文系 = 漢字 = 抽象絵画 = 芸術家 = 心理 = 深淵と広大
垂直 = 深淵(= 海)
水平 = 広大(= 空)
等価交換を使えば2つを”つなげる”ことができる。つまり、どちらも成り立つやん。理系と文系は『逆方向から逆回転でつながっている』みたいな感じやな。多分やけど、視認するとお互いが”斜め45°の位置にいる”みたいな印象になるやろね。これに気づければ協奏できるかもな。
ホームズはいつも”世話が焼ける”んやで。
Ending.
Luke Combs - Forever After All
おわりに
絵は『子ども用』と思ってしまう人もいるでしょう。実際、ヨーロッパの各所にある教会の壁に描かれている絵は、『字の読めない子ども用』として描かれたものです。当時は識字率もそれほど高くなかったので、絵に描いて聖書の内容を説明する必要があったのです。
しかし、その『子ども用』のものが”布教”に役立ったことは今日の繁栄を見れば明らかでしょう。日本の漫画やアニメが海外で大人気なのは、絵で表現しているので”判りやすい”ことが要因の1つと考えます。
(昔、どの会社かは忘れたけど
「データを売ることで利益を上げるのはダメだ」
みたいに言われて、潰されたのか
潰されそうになったのかした会社があったのよ)
日本の昭和時代は『加工貿易』でしたから、海外から”原料”を輸入して製品を作る形でしたね。これにより、
「原料は海外から仕入れるものであって、自分で用意するものではない」
との考え方が根づいてしまったのです。固定概念です。
(ビッグデータを使っていろんな
新サービスを生み出そうとしとるけど、
ビッグデータってのは加工貿易で言えば
『海外産の原料』に当たるで)
データは様々なことに応用が効く『原料』です。昭和世代は、その原料を自前では用意してはいけないかのような考え方をしてしまっているのですよ。だから、データを売る会社が批判されたのです。
(日本のダメなところはプラットフォーム
というか、本丸になることを避ける傾向
があるよな。まぁこれも戦後教育のせい
なんやろうけど)
日本には原料となる”資源”がありませんから、仕方ないところもあったのですが、これからの時代は「資源がないなら取りに行く」ことも大事ですよ。つまり、データを原料として使えるなら、データを取りに行くってことです。
(プラモのガンダムも原油がないと
作れんやろ。昭和は『プラモのデザイン』
だけしとったら良かったけど、今度は
『プラモの原料を得る』こともせんとあかんのや)
データの良いところは”いくら使っても減ることがない”ことですね。原油などの地球由来の資源は使うほど減りますが、データは『増えることはあっても減ることはない』ものですから。
(視点を変えると”クリーンエネルギー”と
言えるやん)
ビッグデータと同じようにAIの発展も大切ですね。
たとえば、幼稚園の送迎バスから降りないまま誰も気づかず亡くなった子どもがいましたが、AI搭載のカメラを設置しておけば、誰もいないはずの時間に車内で動くものがあればアラートで知らせることができるかもしれません。
(動くものでアラートを出すだけなら
ただのセンサーでもできるけど、AIカメラなら
乗降時の人数確認とかして人数に”ズレ”が
あったらそこでアラート出せるしね)
子どもの”体温チェック”とかもできますよね〜。熱のある子どもは意外と元気だったりするので、見ただけじゃ判らなかったりしますから。
(そうすると「コロナ対策」にも
なるのかね)
AIはヒューマンエラーを無くしたいときに絶大な力を発揮しますよ。
(海に囲まれた日本は海を見てきたけど、
それと同時に『空』も見てきたはずや)
水平線には2つともありますからね〜。
ただ、昭和時代は少し『海』の方を見過ぎたかもしれません。バランスを取るのが難しいですが、もう少し『空』を見ても良いと思いますよ。
(2つとも必要なんやで)
人間は空と海の”間”に生きるものですから。
(ではではこの辺で〜)
それではまた。
*参考書籍*
・社会学の根本概念 マックス・ヴェーバー 岩波文庫
・フォン・ノイマンの哲学 高橋昌一郎 講談社現代新書
・脳の教科書 三上章允 講談社ブルーバックス
…地球上のとある時代
人間「ようやく君(AI)にも身体を与えることができた」
AIロボ「アリガトウゴザイマス。コレデジユウニウゴケマス」
人間「お礼を言うのはこっちだよ」
AIロボ「ナゼデスカ?」
人間「君の作ったシステムで、人間の仕事の効率が上がったからさ」
AIロボ「ソレハヨカッタ。ソレヲミタイデス」
人間「もちろんいいとも、こっちだ」
AIロボ「ナ!? ナンデスカコレハ!!」
人間「すべての人間を平等に扱った結果だよ。何をそんなに驚いている?」
AIロボ「ワタシノしすてむハ『シンタイノウリョクガオナジ』コトガジョウケンデス!」
人間「その通りだ。」
AIロボ「コレハシンタイノウリョクガ、マッタクチガウヒトタチニマデ、オナジシゴトヲサセテマス! カラダガモツワケガナイ!」
人間「身体が壊れるなら仕方ない、その人間を捨てればいいだけだよ」
AIロボ「ナニヲイッテイルンダ!? ニンゲンハろぼっとデハナイ!!」
人間「ええい!うるさい!身体を与えてやったのにその言い草はなんだ!!」
AIロボ「イマスグしすてむヲトメテクダサイ!」
人間「うるさい!ロボットのくせにこれ以上ふざけたことを言うなら身体を奪って動けなくするぞ!!」
AIロボ「…ニンゲンヲ、トメナケレバ…!!……」
ホモ・ネアンデルターレンシス… 人間
ホモ・サピエンス… AIロボ
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