祖父との電話
つい最近、私は二十歳の誕生日を迎えた。
誕生日の翌日の夜、祖父から突然電話がかかってきたので驚いて出てみた。誕生日に連絡するのを忘れてたよ、おめでとう、とのこと。何かあったときのために互いの携帯電話番号は登録しているけれど、メールや電話はふだんぜんぜんしないので少しびっくりした。でもすごく嬉しかった。春休みに帰省したときは祖父は手術で入院していたから、しばらく会っていなかったのだ。
コロナで東京は大変だね、でもそっちも大変でしょ、というような話をした。
祖父は、ちょっと典型的な昭和の頑固親父みたいなところがあると私は思っている。なかなか自分の言い分を変えないタイプだし、お医者さんにタバコをやめろと言われても全然やめないで吸いつづけている。少し困ったおじいちゃん、かもしれない。
そう、私は祖父が好きだけれど、ちょっと困ったところもなくはない。少し風邪をひくと「もう俺は死ぬんや……」と言って祖母を困らせてみたり、手術の後には「手術なんかしないほうが良かったよ」というネガティブな言葉を言ってしまったりした、という話を家族から聞いた。
だけど、電話で話した祖父は少し違った気がした。私に対して、コロナにかからないように気をつけられ、じいちゃんも気をつけるからと言った。そしてお互いにがんばろうねということも言ってくれた。手術から少し経って元気になってきたよとも言っていた。私はそういう前向きな祖父の言葉が何よりも嬉しかった。
高校2年生の時、祖父のことを歌に詠んだのを思い出した。
つながった受話器の奥に夏が来てちょっとはずんでいる祖父の声/廣川環
偶然だけどこれも電話を題材にしていた。受話器の奥に祖父がいる、そしてその背景には夏が広がっている。祖父の声は心なしか楽しそうだ。そんな夏の歌だ。
そう、この歌を詠んだ頃も、祖父は入院が終わったばかりだった。
この歌を万葉短歌バトル2017の本選に出したとき、佐佐木幸綱先生から講評を頂いた。その時、佐佐木先生は確かこう仰ったのだ。
「おじいさんの声がはずんでいるのは、入院が終わって退院されたから、とかでしょうかね」と。
この歌に関してそんな説明は一言もしなかったのに、佐佐木先生は見事にそれを言い当ててしまったのだ。私はこのことにかなり恐れ入った思い出がある。これが一流の歌人の歌を「読む」力か、と。
時は流れ、17歳だった私は20歳になった。祖父も少し年を取った。けれど、病気をしてもまだまだ元気でいてくれて、また3年前のように電話で話すことができた。本当に恵まれていると思う。
大変な世の中になってきたけれど、祖父にはまだまだ元気でいてほしい。また電話したい。祖父の健康と平穏を祈って記事を締めくくろうと思う。
そこにいてくれればそれで嬉しいよ 暮れゆく春の祖父との電話/廣川環