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ショートショート怪談1 眼鏡

 ストレスは体のいろいろなところに影響を及ぼす。眠れなくなったり、髪が抜けたり、胃の調子が悪くなったり、逆に馬鹿みたいに食欲が旺盛になったりする。
 これは友人から聞いた話である。仮にAくんとしておこう。

 Aくんが友達のBくんと居酒屋で飲んでいたとき、Bくんがある悩みを打ち明けた。
「眼鏡がどこかにいくんだよ」とBくんは揃った料理に手を付けずこぼした。
「どこかにいくって、失くすってことかい?」
「そう」
 言われてみればBくんは、前に会ったときとは違う真新しい眼鏡をしていた。今月に入って5本目だという。
「眼鏡屋さんもさ、変な目で見てくるわけよ。だから最近は店変えてるわけ」
 とBくんは眼鏡をテーブルに置き、目頭を押さえた。
 彼は最近現場の仕事からオフィスワークへと配置換えにあったらしい。目が疲れているのだろう。
「例えば、今こうやってテーブルの上に置いといたら次の瞬間どこかにいくってるってこと?」とAくんは尋ねた。
「次の瞬間っていうか、朝起きたり、お風呂からあがったりしたらさ。あと、僕は近視だから本を読むときは外すんだけど、ひと区切りして眼鏡を取ろうとするとないんだ」
「ふ~ん」とAくんは考え込む。
 よくものを失くす人は定位置というのもがない。あっちに置いたり、こっちに置いたりして、無い無いと騒ぐ。Bくんもその類だと思いたいところだが、彼はAくんの知り合いの中でもトップクラスに、いや病的なまでに几帳面で神経質なほうだ。そんなことはあり得ないと断言できる。彼の家には眼鏡をはじめ、各種リモコンや食器類、ティッシュ、ゴミ箱、すべてが決まった場所に収まっているのだから。

「でね。あるときふと見つかることがあるんだよ」とBくんは言う。
「なら良かったじゃないか」
「良くないよ。踏んじゃうんだから」
「踏む? 床に落ちてるの?」
「うん。ガラスの破片とかさ。スリッパ履いてるときはいいけど、お風呂あがりに踏んだりしたら痛いのなんの」
「踏む前から壊れてた感じ?」
「たぶんね」顔をしかめBくんは続ける。「でね、不思議とその踏んだその眼鏡? というか眼鏡の破片? ヌメヌメと濡れてるんだよね」
 ヌメヌメとBくんは言った。濡れていると聞いてまず思い浮かぶ擬音はビショビショとか、ビシャビシャが相場だがヌメヌメらしい。そこには何か粘着質的な何かを思い出させる。糊とかローションとか、スライムとか、カエルやウナギの皮膚とか、唾液をはじめとした体液とか…。
「眼鏡もさ、決して安くないんだから困ってるんだよ」と言いながらBくんは、眼鏡のつるを口先でもてあそびはじめた。
 結局、その日出てきた料理をBくん「最近お腹空かないんだ」と手をつけることはなかったという。

                                 (了)

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