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(エッセイ) その路地の奥には…


賑やかな表通りより、地味な裏通りが好きだ。
ひっそりして、でも生活の匂いがする、昭和のまま時間が止まっているような路地がとりわけ好きで、そういう界隈を一人でブラブラ歩くのは楽しい。これは若い頃からの傾向で、20代の頃から、東京で言えば港区界隈には興味がなくて、台東区等の下町が好きだった。海外でもダウンタウンばかり歩いている。


薔薇や百合の花は好きだし美しいと思う。それ以上に、誰も見ていない所にひっそり咲く山野草や道端に咲く小さな花のほうに惹かれる。
何に関しても、メジャーなもの、流行のもの、華やかなものよりも、マイナーでニッチで地味なものに惹かれる傾向があって、結果、自然にメインストリームから外れてしまうんだなあ…とも思う。


マイナーでニッチで地味なものは、疲れないから好きなのかもしれない。
新しいもの、ワクワクするもの、気分がアガるものに比べて、新しくもなく、ワクワクもせず、気分がフラットなままのものは、注目もされない代わりに疲れないから。



以前住んでいた家から徒歩10分位の所に、昔からの住宅や商店が並ぶ路地があった。
空襲で焼け残った一画で、昭和初期から建っている木造住宅や小さな神社、昔からの和菓子屋、畳屋等が点在していた。
少し行くと交通量の多い道路に出る。そこは24時間騒がしい、バリバリの
" 現代 " なのに、一歩外れたその路地は、まるで時間が止まった ” 過去" 。
背の高いマンションもコンビニもなく、いつ行っても人の姿はまばら。
そんな何もないエアポケットのような空間が好きで、時々散歩に行った。 


古い家ばかり並ぶその路地に、とりわけ古い平屋の木造住宅があった。
立派な造りでもないのに、よく残っているなあと感心する、黒く煤けた木造住宅。
道に面した入り口は全面ガラス戸になっていて、店のような造り。ガラス戸には黄ばんだ粗末なカーテンが懸かっているが、人がいる気配は無い。

(出典)


一体何の店だろう?  ある日カーテンの隙間から覗いてみると(カーテンは幅広の1枚物ではなく、中が見える隙間があった)、驚くことに中には背の高い本棚が並び、大量の少女漫画誌(週刊や月刊のマーガレット、少女フレンド等)の背表紙が見えた。どれも昭和の物で、おそらく何百冊という量だ。
私は想像もしなかった大量の昔の少女漫画誌の光景に圧倒された。


ーー そこは、たぶん漫画専門の貸本屋だったのだ(近くには小学校がある)。子供たちを相手にする貸本という商売が成り立たなくなり、かなり前に閉店したのではないだろうか。店主が存命かどうかは知らないが、マニアが見たら「お宝本」も多いだろうに、手をつけずに放置されているらしく、そこには埃と見えない時間が重く沈殿しているようだった。

左は60年以上前のマーガレット創刊号(集英社サイトより)


それから数カ月後のある日、晩春か初夏の陽気の良い日にその路地に散歩に行くと、あの店の黄ばんだカーテンが半分くらい開いていた。ガラス戸は閉まったままだ。
近づいてみると店の中に人がいた。80代くらいの痩せた白髪の老女が一人、浴衣かホームウェアのようなものを着て店の中にいるのが見えた。

あの人が店主? 高齢だし、あまりお丈夫そうには見えないから、体調が良い日に久々に店に出て来たのだろうか? ジロジロ見るのも失礼なので、目を合わせないようにそれとなく眺めると、老女は(たぶん彼女の愛する)大量の少女漫画誌に囲まれて楽しげに微笑んでいた。

昭和初期の木造住宅。白髪の老女と大量の昔の少女漫画……なんとも浮世離れした、現代とは思えない光景だった。まるでタイムスリップしたような。


「これ全部、お一人で集めたんですか?」
「少女漫画がお好きなんですか?」
「昔、貸本屋をしていた時はどんな感じだったんですか?」

……等々、訊いてみたいことは山ほどあった。でも、通りすがりの見知らぬ人間が突然そんなことを訊くのも憚られたし、どういう経緯があったのかは知らないけれど、その時のその人は幸せそうに見えた。それでいいじゃないかと店の前を離れた。


それから1年以上経ち、また店の前を通った。
相変わらず黄ばんだカーテンは懸かっていたが、隙間から覗くと本棚も大量の少女漫画誌も綺麗さっぱり消えていた。何もないガランとした店内。誰かが遂に処分したらしい。老女はどうなったのだろう……。
あの空間に積もっていた見えない時間の重さや淀みも、あっけなく消えてしまっていた。


「昭和がまた一つ消えた」というより、もっと濃密な何か。「こんにちは!」と入ってくる子供たちの姿や、若き日の老女と子供たちが喋り、笑いさざめく声、一つ一つの漫画に胸ときめかせた子供たちの思いーーそんな全てがすっぽりと過去の次元に吸い込まれてしまったかのように……。

私の好きな詩人・作家、長田弘氏の『路地の奥』というエッセイに、こんな文章がある。

「路地の奥で生まれて、そだった。その街の中心の、商店街の道一つ裏。…ゆきどまり。家と家とが額をあつめるようにならんだ路地だ。へちまの棚。卵の殻をふせた万年青(おもと)の鉢。木目の透きでるまで洗われた窓の桟…


…路地には、さまざまなひとが住んだ。映画館の支配人。いつも照れたように蝶ネクタイをして、路地を足早にでていった。鉄道の保線工。朝早くかえってきて、昼のあいだ眠る。非番の日には、模型ヒコーキをつくることに熱中した。…路地の一番奥には、老女がひっそりと一人で暮らしていた。あのひとは不幸なひとなんだよ。----子どもは不幸というのが何かわからない。しかし、それに手をふれてはいけないのだということは、わかっていた。

 親しい仲にも秘密がある。ひとの秘密には手をふれてはいけないのだ。それが生まれそだったゆきどまりのちいさな路地が教えてくれた、ひとの暮らしの礼儀だった。


 ひとはひとに言えない秘密を、どこかに抱いて暮らしている。それはたいした秘密ではないかもしれない。秘密というよりは、傷つけられた夢というほうが、正しいかもしれない。けれども、秘密を秘密としてもつことで、ひとは日々の暮らしを明るくこらえる力を、そこから抽きだしてくるのだ。


 どんなちいさな路地にさえ、路地のたたずまいには、どんなひろびろとした表通りにもないような奥行きがある。ひとの暮らしのもつ明るい闇が、そこにある
」(※途中略あり)


今でも、あの日の老女の光景は白昼夢か幻だったのではないかと思うことがある。いや、私は確かに見た。けれど、あれが路地の見せてくれた魔法ではないとも言えない気がするのだ。


路地にはひそやかな記憶や誰かの夢の欠片が、人知れず眠っている。
路地を歩くのは、そんな記憶や夢の欠片に出逢いたいからかもしれないなと思う。

★今回の記事で使わせて頂いた路地の画像は、下の露塵散さんのnoteから。都内に今も残る昭和レトロな路地を丹念に歩き回り、懐かしい日本の雰囲気のある画像が多数掲載されていて、楽しみに拝見しています (๑´ω`๑)


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