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いちじくという逆張り[2021/3/12]


・朝食は、いちじくジャムのトーストにした。そんなに美味しいわけではなかった。ブルーベリー、オレンジ、ストロベリーなど、ベタなジャムは「ベタ」に上りつめるだけの実力があるってことなんだよな。「今の俺、いちじくぶってねえかな」って、たまに胸に手を当てて考えてみよ。


・ひなたぼっこしながら、あらゐけいいち『CITY』12巻を読んだ。

・ニホンオオカミ可愛い~。

・最近、書くのが怖い病がひどくなってきた自分にも刺さる応援歌だ。


・数日前の日記に書いた、ミシェル・フーコー『エルキュリーヌ・バルバン』の英訳を、読み終えたような、読み終えていないような。

・ 「『狂気の歴史』以来、一般施療院とバスチーユ監獄に残された収監古文書を発掘することはフーコーの常変わらぬ企画だった。フーコーはその計画に専心し数度にわたりそれを実行に移そうとする。この文章[「汚辱に塗れた人々の生」]が序文を成すアンソロジーの計画は、一九七八年に『対比列伝』“Les vies paralleles”という叢書名で刊行され(ガリマール社)、フーコーはその第一巻としてエルキュリーヌ・バルバンの遺書を出版し」たという背景があるらしい(丹生谷貴志訳「汚辱に塗れた人々の生」の冒頭、解説部分より)。

・フーコーの「汚辱に塗れた人々の生」はジル・ドゥルーズが「まぎれもない傑作」と絶賛したそうだ。「したそうだ」っていうか、ドゥルーズ『フーコー』は一応読んだことあるんだけど……覚えてないな。読み返さないと。


・歌人・穂村弘のインタビュー記事を読んだ。

・穂村さんが、会社的なもの、つまり「生きる言葉」ではなく「生きのびる言葉」を要請する社会的なものが苦手であることは、何度も書いているというか、通奏低音のようにエッセイに響き続けている。が、このインタビューでは、穂村さんを「生きのび」させるために会社の人が優しくしてくれたエピソードが綴られていて、印象的だった。僕も、「生きる」ことのほうに関心がある人間だが(何せ「生きのびる」ためにはポルノグラフィなんざ要らない)、「生きのびる」ことを簡単に捨てちゃいかんよな。

親が会社員でしたし、親戚にも自営業やフリーで働いている人がいなかったので、「働く=勤め人」みたいなイメージしかなかったんですよね。とはいえ、当時は「ずっと学生をやっていたい」みたいな、いわゆるモラトリアムタイプだったので、とにかく社会に出るのが怖かった。「1万歩散歩して喫茶店で読書だけしていれば1日5,000円もらえる。でも、その金額は一生上がることはない」という契約を悪魔に持ちかけられたら、自分は受けてしまうだろうなと思ったことを覚えています。

・一生月給15万円か……。本当に悩む。究極の選択。

・悩んだ過程と結果を書こうと思ったけど、読んだ知人に嫌われる可能性が1%ぐらいあるかなと判断してやめた。こういうときに、本当に誰にも見せないEvernote日記を持っておくと、心が休まるんですよ。



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