エキゾチック演算遊び(7:マスロフの演算4)

さて、ここまで長々とマスロフ演算の話をしてきましたが、いよいよ今回で終わりの予定です。

前回はマスロフ演算と通常和の分配法則をみて、
「$${h,\;k}$$動かしても通常演算は再現できなくね?」
と思ってモヤモヤしました。

さらに私、$${h}$$を残した第三のマスロフ演算まで出しました。しかもこいつも通常演算が再現できない難点を持っていたわけです。

なるほど、たしかにマスロフの演算は、通常演算とのつながりにあまり目を向けないことにすれば、それ単体で分配法則etc. 満たすんですから興味深い演算です。
さらに極限がトロピカルになるので、トロピカルに至る道中で何が起きているかという興味にも答えてくれそうです。

しかし、それだけがマスロフ演算の目的ではないんです。それでわざわざ第三の演算を持ち出したんですけど、じゃあいよいよ、マスロフの真の目的を見ていこうと思います。

彼の真の目的とはなんでしょう?
まあ推理してみてください。

ヒントは2つ。$${h}$$という文字、そしてマスロフが数学と物理の狭間にあった人間ということがポイントになります。

そう、実は初回に伏線があったんですね。

彼は$${h}$$をプランク定数と見立てていたんです。


プランク定数とはなんぞな?

プランク定数は量子力学に現れる重要な定数です。
たとえばシュレーディンガー方程式、

$$
-\dfrac{\hbar^2}{2m}\dfrac{\partial^2}{\partial x^2}\psi+U\psi=i\hbar\dfrac{\partial}{\partial t}\psi
$$

に出てくる$${\hbar}$$は$${\dfrac{h}{2\pi}}$$のことです。
ギリギリ高校の教科書に載ってるレベルだと、ボーア(・ゾンマーフェルト)の量子条件とか、光子のエネルギー、運動量で出てきますね。

こいつらはミクロな世界を覗こうと思って初めて出てきます。

この辺の話はどうせどこかの誰かが「わかりやすい量子力学」「10分でわかる量子力学」なんて記事や動画を上げてるでしょうから私は触れません。

そんな簡単に量子力学が分かると思うなよ?


閑話休題。

どうしても世の中は「猫でも分かる」「10分でわかる」「今日からはじめる」「文系でもわかる」「中学生でもわかる」とかって触れ込みのつくものが多すぎる気がするんです。その方が売れますからね。

大概こういうのは後ろに「程度の内容までしか踏みこまない」とつけると釣り合いが取れるかなとおもってます。
すなわち、
「10分でわかる程度の内容までしか踏みこまない量子力学」
「猫でも分かる程度の内容までしか踏み込まない相対性理論」
(実際猫が日本語読めたら大ニュースなわけですが)

ですから、もっと世の中「学問って難しいよ」って本も増えていいと思うんです。
アインシュタインも悩んだ量子力学」
教授が頭を抱える一般相対性理論」
東大生も読むのを諦める熱場の理論」
「今日から始めても遅い地獄の超対称性理論入門」
とかね? むしろワクワクしない?


さて、片や量子力学。もう一つこの記事では前提知識を求めます。解析力学です。

解析力学は、量子力学ほど世間で話題になることもない物理の一分野で、端的にいうと「ニュートン以降の天才たちが散漫な力学世界を一つにまとめていたらいつのまにか幾何学になってたぜ」って感じの分野です。

一般的な大学のカリキュラムだと、ラグランジュ形式、ハミルトン形式やっておしまいか、やるところだとハミルトン・ヤコビ方程式までやるってところでしょう。
それ以上の内容はやったところで、そこまで使わない & 数学の素養がないと死ぬ ので、あまり大学の講義ではみませんね。

最近、電通大の緒方先生がYouTubeでそのあたり幾何的な解析力学の動画を上げてくださって、ようやく世間一般でいう解析力学を超え、枠が広がりつつあるなぁと裃は喜んでたりします。

個人的には緒方先生の動画、楕円関数も物理科の生徒向けにもおすすめと思っていて、どこぞのYouTuberみたいなケレンみもない、粛々とわかりやすく説明するのってすごいなと思います。


で、解析力学。
じつは力学そのものはニュートン力学で完結してます。もちろんニュートンのいうままでは慣性力も使えませんし、剛体運動も如何ともし難いので、いろいろあの手この手で式変形したり補正をかけるんですが、ベースは変わりません。ニュートン力学ありきです。
そういう力学世界を改めて広い視野で纏めるのが解析力学。つまり、ぶっちゃけただ力学を使うだけなら別に知らなくてもなんとかなるような分野です。

それなのに(?)解析力学を学ぶ理由はなんなのか。
いくつかあります。裃なりの解釈で挙げると、

・より効率良く高精度な数値計算をコンピューターにさせるにはどんなアルゴリズムを組むべきかヒントをくれる。
・量子力学前夜は解析力学を駆使して新たな分野の影を掴もうとしていた、その歴史的事情から。
・一般相対性理論の動機づけのために。
・場の量子論や経路積分のあたりのために。
・物理を数学化するとはどういうことなのか徹底的にわからせて、中途半端な決意で数理物理に来させないための関門。

こんな風に、この先々学ぶことの実用的、歴史的土台になっていたり、技術が変わっても根幹の根幹を抑えてるから最悪ここから応用を再開すれば良いという基地になっていたり、ようはベースになっているわけです。

で、今回そんな解析力学からなにを持ってくるかというと、ハミルトン・ヤコビ方程式を持ってきます。ハミルトン・ヤコビ方程式は、

$$
H+\dfrac{\partial S}{\partial t}=0
$$

です。
$${H}$$はハミルトニアンと呼ばれるもので、細かいことを言うとラグランジアンからルジャンドル変換をして得ますが、日常生きている中で出会う大抵の場合は運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和、つまり力学的エネルギーになります。

$${H=\dfrac{p^2}{2m}+U}$$

もちろんこれ、

$${\dfrac{1}{2}mv^2+U}$$

こうとも書けなくはないのですが、普通ハミルトニアンと言ったら変数は運動量$${p}$$を使うもんです。

もう一つの文字$${S}$$はハミルトンの主関数と呼ばれるもので、実のところこいつが何者なのかは大学の授業だとたいして問題になりません。
これねぇ、これが掘ってみると面白くてね。解析力学と光学、電磁気学のつながりが見えるんですな。
「ああ、やはり量子力学はあるのだな」なんて思えて楽しいんですが、今回は割愛します。

こぉれから先が面白いんだが、またの機会でございます。

この辺りは朝倉書店から出てる山本義隆先生の「解析力学I,II」を読むといいでしょう。


なんか余談が多いな今日。

さて、道具が二つ揃ったところで、手品の時間。
まずシュレーディンガー方程式を持ち出します。

$$
-\dfrac{\hbar^2}{2m}\dfrac{\partial^2}{\partial x^2}\psi+U\psi=i\hbar\dfrac{\partial}{\partial t}\psi
$$

ここで、

$$
\psi=\psi_0e^{i\frac{S}{\hbar}}
$$

とします。それで頑張ってえんやこら微分した後$${\hbar\to0}$$するとハミルトン・ヤコビ方程式が出てくるんです。

つまり、$${\hbar}$$が小さすぎて無視できる範囲では量子力学の式が古典力学の式になるんです。

以下そのことを計算していきますが、なかなかに式が長いのと、表示が微妙に重なってて醜いので、読み飛ばしてもらって大丈夫です。
大事なのはともかく結論、

「$${\hbar}$$が小さすぎて無視できる範囲では量子力学の式が古典力学の式になる」

です。


$${\psi_0,S}$$が$${x,t}$$などに依存するとして、頑張って微分します

$$
\dfrac{\partial}{\partial x}\psi=\dfrac{\partial \psi_0}{\partial x}e^{i\frac{S}{\hbar}}+i\dfrac{1}{\hbar}\psi_0\dfrac{\partial S}{\partial x}e^{i\frac{S}{\hbar}}
$$

え、これもう一回微分するの?

$$
\dfrac{\partial^2}{\partial x^2}\psi=\dfrac{\partial^2 \psi_0}{\partial x^2}e^{i\frac{S}{\hbar}}+2i\dfrac{1}{\hbar}\dfrac{\partial \psi_0}{\partial x}\dfrac{\partial S}{\partial x}e^{i\frac{S}{\hbar}}+i\dfrac{1}{\hbar}\psi_0\dfrac{\partial^2 S}{\partial x^2}e^{i\frac{S}{\hbar}}-\dfrac{1}{\hbar^2}\psi_0\left(\dfrac{\partial S}{\partial x}\right)^2e^{i\frac{S}{\hbar}}
$$

$${t}$$微分はさして難しくなく、一回目の$${x}$$での微分と同じです。

$$
\dfrac{\partial}{\partial t}\psi=\dfrac{\partial \psi_0}{\partial t}e^{i\frac{S}{\hbar}}+i\dfrac{1}{\hbar}\psi_0\dfrac{\partial S}{\partial t}e^{i\frac{S}{\hbar}}
$$

これを代入すると、

$$
\begin{array}{}-\dfrac{\hbar^2}{2m}\dfrac{\partial^2 \psi_0}{\partial x^2}e^{i\frac{S}{\hbar}}-\dfrac{i\hbar}{m}\dfrac{\partial \psi_0}{\partial x}\dfrac{\partial S}{\partial x}e^{i\frac{S}{\hbar}}-\dfrac{i\hbar}{2m}\psi_0\dfrac{\partial^2 S}{\partial x^2}e^{i\frac{S}{\hbar}}+\dfrac{1}{2m}\psi_0\left(\dfrac{\partial S}{\partial x}\right)^2e^{i\frac{S}{\hbar}}+U\psi_0e^{i\frac{S}{\hbar}}=i\hbar\dfrac{\partial \psi_0}{\partial t}e^{i\frac{S}{\hbar}}-\psi_0\dfrac{\partial S}{\partial t}e^{i\frac{S}{\hbar}}\end{array}
$$

こんな感じでワサワサになるので、$${\hbar}$$の"べき"で分けて書いて見やすくします。

$$
\begin{array}{}\dfrac{1}{2m}\psi_0\left(\dfrac{\partial S}{\partial x}\right)^2e^{i\frac{S}{\hbar}}+U\psi_0e^{i\frac{S}{\hbar}}+\psi_0\dfrac{\partial S}{\partial t}e^{i\frac{S}{\hbar}}\\-\dfrac{i\hbar}{m}\dfrac{\partial \psi_0}{\partial x}\dfrac{\partial S}{\partial x}e^{i\frac{S}{\hbar}}-\dfrac{i\hbar}{2m}\psi_0\dfrac{\partial^2 S}{\partial x^2}e^{i\frac{S}{\hbar}}-i\hbar\dfrac{\partial \psi_0}{\partial t}e^{i\frac{S}{\hbar}}\\-\dfrac{\hbar^2}{2m}\dfrac{\partial^2 \psi_0}{\partial x^2}e^{i\frac{S}{\hbar}}&=0\end{array}
$$

さて、ここで$${\hbar}$$が非常に小さいとします。すると結局1行目しか残りません。ちょっと指数関数が怖いのですが、ここも、

$$
\psi_0e^{i\frac{S}{\hbar}}\left(\dfrac{1}{2m}\left(\dfrac{\partial S}{\partial x}\right)^2+U+\dfrac{\partial S}{\partial t}\right)
$$

とまとめられますから、カッコの中が0だと言えばなんとかなりそうです。

$$
\dfrac{1}{2m}\left(\dfrac{\partial S}{\partial x}\right)^2+U+\dfrac{\partial S}{\partial t}=0
$$

どうです? 唐突ですが、このカッコの中身、ハミルトン・ヤコビ方程式に見えません?

$$
\begin{array}{}変形してきた式の一部&\dfrac{1}{2m}\left(\dfrac{\partial S}{\partial x}\right)^2+U&+&\dfrac{\partial S}{\partial t}&=&0\\ ハミルトン・ヤコビ&H&+&\dfrac{\partial S}{\partial t}&=&0\end{array}
$$

え? 見えないって? じゃあ大盤振る舞い。$${S}$$と運動量$${p}$$には次の関係があります。

$$
\dfrac{\partial S}{\partial x}=\dfrac{\partial L}{\partial \dot{x}}=p
$$

これを入れましょう。

$$
\underline{\dfrac{1}{2m}p^2+U}+\dfrac{\partial S}{\partial t}=0
$$

そして、この時第一項は運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和ですから、ハミルトニアンとみなせて、

$$
\dfrac{1}{2m}p^2+U=E=H
$$

ではありませんか。そうすると、

$$
H+\dfrac{\partial S}{\partial t}=0
$$

となりますから、ハミルトン・ヤコビ方程式ではありませんか!


さて、物理の話はおしまい。
やったことを復習すると、量子力学の式シュレーディンガー方程式に、なにやら変な$${\psi=\psi_0e^{i\frac{S}{\hbar}}}$$を代入すると、古典力学、解析力学の式ハミルトン・ヤコビ方程式になるということです。その道中、一つの極限操作をしていましたね。

$$
\hbar=\dfrac{h}{2\pi}\to0
$$

つまり、$${h\to0}$$してるんです。

もう一度言いますよ。

$${h\to0}$$してるんです。

はい。これがマスロフの野望です。

量子力学での$${h}$$を(1から)0にしたら古典力学になる。
なら、マスロフ演算の$${h}$$も1から0にすれば、通常演算(量子論に対応)から新たな演算(古典論に対応)が導けるのではないか?

これのことをdequantizationと呼んでます。
日本語では脱量子化とか、逆量子化とか訳されます。

もう一回言うぞ、

なら、マスロフ演算の$${h}$$も1から0にすれば、通常演算(量子論に対応)から新たな演算(古典論に対応)が導けるのではないか?

は? 何言ってんの? 逆じゃない?

いや、そうなんですよ。私も初めそう思ったんです。ところがマスロフは、通常演算は量子的だと、一方古典論的な数学があるんじゃなかろうかと言うんですね。
だから、念を押しますが、逆じゃないんですよ。

たしかに……、うーん、まあ、マスロフ演算の$${h\to0}$$極限、トロピカル演算は、グラフも直線的です。
まだ本編で話してませんけど、アメーバっていうグラフがありまして、こいつをトロピカル化すると、骨組みだけ残った線が現れるんです。
つまり、初めは量子力学の波、波束のように幅のあるグラフがトロピカル化することで幅のない線になる、古典的な質点になるってイメージなんでしょうか?

いや、しかし、普通の計算が量子的ですよと言われてもいまいち納得できませんね……。


いろいろ文句を言い出すとキリがないのですが、正直私は納得できてません。
まず気持ちの面で抵抗があるのは、百歩譲って通常計算=量子論としても、$${h}$$を1から0にする際に影響を受けるのは和則だけ、ということです。

$$
\begin{array}{}\begin{matrix}[脱量子化の野望]&量子的&&古典的\\h&1&\to&0\\和\;\oplus_h&通常和(+)&\to&トロピカル(\max)\\積\;\otimes&通常和(+)&\to&通常和(+)\end{matrix}\end{array}
$$

もし量子論的計算から古典論的計算を出したい、この思想を突き詰めるなら、演算積、つまり$${\otimes}$$の側も、$${h}$$の変化に対し変わっていくべきではないでしょうか?

$$
\begin{array}{}\begin{matrix}[こうじゃない?]&量子的&&古典的\\h&1&\to&0\\和\;\oplus_h&通常和(+)&\to&トロピカル(\max)\\積\;\otimes_h&通常積(\times)&\to&通常和(+)\end{matrix}\end{array}
$$

こうなるような演算が作れるならまだ解ります。それにこれなら分配法則で$${h=1}$$を除外する問題にも対処できそうです。

しかし、そうではなく、なぜか積演算たる通常和は$${h}$$によらず不変なのです。

同様に、もうひとつ納得できないのが、物理の中身の演算は$${h\to0}$$しても変わらないということです。

$${h\to0}$$を取ることで量子力学から古典力学に移れるのはたしかですが、言わずもがな量子力学の計算式がトロピカル化されるわけではありません。
やっていることはあくまで通常演算です。

紛らわしいことをいいますと、演算"子"の立場で考えるとたしかに量子力学は非可換な数学になってます。
ですから通常の古典力学のベースである可換数学とは異なります(おそらくこれが「量子力学を通常演算と見立てて」に感じた違和感の原因だと思います)。
とはいえ掛け算が足し算に変わるようなことは決してないわけです。

もっと過激派になって$${h\to0}$$にすることを考えるなら、演算を全てマスロフ化したシュレーディンガー方程式から$${h\to0}$$し、新たな古典的(?)方程式を導くほうが一貫しているように感じるんですね。

それに、第二、第三のマスロフ演算だと、通常演算再現できないんじゃ……?
負の数なんて無いってことにすれば、ちょっと引き算は犠牲になるけど第一のマスロフ演算でトロピカルにも通常演算にも行けるしいいのかなぁ……。

まあ、あくまで着想ってだけなんだから、そんなにめくじら立てなくても……。


さて、そういうわけでマスロフの真の目的、脱量子化の話をしたところで、長かったマスロフの演算回を終わりに……。

と思ったんですけど、もう一つ面白い関連演算を見つけましたので、今度こそ次回最終回。

続く!

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