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NO.2の育て方㉟主役は一人のツーマン経営、本田宗一郎と藤沢武夫の関係性に学ぶ

ナンバー2の話をすると必ず登場するホンダを創った本田宗一郎と藤沢武夫の関係性。今回は名補佐役と言われた藤沢武夫氏について取り上げてみます。

藤沢武夫氏のことを知らない方も多いかもしれないので、経歴や本田宗一郎との出会いなどもご紹介したいと思います。

藤沢武夫は茨城県結城市に代々続いた医者の家系で、父親が事業に失敗して、東京に出てきた後に1910年(明治43年)に生まれました。恵まれない環境の中で旧制中学を卒業し、その後は日雇い人夫や宛名書きの筆耕屋、鉄鋼材小売業の会社で働いたのちに自ら日本機工研究所という鉄鋼材小売の会社を興すも、戦後の木材需要を見越して製材業に転じたそうです。

口下手ではあったものの、実直で誠実な姿勢が顧客との信頼に繋がり、セールスにかけては相当の実力があったそうです。

1949年(昭和24年)8月、通産省技官の竹島弘の引き合わせで本田技研を創業したばかりの本田宗一郎と出会い、意気投合。

同年10月には製材業を引き払い上京、ホンダの常務に就任。東京営業所の開設を皮切りに、ホンダの財務並びに販売を一手に取り仕切るようになる。1952年(昭和27年)には専務、1964年(昭和39年)には副社長に就任。

Wikipediaなど参照

もともと藤沢武夫自身も事業をしており、特にセールスの能力が高かったそうです。

藤沢武夫は、経営はからきしだけれど本田宗一郎のモノを作る自信と夢に魅力を感じ、一緒に仕事をする決意をし、ここに最高のトップとナンバー2が誕生することになります。

まだ海のものとも山のものともわからない本田宗一郎の夢にかけてみようと思った藤沢武夫の気持ちを想像すると胸が熱くなります。

財務を切り盛りし、アイデアマンでセールスが上手い藤沢武夫はともすると経営実務を担うクールな参謀という評価の側面もありますが、実際はロマンティストで、本田宗一郎と世界一の会社を作ろうという夢に向かってひたすら邁進した人物だそうです。

藤沢武夫を迎えた時に本田宗一郎が実印を預けた話は有名ですが、信じたのなら任せ切る、本田宗一郎のそういう姿勢が藤沢武夫の胸を打ち、その後の長い付き合いの中でも決して相手を裏切らないという気持ちの原点はこうしたエピソードにあるような気がします。

経営は文字通り二人三脚で、社内には二人の社長がいるようなものですが、本田宗一郎のエンジニアとしての高い技術力に惚れ込み、信じ、常に社長として盛り立て、主役が思う存分活躍できる舞台作りに専念し、自らは裏方に徹したそうですが、なかなか簡単なことではないと思います。

二人はお互いの得手不得手を理解し、役割分担を徹底していましたが、終始べったりするようなこともなく、数か月に一度顔を合わせる程度だったそうです。それでもお互いの考えは常に以心伝心で理解していて、きっちり互いの役目を果たし切った関係性でした。

創業時代の苦労を乗り越えた同志としての気持ちが強くても、会社が成長し、安定期を迎えるとどちらの功績のよるものなのか、儲けの取り分はどうなのか、その先の方向性についてお互いに自分の考えを曲げずに対立してしまうといったことは世の中に多いです。

また、成功する創業社長というものは良くも悪くも個性的な人が多く、自信家だったりします。過ぎてみれば、全て自分の能力の賜物と思い上がる人も多いです。

本田宗一郎も藤沢武夫が引退を決めた時に自分も一緒に身を引くことを決断したエピソードも有名ですが、どこまでも二人は一心同体だった、お互いの存在に感謝をしていたことがよくわかります。

スーパーカブ、マン島レース参戦、ドリーム号、四輪への進出、鈴鹿サーキットなどホンダの歴史を語るエピソードは山ほどありますがここでは割愛してしまうので、気になる方は調べてみてくださいね。

この二人の関係性から、最も学ぶべきことは、

・人が人の夢や目標に共感し、ともに汗を流そうと思える関係を作る、維持する。
・お互いが人として魅力的であり、信頼できる関係を作る、維持する。
・お互いの持ち味を最大限に活かせる関係を作る、維持する。

こうしたところではないかと思います。

時代は異なれど、卓越した技術や市場を見る先見性や大胆な打ち手など、ビジネス面からの学びも確かに多々ありますが、ホンダという世界的企業の始まりはこの二人の人としての繋がりの強さが全てだったのかと解釈しています。


ナンバー2育成において、ビジネススキルの向上は必要なことではあるけれど、それ以上にトップもナンバー2も人間力を磨くことが最重要だと私も説きますが、この二人の関係性に大きな影響を受けているのは間違いありません。

アメとムチを使いこなして、自分の言うことを聞く人間を配下に置こう、
仕組みというルールを作って、その中に押し込めば万事うまくいく。

こういう発想は本田宗一郎と藤沢武夫の関係性には欠片もありません。

『トップが持つ持ち味を発揮させ、ナンバー2はそのためにあらゆるサポートをする。』

シンプルに言うとたったこれだけのことなのですが、なかなかどうしてそれが実現しがたいのは、いろんな意味での自分のエゴというものを捨てきれない人間同士が付き合ってるからに他ならないと思います。


最後までお読みいただきありがとうございます。


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