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老子 善く行くものは轍迹なし

善行無轍迹ー『老子』
善く行くものは轍迹(テッセキ)なし

「善いことをしても足跡を残さない」

■自己顕示欲と距離を置く生き方

老子は立派な功績を残した人ほどそれは自分の手柄だという記録を残さない、価値ある功績とはそういうもので、そうした生き方が理想であると説いています。

自分の功績を誇示したい人も世の中に多いと思います。

自分を大きく見せたい、自分はすごい人間だと認めてもらいたい。その気持ちはわからなくもないのですが、老子はそういう気持ちを戒めています。

ただ自分の評価を高めたい時や売り込みたい時などに功績を伏せていると沈黙は損となり、誰からも認めてもらえなくなってしまいますので、葛藤が生じる場合もありますね。

行き過ぎた自己顕示欲は他人を不快にさせることもありますし、かえって価値を損なう場合もありますからほどほどが良いような気がします。

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この言葉をもう少し違った角度で解釈してみると、人に知られない功績というものが世の中には多いとも言えます。

世の中には裏方の存在、縁の下の力持ちという仕事もたくさんあります。
大きな仕事であればあるほど一人で成し遂げることは無理でしょう。

誰からも注目されない無数の無名の人の働きの集積が功績を作り上げているという事実にも意識を向けたいものですね。

例えば、大ヒットした映画などでは俳優さんや監督、脚本家ばかりが注目されますが、ワンシーンを撮影するだけでも舞台装置を作ったりする、段取りをする裏方さんによって支えられています。

特にリーダーの立場にある人であれば、自分が指揮して成果を出したとしてもそうした裏方の人たちのお陰と認識できれば自ずと謙虚な気持ちになれるのではないでしょうか。

むしろ、自分の功績はおろか、リーダーとしてやるべきことはやりながらも自分の存在すら意識させることなく、組織を自然により良い方向に導いて、成果を出させるのがリーダーの本来の姿なのではないかと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。