見出し画像

読書感想文|額縁のなか

群ようこ『贅沢貧乏のマリア』(角川書店)

近代文学とか、いわゆる名著や文豪と呼ばれる作品や人たちに対して、わたしは近寄ってみたいという好奇心をずっと持っていた。だけど、一方で彼らは、わたしにとって、学校の壁の少し高いところに飾られた肖像画とか、教科書の中の挿絵といったような二次元的な存在でもあって、なかなか歩み寄る一歩目を踏み出せずにいた。

そんなのではいつまで経っても彼らに近寄れないと思い至り、2023年の目標の一つに「近代文学に手を出す」を掲げた。それでやっとこさ、肖像画に手を伸ばしてみた。そうしたら、その絵の中に引きずり込まれる勢いで、惹かれてしまった。

森茉莉もその一人。
贅沢貧乏』を読んで、難解ながらも魅力的な彼女の世界観に魅せられた。「もっと彼女のことを知るには何を読めばいいだろうか」と、近所の図書館でふらふら彷徨っていたところで、この『贅沢貧乏のマリア』と目が合った。

本書は、森茉莉という人物について書かれた群ようこさんのエッセイ。文学研究や伝記、評伝ではなく、あくまでエッセイであるので、群さんの率直な所感が書かれている。事実関係などに関して疑念の余地は多少あるのだろうけれど、「あ、わたしもそんな風な印象を受けました」と同じ本を読んだもの同士、あるいは共通の知人のいる人のような親しみやすさと気安さで読み進められた。

結婚生活と一人暮らし、家族関係、仕事などの面から、森茉莉の人となりについて群さんの見解が述べられているが、わたしが何よりも驚いたのは家族関係だった。

鴎外は、森家において絶対的存在(君主ではなく、太陽神のような反論の余地のない世界の中心的存在のよう)であったようで、そんな神から寵愛を受けた茉莉、そしてきょうだいたち。
(わたしは次女であり末っ子であるので、長女茉莉と次女杏奴(あんぬ)との待遇のあまりの違いに心臓が痛くなった。)

パッパに徹底的に甘やかされた家庭環境が影響して、茉莉の現実感の薄い、夢見心地な世界が形作られていったと思うとなんとも興味深い。群さんは彼女のことを「現実が苦手」と表していて、『贅沢貧乏』に感じたものもまさにそれだったと合点がいった。

本書の中で群さんはまた、茉莉のとあるエッセイについて、

「森茉莉という人の頭の中(それが多少、事実誤認があったとしても)を、楽しむものなのだ」 

p. 200

と言っているが、わたしが興味を持ったのもずばり、「森茉莉という人の頭の中」だった。彼女の頭の中ではどんな価値観のもとで、どんな思考回路が巡っているのだろう。脳内にはどんな世界が広がっていて、どんな要素がそれを構築しているのだろう。

別に、彼女に憧れを抱いたわけではない(好感を持つところもあれば、反感感を持つところもある)。尊敬の対象とは言えないけれど、気になって仕方のない存在。

『贅沢貧乏』と本書を読んだところでは、森茉莉には、気位が高い夢見るお嬢様と、観察眼鋭い婦人が共存しているような二重性を感じている。
本書を読んで、少し彼女のことを知ることができた気がするが、いっそう興味が強まった。

これから彼女の著作をさらに読んだときに、この印象が覆されるか、強化されるか、それが楽しみでもある。

彼女はするりと現実から逃れる方法を持っていた。

p. 162

「無神経では全くないのだが、他人と自分を推し量るなどという神経を彼女は持ち合わせていない。あるのは自分だけ。」

p. 210

旅行をするとその人のことがよくわかるのと同じように、一緒に旅をしなくても、書かれたものを読んだだけで、
「ああ、この人とはだめだ」
ということがある。それは恐ろしいくらいに、あっという間にその人となりを、あぶりだしてしまう。

p. 78

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?