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1月10日、教会の聖書通読で導かれた御言葉(救いの後、用いられる)

今夜の教会の聖書通読で導かれた御言葉は
「彼らは、主は我々を御覧に ならない。
主はこの地を 捨てられたと言っている。」
(エゼキエル書8-12)

私は5年ほど前、罪な恋愛により 前の教会に行けなくなったとき
見捨てられたと思ってしまい 占いという偶像礼拝に走り
お金を使い込み 家庭崩壊を招いてしまいました。

だから、主は私の目を覚ますために 愛ある裁きを与え
1年半近く 苦しみの中に置かれました。
そんな状況に置かれて私は 初めて悔い改めを
心、いや魂から主に求めました。

種まきと刈り取りの法則だと思いました。
でも、全ては神により益に変えられます。
だから、裁きは恐れて逃げずに 受け入れるべきと思います。
そこから、主は必ず再生してくださいます。

主が私の大失敗からの大回心、 主の憐れみを語らされるのだと思います。 誰かの救いに私を用いてくださっているのですね。

聖書通読のデボーションを書くまでは
自分の大失敗を語ることは 躊躇し恐れていました。
でも、Facebookやnoteで聖書通読のデボーションを
書けば書くほど語らずにはいられなくり
語ってみると共感してくださる方、 慰めてくださる方、
励まされるとおっしゃってくださる方、
あたたかいコメントや メッセージをいただいて感謝です。
主がやはり私を用いて 書かせてらしゃるんだなと実感しています。

御言葉の 「罪を隠している者は栄えない。
告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。」 (箴言28‐13)
は本当ですね。


導かれた御言葉から聞きたい賛美は
「陶器師、主よ」

みなさまの夜が守らますように🍀
おやすみなさい🌟

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