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世界のお酒と旅:ポルトガル:海を渡るポートワインの歴史

ポルトガルの旅行で各地を回る旅には、ポルト酒の試飲が入っているツアーがある。

ポルトという街のドウロ川という川岸にある蔵元を訪ねてポルト酒の説明を聞いたり、見学の終わりに試飲をさせてもらったりするものだ。

旅行会社で勤務していた頃、様々なお客様から「ポルトガルのポルト酒の酒蔵で中を見学できる所を紹介して欲しい」との要望を受けた。

その度に海外の事務所にお勧めのポルト酒の酒蔵を紹介してもらうのだが、皆一様に同じ酒蔵しか紹介してくれなかった。

当時私たちが扱っていたのは団体旅行であり、大人数の団体を受け入れられるところは一か所しかないというのが回答だった。その為、いつも悔しい思いをして、同じ酒蔵ばかりお客様に紹介していた。

月日が経って、今度は旅行の手配部門に配属になったのだが、その時ポルトガルの周遊ツアーの手配を手掛けた。そのツアーにもポルトの町にあるポルト酒の酒蔵見学が組み込まれていた。今まで自分がお客様に提案していた酒蔵の手配をする。どんな感想が聞けるのだろうとわくわくしていたものだった。

そのうち、ポルトガルのツアーを担当する営業から、「ポルト酒はもう飲んだ?」と聞かれた。

ポルトガルのツアー手配を手掛けているのならば、その名物料理やお酒を知っておいてしかるべきものだ。

ツアーに組み込まれている酒蔵は、商品を世界的に輸出している所で、日本でも手に入るものだった。残念ながら当時手配部門に入ったばかりの私は、旅行の手配システムの使い方やツアーの工程の調整など覚えることが山の様にあり、ポルト酒を買って楽しむ余裕が無かった。

そのツアーを担当して数か月で世界がコロナ渦に突き落とされた。最後のポルトガルのツアーは、まるでコロナに追いかけられるかの様に進んでいき、ツアーが昨日までいた町に翌日コロナの陽性者が出るなどして、無事に日本に到着してお客様も皆無事に帰って来たと聞いたときはほっとしたものだった。

それから数年たった今、偶然にも近所の店でポルト酒が売られているのを見つけた。担当していた酒蔵で出来たそのポルト酒は黒いガラスの瓶に入っており、ラベルも旅行会社時代にこっそり見ていたものと同じく印象的なものだった。

少しずつお金を貯めてそのポルト酒を買ったときの嬉しさは忘れられない。ついに海外事務所が調べてくれた蔵元を営業に提案し、ツアーに実際に組み込まれていたものを飲むときが来たのだと思うと感慨深かった。


食前酒または食後酒ということは分かっていたので、夕食後に小さめのグラスに注いでみた。コルクの栓を開け、香りを嗅ぐと、赤ワインの様な、それでいてほんの少しナッツ類の様な香りが香った。コポコポという音を立てながら濃い赤の液体がグラスに入っていくのを見るだけでも期待値が上がった。

ポルト酒は期待通りの味だった。赤ワインの特徴的な渋みを残しながらも、恐らく木の樽で熟成されたような濃厚な香りと、果物の甘さを凝縮した味が口中にいっぱいに広がった。その日は少し疲れていたせいか、甘さが五臓六腑に染みわたり、背中に張り付いていたかのような疲れが一気に引きはがされるような、すっきりする感覚に陥った。

個人的には時々濃くて甘みの感じられるお酒を飲みたくなるのだが、このポルト酒はまさにその時の自分の体調とぴったり合っていたようだった。

冷やして飲むと美味しいとあったので、早速冷蔵庫に保存した。

デザートワインとして申し分なく、その日はゆっくり時間をかけて味わった。

このポルト酒は、別名ポートワインとも呼ばれる。これは酒精強化酒といって、ワインを発酵させる途中で、ブランデーなどアルコール度数の高いお酒を入れて発酵を止める、という作り方をするお酒の事だ。お酒は発酵される際に原料に含まれる糖分が分解されてアルコールになるのだが、ポルト酒は発酵が途中で止まるため、原料のブドウの糖分が残っている。今回試したポルトワインは、原料のブドウの甘みがしっかり残っていた。

ポルト酒の歴史を手繰っていくと、どうやらこのお酒は輸出用として進化していったお酒の様だ。文献にポルトワインが登場するのは十七世紀の中頃だという。

アルコール度数を上げると、ワインでも保存できる期間が長くなる。冷蔵庫など温度調節の出来る機械が発明されるはるか昔は、ワインを長旅の間温度調節をしながら運ぶのは不可能だった。ポルト酒はそのアルコール度が強いという特徴を生かし、ポルトガルから遠くオランダやイギリスなどに輸出されていった。

しかし、なぜポルトガルはワインの輸出に力を入れていったのだろうか。確かに十五~十七世紀の大航海時代のポルトガルは、イギリスと同様に世界各国に進出してその存在感を放っていた。ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を発見し、種子島にポルトガル人が流れ着くなど、世界中にポルトガル人が船で進出していた時代、ワインもそれだけ遠くに運ばれていたことだろう。しかし、果たして理由はそれだけだろうか。


そこには、一三八六年にポルトガルがイギリスと交わした条約が関係していると言われる。ウインザー条約と呼ばれるこの条約は、ポルトガルとイギリスの間の政治・軍事・商取引の同盟関係を結ぶもので、当時のポルトガル王ジョアン一世と、イギリスのランカスター公(イギリスの薔薇戦争で赤薔薇の記章を抱いた王族のランカスター家と関係が深い)ジョン・オブ・ゴーントの娘のフィリッパが結婚する時に交わされた条約だ。この条約は現在でも存在する世界最古の二国間条約とのことだ。


ジョアン一世とフィリッパの婚礼
https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Windsor_(1386)

ウインザー条約は、それぞれの国の商人が互いの国に移住して、地元の同業者たちと同等の扱いで商いを行う権利を与えるものだった。二国間の関係は強固なものとなり、イギリスからポルトガルへ移住する人が増えた。十五世紀半ばには、相当な量のワインがイギリスへ輸出された。反対に、イギリスからは塩漬けの鱈がポルトガルに輸入された。「バカリャウ」と呼ばれるこの塩漬け鱈は、現在でもポルトガルで食べられるものであり、ポルトガルをご旅行された方ならもしかしたら一度味わったことがあるのではないだろうか。

イングランドやスコットランドからポルトガルに移住したワイン商人たちは、当時ワイン関連の取引の中心地だったヴィアナ・ド・カステロというポルトガルの北部の町で事業を展開し始める。ヴィアナ・ド・カステロにはリマ川と言う川があり、この河口は港として使える地形があったからだ。また、ヴィアナ・ド・カステロから内陸に行ったミーニョ地方はポルトガルを代表するワインの産地の一つであり、ここのワインがイギリスへと輸出されていった。

しかし、その後ワインの生産や取引の中心は、ヴィアナ・ド・カステロから「ポルト」という町へと移っていく。きっかけは、フランスとイギリスとの間に輸入品の規制が敷かれたことにより、イギリスへのフランスワインの輸入が差し止められた事にある。

イギリスは、フランスに代わるワインの仕入れ先探しに奔走した。そこで知恵を絞ったのがポルトガルのヴィアナ・ド・カステロにいたイギリスのワイン商達だった。

彼らは、当時自分たちの扱っていたワインがイギリス人の好みに合っていない事を感じていた。イギリス人の好みにより合ったフルボディなワインが生産されるドウロ谷沿いのポルトという町に焦点を当てた。

ポルトはドウロ谷と呼ばれる谷にあり、古くから良質なワインが産出される町として知られていた。古代ギリシャや古代ローマの文献にもイベリア半島の北部で生産される良質なワインについての記述があるほどだ。

ドウロ谷で生産されるワインは、ドウロ川からイギリスに輸出されるようになり、いつしか「ポルトのワイン」と呼ばれるようになった。そこから、「ポルトワイン」の名称がつくようになる。

このドウロ谷から産出されるワインはイギリス人の好みに合っていたようだ。十八世紀に入って、イギリスへのポルトワインの輸出は伸び、繁栄の時期を迎える。

しかし、品質の悪いワインに混ぜ物をしたり着色をしたりなど、品質管理に問題が出てきたため、時のポルトガルの首相が、ドウロ谷で生産されるブドウの栽培範囲やワインの等級を法律で定めるなど、原産地統制を敷いた。つまり、ドウロ谷のワイン畑で出来た、一定の品質以上のワインをポルトワインとし、ワインの品質を高品質なものに保つ努力がなされたわけだ。

このポルトワインの原産地指定は、イタリアのキャンティやハンガリーのトカイワインに次いで世界で三番目に古いものだと言われる。
 
しかし、それまではワイン商が輸出するワインにブランデーを混ぜることを行ってはいたものの、ポルトワインに特徴的な「ブランデーなどを入れて発酵を途中で止める」という方法は確立されてはいなかった。確立されたのは十八世紀の初めから中ごろにかけてと言われる。この強いアルコールでワインの発酵を途中で止めることでできる甘露な甘さや力強さが当時のイギリス人の好みに合い、ポルトワインはさらに甘く、さらに強くなっていったと言う。

 


ポルト酒は種類が豊富で、赤の他、白や、近年開発されたロゼなども製造されている。

主なものとしてはルビー(赤)やトゥニー(赤)がある。
 
ルビータイプは、短期間の樽熟成で出荷されるものだ。

新鮮な果物の味わいのする安い価格のものから、長期間保存して熟成させるビンテージタイプなどがある。ポルト酒のビンテージが最初に出来たのは1775年だと言われる。フランスの赤ワインの最初のビンテージよりも遡ること十年以上古いものだそうだ。

ビンテージタイプは百年持つといわれ、昔のイギリスの上流階級の人々では自分の子供が産まれた時にビンテージポートを記念に買っておく習慣があったと言われている。
 
トゥニータイプは長期間樽で熟成させたもの。
すべて蔵元で熟成期間を終えているので、出荷した時にはすでに飲み頃になっているのがこのタイプだ。

ポルト酒の蔵元は、訪問客に蔵の見学と試飲を行っている所がある。蔵が小さい所も多いため、大人数での見学は蔵と相談して、一度に見学する人数を分けるなどしなければならないが、ポルト酒ファンならば一度は見ておきたい場所だ。ポルト市観光局のホームページに、見学可能な蔵元のリストがあるので、ぜひご覧になっていただきたい。

ポルト酒がイギリスに輸出された際、ポルトガルに輸入された塩漬け鱈は、ポルトガルでは「バカリャウ」と呼ばれ、コロッケにするなど日常的に食べられている。魚料理なので、日本人の口に合うとのことだ。

また、ポルトの町は「ポルト歴史地区、ルイス一世橋およびセラ・ド・ピラール修道院」という名前でユネスコの世界遺産に登録されている。現在では港湾都市として知られ、人口も首都リスボンに次ぐポルトガル第二の都市となっている。

谷間にある町なので坂道が多く、町を観光する際は歩きやすい靴をお持ちになるのがお勧めだ。教会や修道院など見どころが沢山ある町だが、インスタグラムで人気のある「世界一美しい書店」と言われる「レロ書店」や、町を見渡す高台の展望スポットなどもお勧めの一つだ。お昼ご飯にバカリャウのコロッケに舌鼓を打つのも良い思い出になるかもしれない。


イギリスとポルトガルの間の輸出で少しずつ成立したポルト酒。蔵元の名前がポルトガル風ではなく、イギリス風なところがあるのも、歴史の中でこのお酒が育まれてきた証だろう。ポルトをご訪問の際は、ワインに育まれた町の歴史を振り返ってみるのもぜひお勧めしたい。



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今回飲んだのはこちらのお酒です。


(参考文献)

A 3 Minute History of Port Wine - Winerist Magazine : Winerist Magazine

Fortified Wine: What It Is, How It's Made, and 5 Types to Try – Usual (usualwines.com)
https://usualwines.com/blogs/knowledge-base/fortified-wine


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