Adoさんの『ギラギラ』はセクシュアルマイノリティの叫び?
曲調が好きでずっと聴いていたのだけど、意味を考え出したら止まらなくなったので書き留めておく。考察!
とりあえず、
全体的にセクシュアルマイノリティの目線なのではないか?って思ったの
個人的な考察なので真意は知らんけど
歌詞ごとにみてく
あーもう本当になんて素晴らしき世界
んで今日もまた己の醜悪さに惑う
だのに人を好きって思う気持ちだけは 一丁前にあるから悶えてるんでしょう
主人公がヤケクソ気味に本当に素晴らしき世界だ、と言うところから始まるこの曲。
素晴らしい、だなんてもちろん皮肉で、世界に何かしらの生きづらさを感じている。
人を好きになる気持ちが一丁前にあるから悶える(≒悩む、困惑する)、というところから、主人公の恋愛対象がマイノリティなのではないかと思った
必然この世にあるラブソングはどれひとつ
絶対私向けなんかじゃないでしょう
一般的なラブソングは絶対に私向けではない
=主人公は一般的な恋愛をしていない、したくてもできない
使い道のないくちづけ 憐みを恣しいままに
くちづけ=キスだけど、
暗に性行為のことを表していると思った
使い道のない=生産性がない
つまり、生産性のない性行為
ひと昔前に、えらい人の「LGBTは生産性がない」という問題発言が話題になったのを思い出した
Unknown お釈迦様も存ぜぬうちに
もう健やかに狂っていたみたい
それは世界の方かそれとも私の方ですか?
共生は端からムリでしょう
セクシュアルマイノリティという存在が受け入れられない世界が狂っているのか、
それともセクシュアルマイノリティの私が狂っているのか?
共生は初めから不可能という言葉から、自分が自分らしく(=セクシュアルマイノリティとして)生きていくことに諦めを感じているのではないか。
この曲最大の考察ポイント(勝手に)
Ugly正直言って私の顔は
そう神様が左手で描いたみたい
セクシュアルマイノリティの主人公は、自分自身の顔を神様が左手で描いたいたずら書きのようだと表現している
でもこれは容姿(顔)のことだけではなくて、神様は自分自身の肉体や精神を左手で描いた(作った)のだ、と訴えていると思った
神様は普通だったら右手で人間を生み出すけど、
神様が左手でいたずら書きをするかのように作った人間、だから私は周りの人とは違うのね、マイノリティなのね、と。
もしも神様が左利きならどんなに幸せか知れない
神様が左利きなら幸せ=神様は右利きという前提であり、
主人公は『世界を作った神様が右利きだから、世界の大半の人間は右利きなんだ』と考えていることがわかる。
ここで考えてみてほしい。
もしも、
神様が左手で作った人間がセクシュアルマイノリティなのだとしたら?
もしも神様が左利きならどんなに幸せか知れない
神様が右利きではなくて左利きならよかった、
つまり、
この世界の多数派が右利きではなく左利きだったら、セクシュアルマイノリティの私が多数派だったのに。幸せだったのに。
という叫びなのではないか。
ここでひとつ思い出してほしいことは、
LGBTの人々の割合は、左利きの人の割合とほぼ一致するということ。
これは有名な話だと思うけれど、歌詞はこのことを暗に意味しているのではないだろうか、、と思った。
ありのまんまじゃいられない 誰も彼も
なんて素晴らしき世界だ! ギラついてこう
最後に、曲名でもある『ギラギラ』というフレーズ。
これはサビなど至る所に多用されている。
ありのままで生きていくにはあまりに苦しい世界だから、自分を飾って、武装して、輝かせて、このクソみたいな世界を生きていこう、っていう強さが感じられる。
そんな曲。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?