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私の居住考現学②

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憧れの平屋暮らし。
壁を壊し、理想と現実の狭間に住まう。

(神奈川県・横須賀 2016.5 - 2019.2)

▼横須賀は坂の町だ。大通りから一歩脇道へ逸れれば、角が削れた石段が、迷路のようにクネクネと続き、そこにへばりつくように古い民家が軒を連ねている。蔦が絡まり、雑草が生い茂り、住むことも壊すことも放棄されたような空き家が数多くみられた。▼リノベの現場で働きはじめて1年、私はすっか古い家の魅力に取り憑かれていた。横須賀に引越しをすることが決まり、新居として、古い一軒の平屋を借りることにした。薄汚れた白色のトタンが貼られたその家は、以前の家主が一度リフォームしたのであろう、くたびれた外観のわりに、お風呂やトイレなどの水回りが清潔だった。日当たりも良好で、職場へ徒歩5分(通勤経路はほぼ全て石段)という立地の良さも相待って、5月の春の陽気のなか、この家に引っ越した。軽トラック一台分の荷物を汗だくになりながら肩に担いで運んだ。▼理想の平屋暮らしを謳歌するべく、大工のじいちゃんに手伝ってもらいながら、休日にせっせと家の改造を計った。社会人2年目、雀の涙ほどの貯金しかなかったため、リビングスペースだけの部分的なリノベーションとなった。「床材はケチってはいけない」という社長の教えのもと、奮発して、クッションフロアの床のうえから、無垢のナラ材のフローリングを貼り重ねた。クロス貼りの壁には、漆喰を左官した。現場から持ち帰った廃材で、本棚もつくった。部分的に壊した壁からは、黒光りする古めかしい柱が出てきて、この家の歴史の深さを感じた。シェアハウスに住んでいたため、家具や電化製品を一から買い集めなくてはいけなかった。連日リサイクルショップを駆け巡り、一人暮らしには少し広すぎるだろうかと懸念していた新居は、たちまち古道具でいっぱいになった。▼この家で一番気に入っていたのが、調理スペースだ。元々の間取りでは、台所と居間が壁で仕切られていたのだが、その壁を撤去し、古い棚を重ねて調理台をつくった。壁を壊したことで、台所には日の光が入り、調理台からは家全体が一望できた。台所の窓からは、裏に住んでいるお隣さんの美しい庭を眺めることができた。小高い山の上にあったため、家にたどり着くまでの上り坂はきつかったが、屋根の上にのぼれば、すこーんと抜けた青空を仰ぐことができた。夕暮れ時に、いそいそと屋根に梯子をかけ、缶ビールのプルタブをプシュッと開ければ、一国一城の主人になったかのような気分だった。空はどこまでも広く、遠くの海からは、汽笛が鳴る音が聞こえた。▼こうして出来上がった私の小さな城は、とにかく冬が寒かった。帰宅すると、スキーウェアを着込み、デロンギヒーターとエアコンとアラジンストーブを点火する。パンの試作のためオーブンを着けると、たちまちブレーカーが落ちた。幾重にも多い被さった毛布の重みと、湯たんぽの温もりを身体に感じながら、毎晩、芋虫のように丸くなりながら眠りについた。▼3年この家に住んだ後、横須賀を離れることになった。大家さんの承諾のもと、原場回復はせず、無垢のフローリングの床や、漆喰の壁はそのままの状態で退去することにした。今も、人気のないあの小高い山の上には、中途半端なリフォームとリノベーションが施された小さな平屋が、ひっそりと次の主人を待っている。

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