「今、地元利賀村に思うこと」【利賀村出身のマラソンランナー×トガプロ対談 2/2】
こんにちは。
トガプロ4年のあっきーです!
今回は前回に引き続き、利賀村出身のマラソンランナーである須河宏紀さん、沙央理さんのインタビューを取り上げていきます。
前回の記事はこちらです👀
<インタビュー紹介>
須河宏紀さん
利賀村の坂上地区出身。マラソンランナーとして活動しながら、この夏初めてランニング企画を利賀村で実施。中学校を卒業後、富山市内の高校に進学。そこから中央大学に進学し現在は東京で暮らしている。地元との接点を作りたいとの思いから、本業のマラソンの活動をしながら、地域貢献の活動にも取り組んでいる。
須河沙央理さん
利賀村坂上地区出身であり、須河宏紀さんの妹。会社員の傍ら、趣味としてランニングを楽しんでいる。
「地域全体で育ててもらった」利賀村での幼少期
ー利賀村での子ども時代の思い出はありますか?
【沙央理さん】
小学校時代までは本当に自然の中で遊んでいましたね。地域の行事としても、学校のイベントとしてもイワナの掴み取り、民謡、雪像づくり、お祭りのお手伝いなどがあり、地域の方々と関わることがとても多かったなという印象です。
中学時代からは部活に専念していました。唯一の部活であったバドミントンに加え、陸上の大会にも私と兄は出場していました。全国大会にも出たんですけど、大きな大会に出ると利賀村の行政センター前に横断幕を貼って応援してくださっていました。他にも京都や広島等で大会が開催されるときも村からバスを貸し切って、有志の方が来てくださり、すごく嬉しかったなと子供心に響いています。
また、1月に開催される全国都道府県対抗駅伝に富山県代表として、中学2年の時に初めて出場しました。会場が京都だったので、京都利賀享友会(京都にある利賀村出身の集まり)の方々が、「利賀村から初めて選手が来た」と本当に喜んでくださいました。その中で走れたっていうのも、すごく自分の中では大きな思い出ですね。京都新聞にも取り上げていただいて、小さな村から初めて出場したということですごく印象に残っています。
中学を卒業して利賀村を出てしまったので、もう少し与えてきてもらったものをこれからは返していきたいなという思いでいます。
ー利賀村から京都までバス貸切で応援しにいくってなかなか想像つかないですね...
【沙央理さん】
兄も箱根駅伝を走った時、大手町のゴール近くまで、利賀村からバスで来てくださった人たちが応援してくださってたみたいで本当に恵まれています。
ー今村を出て、別の場所で活動されていると思うんですけど、利賀村に対して抱く感情が昔と今とでは違うと思うのですが、昔利賀村に対して抱いていた感情って何かありますか?
【沙央理さん】
利賀村の印象は当時も今も変わらないですが、離れてみて、より〈人の温かさ〉とか、〈距離感の近さ〉っていうのを感じています。
都会に出てくると、隣に住んでる人の名前も顔も知らないことがあるのですが、利賀村は1人で外を走ってると、車から戸を開けて「がんばれー」って手を振ってくれたりとか、家に帰ってきたら母から、「○○さんがあなたのこと走ってたって言ってたよ」と色々な人が目をかけてくれていました。「地域全体で育ててもらったな」って今になってより強く感じています。当時もそれはすごく嬉しかったのですが、大人になって、利賀村と違うところに住んで、そういう有り難さをより感じるようになりました。
(利賀村のイワナ。塩焼きにしても唐揚げにしてもおいしいんです。)
ーTOGA SUMMER CAMPの企画など、利賀村でのイベントを始めとして、村に携わり始めたきっかけとか、村に愛着をもって、利賀村に何かしてあげたいっていう感情が芽生え始めたのはいつごろであったり、何かきっかけはあったりしますか?
【沙央理さん】
これといったきっかけはないんですけど、兄妹2人でこの歳まで同じように陸上競技をやっていて、富山ふるさと大使を務めていることもあり、マラソンだけじゃなくて、利賀村に貢献したいっていうのが大きくありました。それによって自分たちが受ける恩恵っていうのもあるので、それを生かして、マラソンをまた違った方向に繋げていきたいなっていうのもあります。
【宏紀さん】
この歳になってもマラソンをやってますけど、地元の方々が1番の応援者なので、大会でいい結果を出して新聞やテレビに取り上げられると「すごく元気をもらった!」と言っていただけることも多くあります。2年前の富山マラソンで優勝した時も、久々に富山のレースに出たのですが、色々なところから励ましの言葉をいただきました。「スポーツ選手だから今できることって、走って勇気を与えることでしかない」と思って、スポーツの繋がりでランニングイベントを開催して、地元に少しでも貢献できればと思って活動しています。利賀村のためにできることを少しでもやっていくというところが、今の自分にできることかなっていうのはあります。
あとは、帰省する度に「この家、人が住んでたのに空き家になっちゃった」とか、「△△さん、富山市の方に引っ越されたらしいよ」とか。学校も「今何人なの?」とかって聞くと「一学年2人しかいない」とかいうところで、やはり目に見えて過疎化が進んでいるのを感じています。自分が今こうして自由に活動できているのも、少なからず何かあれば富山に帰ればいいかみたいな気持ちもあるので、自分の帰る場所、拠り所みたいな場所が無くならないでほしいという思いから、そういったところで自分が少なからずできることをやっていきたいなっていうところですかね。
ーやはり、利賀村は須河さんたちが小学生のころから結構変わってますか?
【宏紀さん】
そうですね。僕の学年は生徒が12人くらいいて、小学校だと70人、中学校も40人くらいいました。子供が育って、社会人になって親御さんはもう定年退職という年代で富山市に引っ越されてるっていう家も結構あったりするので、人口は減っているなという印象ですね。
離れたからこそ分かる、地元利賀村
(冬の利賀村。絶景です。)
ー東京にも利賀村にも両方に住んだからこそ思う利賀村の良さだったり、課題は何だと思いますか?
【沙央理さん】
富山県自体が雪の地域だと思うんですけど、利賀村は豪雪地帯って言われていて、小さい時は春になってもまだ雪が残っていました。個人的な思い出ですが、長靴からシューズを履ける季節になると気持ちが高揚するというか、そういう四季の変化みたいなものをすごい身近に感じていました。それが感情を豊かにしてくれたと思います。自分の中では、四季の変化を身近に感じられるところが利賀村の魅力であり、不便なところでもあるとは思います。大会に行くにしても山道を抜けて、市内に行ってっていうのは不便なことではありました。今利賀村に帰っても道は不便だなって思いますし、この生活をするとなると他のところから移住してきたりっていうのは難しいかなと。自分がもし利賀村に入ってくる立場だったとしたら、変えないといけないところなのかなと感じています。
【宏紀さん】
課題として、PRするのが苦手な方が多いのかなという印象です。
利賀村は南砺市になる前は村だったので、割と国や県からの自治体への予算が多くありました。その予算で村おこしのために観光施設を作ったり、イベントなどの祭りをやれば人は来るだろうっていう狙いがあり、事業を実施していました。
ところが、実際に事業にお金は使ったけど人が思うように来なかったと感じています。全国的にどこもそういう現状なんでしょうけど、とりあえず過去の事例ありきで真似をするだけでは今の時代は厳しいと思っています。
特定の人が面白いと思うだろうなと思うことは地域にはたくさんあるので、意外とみんな知らないことを発信したり、人に伝えたりとかができれば面白いのかなと思います。
自分もそんなに影響力はないですけど、そういったところを発信していくのはまず自分の役割の一つなのかなって思います。
ー「PRするのが上手くない」という話がありましたが、インターネットを使いこなせないというよりは、ターゲットの策定などの広報に原因があるのでしょうか?
【宏紀さん】
多分両方だと思います。高齢の方が多いのでインターネットも勿論そうですし、どこにどういうニーズがあるのかといったマーケティング的な所もそうですね。
例えば、東京では民間で月額7000〜8000円でそんなに広くない土地を“シェア畑”として、レンタルで借りるビジネスが成り立っています。けれども、利賀村からしたら「なんで数千円もかけて野菜作らないといけないんだ」という感覚のひとがほとんどかと思います(笑)。
東京だからこそ成り立つ部分はもちろんなのですが、そういった顧客やニーズをうまく掴んでいくことが今後さらに大切なのかなと思います。そうしていけば、また新たな取り組みやいいものができるんじゃないかなと思います。
ーどこにニーズがあるかを探るのは、村の方々も凄く難しいと仰っていました。僕自身、地元の良さを聞かれても当たり前と思っているからこそ分からないところがあるので、利賀村の方にも同様にあるのかなと感じました。
【宏紀さん】
利賀村の方ってすごく自分の地元に誇りを持っていて、外から来られた方に褒められるととても喜んでいるイメージがあります。僕は地元の人間ですけど、普段いないので、(地元の方に)気を遣う部分が今回のTOGA SUMEER CAMPでもありました。僕よりも皆さんのほうが地元のひとになっているのでは、、笑
すでにゼミとして10年間活動してこられているので、これからもどんどん村の方を頼ったら協力してくれるだろうなというのは思います。
今後のさらなるご活躍に期待しています、利賀村をどうぞ宜しく御願いします!
【沙央理さん】
今回TOGA SUMMER CAMPをやるにあたって、兄が第一声をあげて「やりたいです、やりましょう」って言わなかったら始まらなかったですし、その声を拾ってHISの来住さんが合宿という形で整えてくださって、私は合宿をやる前にnoteを書いて想いを伝えて、理解して・共感してくれた人たちが来てくださったお陰で、利賀村の今の課題みたいなところにも向き合って参加してくださりました。
(沙央理さんがランニング合宿開催にあたって想いを綴ったnote。)
利賀村のことをちゃんと理解しようとする姿勢がすごく伝わってきました。今回は参加者に恵まれ、良い形に収まったので、利賀村の人に「やりたいです」と声をあげてみることも大事なのかなというのは感じました。誰かが言わないと始まらない部分もあるし、言ってみたら協力してくださる方も必ずいるので、上手く人を巻き込んでやっていくことが大事なのかなと思います。
これにて「利賀村出身のマラソンランナー×トガプロ対談」おしまいです!
TOGA SUMMER CAMPを開くに至った須河さんの想いや幼少期の利賀村での思い出を通して、利賀村の人の温かさを改めて実感しました。
インタビューを通じ、“離れてみたからこそ分かる利賀村の良さ”が伝わってきました。
東京で過ごすうえで得た知識や体験を利賀村に還元するという考えがとても印象的でした。トガプロ自体も僕たち東京の大学生が主体となって取り組んでいるというところで、「何が当たり前なのか?」、「どんなニーズがありそうか?」といったところを深堀出来ていけたらいいのかなと感じました。活動をする上での大きな指針を見つけたような気がしています。
改めてインタビューにご協力してくださった須河宏紀さん、沙央理さんありがとうございました。須河さんのnoteは以下からご覧になれます!