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シェアハウス・ムラヤ 第2話(note創作大賞2023応募作品)

水曜日は、弥生やよいの夕食当番の日だ。
IT企業で管理職をしている弥生は、普段は帰りが遅い。水曜日はリモート勤務の日で、定時近くに勤務を終わらせて夕食を作るのだ。

弥生は「オーケイ」という宅配サービスのミールキットを使って、夕食を作る。配布されるカタログを見て気に入った献立を注文すると、材料とレシピが宅配される。ゆりえも彩香あやかも時々注文するが、弥生は毎回必ず、オーケイを利用する。

「弥生ちゃん、今日のご飯は何?」
ゆりえは声をかけた。弥生は丈の長いリネンのエプロンをつけ、キッチンに立ったままレシピを眺めている。
「豚の生姜焼きと、けんちん汁」レシピから目を離さず答え、弥生はブツブツつぶやく。「けんちん汁、最初に豆腐を炒めるのかぁ。いつものホーローの鍋だと焦げついちゃうかなぁ」
「さっとやれば大丈夫よ。案外焦げ付きにくいから」
ゆりえが答えると弥生は、そっか、と言いながら、少し不安そうだ。

弥生は、必ずオーケイのレシピ通りにきっちりと作る。ゆりえは、レシピが面倒そうだと、同じ材料で作りやすいものに変更してしまうが、弥生はそういったことはしない。

「けっこう不器用なのよ」
料理の話になると、弥生はよくそんな風にこぼす。
レシピを考えたりアレンジするのに頭を使うなら、何も考えずにレシピにきっちり従った方がよほど楽、と言うのだ。
仕事で疲れた後に料理で頭を使いたくない、というのはわかる気がするが、ゆりえはレシピに100%従う方が、よほど面倒ではないかと思う。料理は本当に、人それぞれなのだ。


シェアハウス・ムラヤに彩香親子と弥生が入居して、1か月以上が経っていた。
まだ1室空いていたが、もう1人の入居者はなかなか決まらなかった。応募や問い合わせはあるのだが、彩香親子と食事ルールの話を聞くと、皆辞退した。特に、彩香親子については抵抗のある人が多かった。
予想したこととはいえ、思った以上に、子どもが苦手な人が多い。

そんな時、意外な人物から連絡があった。
草野くさの拓磨たくま、27歳。卸売A社の、東京北部にある物流センターに勤めているという。
「今いる独身寮より通勤が便利なのと、栃木にある実家が大家族だったので、人に囲まれて暮らしたいと思っています」
とコメントがあった。
その後のやり取りで、今の入居者については伝えた。それでも、入居の意思に変わりはなさそうだ。


ゆりえは、草野拓磨と早速アポを取り、会うことにした。

拓磨は、ゆりえがよく行くファストファッションブランドのスウェットパンツを履いている。ラフ過ぎず、街着にも使えるものだ。短髪で、動作にも緩慢なところがない。A社の物流センターで毎日体を動かして働いているのだろうな、とゆりえは思う。

「・・ということなんです。草野さん、子どもは好きかしら」
説明を始めて早速、ゆりえは彩香親子のことに触れた。

「子ども、好きですよ」拓磨は、かすかにニヤッと笑った。「ていうか、子どもが僕のこと好きですね」
ゆりえは吹き出した。
「頼もしいなぁ。そういえば、ご実家、大家族なんですって?」
「そうなんです・・あ、正確に言うと」

拓磨の話によると、彼の家族は、両親、祖母、姉だけ。しかし拓磨の叔父・叔母が近所に所帯を持っていて、それぞれの子ども、すなわち拓磨のいとこが、頻繁に拓磨の家に出入りしていたという。

「叔父たちの家は皆共働きだったんですけど、うちには、ばーちゃん・・祖母がいて、孫たちをみてやってて。だから家には常時2,3人、ちっちゃいのがいたんですよ」
まぁ実態は、僕の部屋にたむろってゲームとかしてたんですけどね、と拓磨は笑った。
「あなたが小さいいとこを見てきたのね。えらいなぁ。うちにいるお子さんは7歳かな、この間小2になったの」
拓磨は楽しそうに微笑んだ。
「いいですよね、そのくらいの子。楽しくて。一番下のいとこが、多分同じ歳ですよ。いやあいつ、3年生だったかな・・」拓磨は、実家を思い出すように話した。「とにかく、問題ないですよ。子どもは得意分野です」

ゆりえは、拓磨に好感を持ちながらも、疑問も持っていた。わざわざ、親のような年上の人物の多いこのシェアハウスに、どうして入居したいと思うのだろうか。

とはいえ、子ども好きなことは、何にも代えがたい。すぐに話は進み、入居の日を迎えることになった。


「今日、新しい人来るんだよね」
朝、身支度を済ませて弥生が言った。
「来るよ。夕方には来るって言ってた。弥生ちゃん、今日早く帰ってきたら?」
「うん、できるだけ早く帰ってくる」
うきうきするように、弥生が言った。
「楽しみ。子ども好きなんだもんね。本当によかったぁ」
鉄平てっぺいを学校に送り出した後、朝食を片付けながら彩香が言った。やはりうきうきした顔をしている。
彩香に何か言おうとして、ゆりえは唐突にあることを思い出し、あっ、と声を上げた。
「どうしたの?ゆりえさん」弥生と彩香は、ゆりえを見た。
ゆりえは、彩香のいるキッチンを見つめて言った。
「・・・食事ルールのこと、話すの忘れてた・・」

子どものことをクリアしてすっかり安心し、話すのを忘れていたのだ。シェアハウス専用SNSには簡単に書き添えていたが、詳しい説明は全くしていない。
「とりあえず、今日ありのままに説明するしかないねぇ」
弥生は腕組みをして言った。
「当分私が当番代わってもいいからさ、なんとか、入居断るようなことには、ならないでほしいよ」
彩香が心細そうに言った。彩香の負担が増えては意味がない。


「あ、マジですか」
ルールを聞いて、拓磨は表情を変えずに言った。相槌のように軽い「マジですか」だ。

拓磨が現れたのは、17時過ぎだった。ほとんど同時に、彩香が鉄平を連れて帰ってきた。彩香と鉄平の紹介を済ませ、ゆりえは早速食事ルールのことを切り出したのだ。
「別に問題ないですよ。週1回くらいなら何とかなると思うし」

鉄平は、帰宅するとすぐに拓磨を紹介され、突然の若いお兄さんの登場に、明らかにテンションが上がっている。リビングを走り回り、彩香に「ちょっと落ち着きなさい」と𠮟られている。

「俺が作れるの、焼きそばくらいですけどね」
拓磨の言葉を聞いて鉄平が、焼きそば?焼きそば食べたい!と騒いだ。彩香は、こら、今日食べるって話じゃないの、と鉄平に言い聞かせる。

「今日は、誰の当番なんですか?」
拓磨が聞いた。今日は木曜日だ。今は月をゆりえ、火を彩香、水を弥生が担当し、残りの日はフリー。
「今日は、各々が自由に食べる日」
「皆さん、食べるもの決まってるんですか?」
ゆりえと彩香は顔を見合わせて、首を振った。拓磨は鉄平に視線を送る。すると鉄平は大きな声で言った。
「おれ、焼きそば食べたい!作ってよ」
こら、とたしなめる彩香を制して拓磨が言った。「いいよ、今日は焼きそばだ。俺が作るから待ってろよ」


まだ村家むらやのことを何もわからない拓磨に付き添って、ゆりえと彩香親子は、連れ立って買い物に出かけた。夕暮れ時、駅前の道は、かたんかたんと路面電車の音が聞こえる。
歩道の縁石を渡ったり、ふざけながら歩く鉄平をたしなめ、彩香が隣を歩く。拓磨が鉄平に何か話しかけ、鉄平がうれしそうに答えて、今度は拓磨を追いかけるように歩きながら、しきりに何か話している。

駅前のスーパーに入り、ゆりえは拓磨に聞いた。
「さっき、てっちゃんと何話してたの」
拓磨は、さっき?と聞き返した。道歩いてるとき、早速何か楽しそうに話してたじゃない、と促すと、あぁ、と拓磨は頷いた。
「ゲームの話ですよ。大した話じゃないです」
拓磨は笑いながら、野菜をかごに入れた。

チルドの袋麵コーナーに来ると、様々な種類の焼きそばがある。がほとんどが、3食入りが1袋になったものだ。
「なんで焼きそばって、皆3食入りなんだろうね」
彩香がつぶやく。拓磨は、ソース味の焼きそば2袋をかごに入れた。


「久しぶりに、焼きそばが食べられるなんて!」
弥生がダイニングに運ばれてきた焼きそばを見て、目を輝かせている。
19時にようやく帰宅した弥生は、フライパン2つを使って作られている焼きそばを見て、狂喜乱舞した。大好物なのだという。

拓磨の腕前は、悪くなかった。麺がところどころほぐれずに、ブチブチと切れているのはご愛敬だが、ホカホカとソースの香りを立てている焼きそばは、弥生でなくとも食欲をそそられる。

「やっぱりソース味が1番。粉のソースだよね?」
自己紹介もそこそこに焼きそばに夢中な弥生に、少し笑いをこらえながら、拓磨は、はい、と頷いた。

美味しい美味しい、と半分ほどたいらげ、ひと息ついた弥生は、ねぇねぇ、と皆に向かって話し始めた。
「焼きそばって、1袋3食入りじゃない。私1人暮らしだった時は、3食じゃ食べきれないから、結局いつもカップ焼きそばで。なんで3食入りなんだろうって思っていたの」
あぁそれ、と彩香が応じた。「さっきスーパーでも話してたの。なんでなのかな」

諸説あり、よ。と念を押して、弥生は言った。
「『土曜日の午前授業から帰った子ども2人とお母さんが、お昼に食べること』を想定してなんだって」
「土曜日の午前授業?」ゆりえは口をはさんだ。「半ドンよね。大昔の話じゃないの、それ」
そうそう半ドン、と弥生が笑って答えた。
「拓磨くんは、土曜授業はなかったよね?子どもの頃」
ゆりえが拓磨に聞くと、間髪を入れず、ないですね、と拓磨が答える。
「私、土曜授業してた気がするな。でも毎週じゃなかった」
と彩香が言う。
「毎週必ず半ドンしてたのは、我々だけよね?ゆりえさん」
弥生が、ゆりえに同意を求める。ゆりえは、そうね、と苦笑いで同意した。
「それにしても、随分と時代錯誤ね。私が子どもの頃の設定じゃない。お母さんと子ども2人の、土曜のお昼って」

昭和の名残の3食入り焼きそばは、1食分が中途半端に、冷蔵庫に残されている。

令和のシェアハウスに暮らす疑似家族が、全員揃った。

【第2話 了 3988文字】

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