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「映画とは違うのだよ、映画とは」・・・メディアについて。その1


「その1」などと書いているが、出来もしない約束のようなもの。
その2がいつになるか分からないくせに。と自分を戒めながら書いている。

そう、今回のテーマは「自戒。自分を戒める」である。

ここ数年、自粛などの影響もあって舞台を配信で観る事が多くなった。
炬燵に入りながら、ああでもない、こうでもない、と文句を言いながら観るのは・・・努力の結晶である舞台に対していかがなものか、と思ってしまう。
これがまず最初の「自戒」。
でも、出演者や製作者に気を遣って苛立ちを貯めるより健康に良いし、
舞台が傑作の場合、劇場で観るのと同じように芝居に引き込まれ、
途中ひと言も口を開かず観きってしまうのだから、作品の力というものは
やはり凄い。

ところで、この「配信」だが、その撮影方法によって
舞台自体の評価さえ、左右しかねない。

最近も、ある演劇を配信で観たのだが、それがただ一台のカメラのみで
撮影しているのである。
確かに舞台を見る時は、ひとつの席にずっと座ったままで観るのだから、理論上は同じ条件だと言えるのかもしれないが、観客に与える印象はまるで違う。

世の中に、ちらほらとハイビジョン放送なるものが認知され始めたのが
1980年代後半。(急に話がずれたように思われるかもしれないが、もうしばらく読み続けてください)
その頃、ハイビジョンの普及を狙ってか、高画質をうたう宣伝が日本中で行われていた。それは一種の「ハイビジョン神話」の布教活動でもあった。
少し前の4Kの場合より、実態が分からない分、煽り方は凄かった印象がある。

そんな時、「画期的に画質が良いハイビジョン」を利用したライブビューイングが行われた。
横浜で公演している人気グループのライブを、東京新宿の会場で生中継して観るというものだ。
新宿の会場は日清パワーステーション(1998年閉鎖。現在は「同・REBOOT」として復活)であった。

確かチケットは2、3000円くらいだったと思う。
実際に行くより安いが、当時の若者にはそこそこの負担であった。

「実際に観る訳じゃないのに面白いのか?」
と疑う友人を、
「すごい高画質なんだよ」
と聞きかじりの情報を並べて説得し一緒に観に行ってもらった。

その時の中継映像が、大部分センターカメラだけのステージ全体を映しているだけの映像だったのだ。

会場のスクリーンは、おそらく投影式で、100インチくらいの大きさだった印象だ。とにかく見辛かった。
今も昔も、1台のカメラで全体を写すだけで、細部まで伝わるほどハイビジョンは高画質ではないのだ。しかも劇場のような空間に投影式では尚更。
ハイビジョンが家庭でも一般的になったからお判りになると思うが、
アップやミドルショットを織り交ぜ、画面が切り変わらなければ、どんなライブもつまらないのは当然である。

実際にライブが行われている横浜会場の盛り上がっている観客の動きが微かに下の方に見えるのを、遠く離れた新宿で指をくわえて観ているのは、何とも冴えない気分であった。

しかも、当時パワーステーションは、1階(実際はB2F)はダンスも出来るフラットフロアで立ち見。

それを囲むように2、3階席があり、そこにはテーブル席もあり、
盛り上がる事も出来ずに呆然としている1階の観客を、まさに見下ろしているという構図になっていた。

「ほほほ。下々の者は、何をしておるのであろうの」
という感じで、居心地の悪い時間だった。
小学校の時、クラスで学習映画(自然物のドキュメンタリー映画)を
観に行った時、はしゃぎすぎて劇場の最後尾で立たされて映画を見た時以来の寂しさだ。一緒に行った友人が何も言わないうちに「気にするなよ」と言い出し、心からすまない、と謝った。これが二つ目の自戒。

ただ、その日の中継も、後半になって新宿会場の不満が伝わったのか
アップも多用される普通のライブ中継の映像になったが、冷めきった会場が盛り上がる事は最後まで無かった。

余談だが、当時の「ハイビジョン神話」は本当に激しく、
「ハイビジョンSFX」と銘打って公開された映画もあった。
高画質だからすごい合成が見られるという謳い文句だったが、
実際はジャギジャギに境界線が見えるビデオ合成に過ぎなかった。
今思うと(不確かだけど)当時は、ハイビジョンの合成装置が
まだ無いので、合成部分はSDつまり古い4:3のビデオ信号に
変換して合成されていたのかもしれない。

これらの体験があって、我が家ではハイビジョン対応のテレビやレコーダーを購入するのは、かなり遅くなった。これが3つ目の自戒。(気にせず買えば良かったのに)。

さて大回りしたけど本筋に戻ろう。
今回観た舞台であるが、男尊女卑の時代に立ち向かう一人の女性の反骨精神を描いた物語で、役者たちが力の入った芝居をしているのはわかるが、配信が1カメのみではその魅力の100分の1も伝わってこなかった。

私もイベントや芝居の記録映像を撮ることもあるが、
1カメでの収録は避けるようにしている。

人間の目と脳は不思議なもので、同じ物を見ていても興味のあるところに
ズームインして、クローズアップして見たり、もしくは全体を俯瞰で見て見たりと、脳内で取捨選択しているのである。

ところが映画やテレビなどの映像を観る時には、
その取捨選択を映像のカット割りに依存していく。
もちろん、その映像の中のある一点に注意が行くという事もあるが、
多くの場合、映像の演出に見る者は準じて、受け入れていく。
だから、舞台上の役者のキモとなる芝居は、より観客に伝わる映像で、時にはクローズアップで、時には引きの絵で、撮影していく事を忘れないようにしている。

だが、ここで最後の「自戒」である。
冒頭、「撮影方法によって舞台自体の評価さえ、左右する」と書いたが、
立ち返って考えると、演劇と映像は全く違うものであるから、
評価をする時には注意しなければならない。

皆さんも、原作のある映画を観た時、原作との相違点だけに目を奪われてしまうことは無いだろうか。
原作を先に読んでいると、ついついそうなりがちである。
映画と原作は違うものなのは当然だから、原作に拘らず、ひとつの映画として見て行こう、と自戒するのである。

とにかく、何か作品を観る時にはニュートラルで観たい、
と思っていたら、最近原作との同じところや違うところを探して貰うように制作された「国民的SFヒーロー映画」を観た。
思えば子供の頃、007映画を観る時、「この秘密兵器はこうなるんだ」などと事前に仕入れた情報があってもワクワクしながら観たのだった。

すると、どんな観方でもアリなのかな、と思う。
結局、結論はどっちつかず。これが最後の「自戒」であった。

長文お読みいただき、ありがとうございました。

               おわり



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