審判=罰ゲーム⁉️
こんにちは。TKです。
六月も中頃に差し掛かり、汗っかき審判である僕にとってしんどい季節となってきました^_^
皆さんはどの季節が一番好きですか?
私は4月から5月ごろ、もっというと4月から5月の朝5時半ごろが大好きです。
季節で言うと大体春の終わりから夏の初めといったところでしょうか?
僕はよく朝ランや朝サイクリングをします。走っていると朝のヒンヤリとした空気を感じることができます。
この時期になると暑すぎず寒すぎず、程よく心地よい朝を迎えることができます。
そして一番は、夜が明け始めてから朝焼けとともに朝を迎える瞬間です。
夜明けとともに朝の訪れと景色に徐々に色彩がかかりだし、景色が起き始めていく...
こんな瞬間をランニングとともに感じることが出来るのがこの上ない僕の幸せです。
さて、そろそろ本題に入りましょう😀
サッカーと審判。サッカーにおいて審判は絶対に切り離せない存在です。
前回お話しさせていただきましたが、僕は今三つのチームで帯同審判として活動させて頂いています。
そのうちの一つが、とあるジュニアユースの育成に力を入れている町クラブチームです。
活動場所を探して彷徨っていた僕を、是非ということで歓迎してくださいました。今では審判活動の傍ら、GKコーチとしても関わらせて頂いています。
このような帯同審判という形そのものが、サッカーと審判は一心同体であるということを示す、一つの形であると思います。
僕を受け入れてくれたこのチームでの活動も今月で3ヶ月目に突入しました。
この数ヶ月という短い期間で、さまざまな問題を発見することになり、サッカー界における審判の意義について考えさせられることばかりでした。
ひとつひとつお話ししていきます。
①町クラブ指導者から見た審判
私が活動させて頂いている町クラブの監督の方とはしょっちゅう試合の行きや帰りの車内等で話をさせて頂いています。
その方も将来的には指導者として大成し、将来的にはプロの指導者を目指されている方です。
その方と話しさせてもらううちに、町クラブ指導者は審判をどう見ているのかという視点が明確になってきました。
まず、大抵の指導者は審判をしたいと思っていないということです。
その一番の要因は、指導に力を入れたい、もしくは指導に手が回らなくなってしまうからです。
基本的に町クラブが試合をする際は、
練習試合だと相互審判という形で前半と後半で交代交代で審判をやることになったり、
大会となると自チームが休んでいる時間に別のチームの試合を担当することになります。
その度に指導者の方は審判をやる必要が出て来るわけです。これは町クラブである以上、必ずやる義務です。
僕が審判をやりたいからやっているように、指導者の方も選手の指導を基本はやりたいわけです。
大抵の町クラブは、指導者数人で何十人もの選手を見なくてはいけません。ですから必然的に指導者一人一人の手がいっぱいになるわけです。
そこで審判として指導者が抜けると、チームとしての練習の際に選手を見る人が減ってしまうわけです。
そうすると選手全員を指導者が見ることが出来なくなってしまうのです。
これは指導者側からすれば、先発で使う選手の選考や選手の状態を見るのに支障を来たすことになります。
また、審判をするには資格も必要となります。
自分のプライベートな時間を削って4級、大会のレベルが上がると3級まで取得する必要が出てきます。
3級になると体力試験、筆記試験、実技試験も課せられるので、指導者にとっては時間的にも体力的にもなおさら負担がかかることになるでしょう。
こうした要因が、指導者が審判をやりたがらない理由の一つと考えられます。
②選手から見た審判
次に、選手目線からみた審判について触れていきます。
僕が特に気になったのが、練習試合の際の光景です。
練習試合では両チームの選手から副審を一人ずつ出す必要があります。
ですが、大抵の選手はやりたがりません。
僕は、副審=罰ゲームのような風習がそこに存在していると考えています。
私が中学、高校生のときもそうでしたが、しばしばジャンケンで負けた人が副審をやるという光景を見かけます。
また、副審をやる選手が皆んなで回すのではなく決まっていつも同じ選手であったりすることも見かけます。
繰り返しいいますが、
審判=罰ゲーム、雑用
この風習が育成年代の間で根付いてしまっているのではないかと考えられます。
もしそうだとすれば、審判に対するイメージが悪化し、審判に興味があってもやれなかったり、やりにくいと感じる選手が出てくる可能性があります。
③クラブチーム間の関係性
三つ目が、クラブチーム間の関係性です。
上述したように、大会ではトーナメントや予選グループで同じパートの他のチーム同士の試合の審判をする必要があるときがあります。
それは当然で、他チームの勝敗と勝ち上がりに大きく影響するわけです。
そうすると、クラブ間の関係性の問題に発展することがあります。
特に町クラブレベルになると、同じ町の指導者同士でよく交流があったり、横の繋がりが強くなります。
また、同じ町クラブでも、指導者の立場や地位によって目上目下の関係性が築かれていることがあります。
このような背景があって、顔見知りの人が笛を吹いて、もし誤審をして他チームの勝敗に影響を与えてしまった場合、それまでの関係性にヒビが入ることもあるのです。
町クラブ同士の関係性というのは非常に大事で、もちろんライバルであることは当然ですが、高みを目指す同士として、時には協力する場面も出てくるのです。
こうした横の繋がりを重視する町クラブにとって、審判という役割は非常に負担になってしまっていると考えられます。
④まとめ
ここまで主な町クラブでの活動を通して見えてきた、審判問題について触れてきました。
クラブの一員として関わらせてもらったことで見えてきた視点が、この数ヶ月だけでも色々とあります。
判明したのは、
審判という存在が町クラブにとって負担となってしまっている側面がある。
審判という存在意義が、育成年代の選手達にネガティブに伝わっている。
大きくこの2点です。
冒頭でもいいましたが、
サッカーと審判は切り離すことの出来ない存在です。
審判がいなければサッカーは出来ませんし、選手がいなければサッカーは出来ません。
このように、両者は一心同体のはずなのに、審判という存在が彼らにとって全体的にネガティブな存在になっているのです。
このことは、町クラブレベルに限らず、どのカテゴリーでも日本で見られることなのではないでしょうか?
いかがでしたでしょうか?
審判が好きで、サッカーが好きな僕にとっては、審判がネガティブな存在になってしまっているのはとてもショックでした。
しかし、審判という存在意義を改めて見直す機会を得ることが出来たと今では思っています。
今後、どのようにして審判の存在意義をサッカー界にポジティブに広めていくか。
この重要課題を解決するために、僕はちょっとでも力になりたいと思います。
それはきっとサッカー界全体にとってプラスの方向に働くはずです。
今日はここまでです。
最後まで読んでくださりありがとうございました😊
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