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日本人になりたい

 数年前にインドネシアの友人リタ(仮名)が大阪の日本語学校に留学するので「関空へ車で迎えに来てほしい」とお願いされた。荷物も重いだろうし予定もない、特に断る理由はないのでオッケーを出した。ところが空港に行く前日にリタから「自分のほかに2人いる」との連絡が入った。留学エージェントがおなじで3人ともまとめて飛行機に乗せるということなのだろうが、ほかのふたりがリタに「車の迎えがあるならいっしょに日本語学校に送ってほしい」と言ったそうだ。
 インドネシア人とかかわっているとこういうことが頻繁にある。VOXYを廃車にして小さめの車に替えたため全員分乗るかなという懸念はあったが、3人とも乗せることにした。エージェントが迎えに行くんじゃないのかよというツッコミはしてはいけない。

 朝早くに関空に行くと前日の予告通り3人いた。リタと、初めて会う男性ふたり。リタはそこまで上手くはないが日本語での会話は少しならできた。男性2人のうち「でかいほう」はまったく日本語ができずゼロベースから勉強するつもりで来たようだ。もともと日本に関心もなかったが知り合いに勧められたので日本にしたらしい。
 そしてもうひとりが今回の主役「レンヤ」くんである。

 彼はものすごく日本語がじょうずだった。発音もことばの使い方も違和感がない。
 日本語は大学の授業で少し習っただけではなく、学習者の動機として多い大のアニメ・マンガ好きで、さらオンラインゲームを日本サーバに接続して日本人と日本語でやりとりをし、会話はだいたいそのへんで覚えたという猛者だ。とても流暢な日本語ながら一人称がすべて「オレ」だったのは気になったが日本語学校に通えば矯正されるだろう。漢字の読み書きも得意なようで、関空から大阪市内への道中も目に入る漢字を読んでは「合ってますか?」と尋ねてくるのであった。

 レンヤくんはとてつもなく日本に憧れていた。なにせ「レンヤ」という日本語の名前を自分でつけて、アラビア語由来の本名を呼ばずそっちを使ってほしいとお願いしてきた。「日本人になりたいんです。日本語を学んで、日本の専門学校に行って、日本で就職して、レンヤの名前で日本人になりたい」。彼の眼は希望に満ちていた。

 これは僕の経験則になるが、日本語学校に留学しているインドネシアの金持ちたちはその多くが数年のモラトリアムのために日本にやって来たようなもんで、そんなに日本語が上手くならない。日本を選んだ動機も「なんかアニメとか好きだし」以上のものはなく、日本語学校を修了すればさっさと帰国して親の商売を手伝う、といったかんじの人たちが多かった。それが悪いこと言うつもりは全くないが、日本留学のモチベーションは高くない。この日ピックアップしたリタと「でかいほう」もそれに近かった。

 それに対しレンヤの日本留学は「日本人になるため」という壮大な計画があった。ジャワ人ムスリム(イスラーム教徒)として生まれた彼は日本のポップカルチャーにハマってしまっただけではなく、それをきっかけに日本語を学び始め、ついには日本人になるのだという。

 日本人になろうとしたのは名前だけではなかった。
 朝食をとろうとファミレスに入ったときである。彼は「豚肉が食べたい」と言った。よく知られた話だがムスリムは豚肉を食べない。この広い世界にはイスラーム自体が形骸化してしまい豚肉食が一般的な地域やグループがあるのだが、インドネシアはそうではない。信仰に熱心でない人でもムスリムは豚肉を忌避する。
 僕らの大学にいたジャワ人ムスリムの先生は文字通りの「名ばかりムスリム」だった。パーティーをすれば一升瓶を持ち込み、断食は「こんな暑い日に飲食を断ったら死んでしまう」(僕らの学生時代は断食月が暑い季節に被った)と最後の一日しか断食をせず、日々の礼拝(ムスリムは日に5回礼拝する)もしない人だったが、豚肉だけは口にしない。食の禁忌は習慣としてあるのかと思っていたが、話によると豚肉は昆虫を常食しない日本人にとっての虫みたいなものらしく「気持ち悪いから食べない」ということらしい。豚肉が気持ち悪いのではなく、みんな食べないので気持ち悪いものであると感じているということだ。

 レンヤくんはイスラームの教義では禁忌の、また熱心でない人であっても「気持ち悪い」とされる豚肉に挑戦するのである。豚肉を食べたところで日本人というわけではないぞ、と言いたくなったが、彼が食べたいというのだから「これには豚肉が入っているけど」と教えるとそれを注文し、美味しそうに食べていた。
 リタも名ばかりムスリムではあるが豚肉を忌避。「でかいほう」はふつうにムスリム(後に知ったがわりと熱心)らしいので豚肉を避けた。リタは「気持ち悪いものだから」、でかいほうは「教義上ダメだから」ということだろう。

 朝食後にまた市内へ向かっていると「オレは日本人になりたいから仏教に改宗するんです」と言った。日本人の宗教イコール仏教なので日本人になるためには仏教だということらしい。インドネシアにいるときから仏教への改宗を試みたらしいが、インドネシアで改宗はけっこうハードルが高いらしく「僕の身分証明書にはまだイスラームって書いてるんです」と残念そうに言うのであった。
 インドネシアは国家公認宗教(イスラーム、カトリック、プロテスタント、仏教、ヒンドゥー教、儒教)のうちどれかを信仰せねばならず、その信仰は身分証に記載される。「どうやったら仏教徒になれますか」と尋ねられたが、僕はキリスト教徒なのでわからないし、いっしょに迎えに行った同期も知らない。「日本人は必ずしも仏教だというわけではなくてなんかそのへんに霊魂が宿っているみたいな考え方をしていて、それに仏教もくっついていて・・」みたいに説明をするとえらく興味を持っていた。そして「オレもそれになります」と宣言するのであった。
 宗教観まで変えてしまうほど日本に陶酔し、日本人になりたいと切望している彼は、親からは勝手にしろと諦められているらしい。もとは厳格というほどでもないがイスラームをある程度実践していた家庭だったそうだ。

 ちなみにリタも改宗を試みている。プロテスタントの教会で洗礼を受けて受洗証明書を持って行ったが認められず、次は仏教に改宗しようと団体に問い合わせたら「まずは3年間修業して・・」と言われたそうなので、インドネシアの身分証はイスラームのままだ。改宗の動機は「なんとなく、別にイスラームじゃなくてもいいかなと思って」とのことらしい。プロテスタントでも仏教でも信者をする気はないが、身分証に宗教が記載される以上なにかしらに変えておくとラクかなと思ったのだろう。人には人の、宗教観。
 彼女曰く、インドネシアの仏教はそんなかんじの改宗希望者が多いので敢えてハードルを高く設定しているのではないかとのことだ。実態は不明だが一理はありそうである。

 日本語学校でリタとレンヤ、「でかいほう」を降ろして解散した。彼らに「いい留学生活を」と言い、たまにはメシでも連れて行ってやろうかと思っていたのである。

 ところが、この1か月半後にリタを通じて誘ったびっくりドンキーにレンヤくんは現れなかった。リタと「でかいほう」が言うには、レンヤくんは「思っていた日本と違った」と失望してインドネシアに帰国したのだそうだ。
 出迎えに行った日だけでもだいぶ期待値が高いなとは思っていた。どのような日本を思い描いていたのかわからないが、すぐに帰国するほどのよくない期待はずれが連続したのだろう。連絡先も聞いていないし、聞いていたところでなにもかけることばが思いつかないのである。

 日本人になりたいと切望していた彼はいまどうしているのだろうか。日本人になることを諦めてインドネシアの都市の生活に戻っていったのか、日本人になるために大阪とは違う場所にまた行くことを決めたのか、「日本人になりたいから仏教徒になる」と豚肉を食べたあの宗教観はどうなったのか、いまや知る由はない。

 リタと「でかいほう」の彼はその後、日本語学校を1年半で修了した。リタは第三国へと飛んで行き、移民するつもりもないがしばらくはインドネシアに戻らないのだという。そして「でかいほう」は日本で職を得てコロナ禍になってからもしばらく働いて帰国した。期間だけみれば3人のうち最も日本生活を満喫したのはいちばん日本に興味がなさそうだった「でかいほう」の彼だったことになる。

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