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「旅に出ます。探さないでください。」思うがままに旅をして②~高野山編~

こんにちは。偶然のさわでぃーです。


仕事も生活も中途半端、
私は何がしたかったのか?

私は何なんだ?

今さらだけど、何者なんだっけ私!?

もう全部分からなくなっちゃった!
すべて0にしよう。
心震わす旅に出よう。じゃあ、高野山だな。


と思いついた次の日、会社に「旅に出ます。探さないでください。」と伝え、高野山へ。



高野山での出会いとは?
何もかも分からなくなっちゃった私は、
何かを感じれたのだろうか…?


前編はこちら💁‍♀️



初日。
東京から8時間かけて高野山へ到着。
到着したらほぼ夜で、この日は、奥の院という、空海さんがまだ瞑想中とされるエリアの近くのゲストハウスに宿泊。土砂降り。


高野山ゲストハウスkokuu



ゲストハウスでは、2週間前から泊って仕事しているというSEさんと遭遇。(接触1)

「なんで、この時期にこんなところに来たの!?絶対、変わってるでしょ!」(雨季)

と言われたので(笑)変わり者魂に火がついて、
「めちゃくちゃ普通ですよ、いつも自己紹介代わりにする話がありますが、
1~10番まで、どれがいいですか?」と、いつもの小ネタ話を少々披露(8個くらい)し、(ストックは実際、何個あるかなあ、、。20?もっと?)
「自分の小話集、書いたほうがいいよ!!!」と言われ、
小話集、書けって誰かも言ってたよな~と思いつつ初日は終了。


2日目水曜日は、朝から奥の院へ。
雨、土砂降り。
秘境エリアを目指すこととする。

高野町観光協会より http://www.koya.org/koyasan-map.html


下(ふもと)から徒歩で上がらず、気がついたら宿が奥の院の横で、
バスで上まで上がってきちゃって、ごめんなさいという感じですが、
楽して、すみません。と思いつつ奥の院の秘境へ。
(街から歩いて上がる道があるのです。)


実は、この日から、レディースデイで、女人禁制のこの高野山・・・。
やばいよな・・。
と思い、最後まで入る(秘境エリアへの立ち入り)はやめよう。と思いつつ、
調べて塩を持ち(唱えるお経もあるらしい。)奥の院の最終地点、
空海さんが今も瞑想している秘境手前へ。


手前には、橋があり、そこの手前で、ずっと立ってました。
入れないよな、、。と思いつつ。
そしたら、雨がやみ、太陽光が差し、めちゃくちゃ綺麗だな~と
橋の手前で、思って見ていたのですが、心がモヤモヤしないし
レディースデイだけど、申し訳ない。
ここまで来たし、四国お遍路の挨拶しに来たんだ、秘境に入ろう。と思って、
とうとう、立ち入りました。


奥の院、ここから聖域のため撮影禁止。


秘境にいた間は、ずっと晴れていて、ここは何かあるよなあ、、と思いました。
空海さんの近くまで行けて、挨拶もさせていただいたとき、

ふと、お寺の用務員さんが太い蝋燭に火をつけて歩いていることに気が付き
「これは、1日持つんですか?」と話しかけ、
「半日よ、半日。どっから来たの、この大雨の日に。」と
そこから、小一時間、空海さんの横で用務員さんと椅子に座って話し、

ここら辺の土地のこと。お寺のこと。お寺で働く方々のこと。お坊さんのこと。
色んな事を教えてもらい、「おっと、誰も来ないから話し込んじゃったね。」と

用務員さんにサヨナラし、秘境を後にしました。(接触2)
(この用務員さんとは、のちにお歳暮を送り合う仲に!出逢いに感謝です!!!)



奥の院を歩いているうちに、”集中力・努力”というワードが浮かんできて、
あー、集中力ね。あー、努力ね。と反芻しながら一人で歩いてました。
秘境を出たら、また土砂降りで、まわりに人はいなくて、お墓しかなくて(笑)

どこまで見てもお墓
とにかくお墓
あっちもこっちもお墓
やっぱりお墓


昼間なのに暗くて灯篭と霧が立ち込めて(笑)遭難しないよう気を引き締めました。
だけれど、なんだか怖くはなくて、
両方にそびえたつ、ほんっとうに無数のお墓を見ながら、


ここにあるお墓の、その数万倍の人間がこの地球上に生きてきて、
生死を繰り返し、脈々と命のバトンを繋ぎ、
この周りの大木たちは、その人間たちの何代もの流れを見てきて。
私はこの2020年代に生きていて、”いま”バトンを持っていて、
このバトンをこの大木たちに見つめられながら次に渡す。

本当に、織田信長さんや豊臣秀吉さんのお墓があって彼らは500年前に生きていて、
そこから、徳川家さんたちにパスされて、お墓があって、
法然さんとか、教科書に載ってるけどちらっとしか、
無理矢理しか暗記したことのない方のお墓があって。
(お墓は石だけが積みあがっていて、死んだときに
その人自身が持ち越せる物質って、やっぱりない。ということも実感。)


その横にも、無名のお墓や石があって年月法名が刻まれていて、
教科書に載らなくても、生きていたし、みんながバトンを繋いでくれたんだなあ。
と、改めての”命のバトン”、実感と感謝が湧いてきた瞬間でした。


この”実感”、奥の院(お墓が立ち並ぶ山道)を出て、
高野山の町(山道のふもと?入口に開けているお寺が立ち並ぶ町)で出会う
次の”出会い”にも繋がります。


(今では、高野山へ行くとただいまー!という感覚で、無数のお墓も、みんなナカーマ!!!ただいまー戻ったよーって感覚です。)


次の熊野編へ飛ぶ人はここからどうぞ!


このお墓のところを抜けて、
そういえば、朝から紅茶しか飲んでなくて、ゆったり歩いていたので
もう14時になっていました。
お腹が空いたなあ、と思いつつふらりとカフェへ。

梵恩舎
https://tabelog.com/wakayama/A3001/A300103/30003910/



大雨で、観光客もいず、空いているお店はありません。
しかし、ふらっと立ち寄ったカフェがまた面白い店主さんでした。

奥様がフランス人で、マスターは日本人ですが5か国語を操り、
ヴィ―ガンのメニューに力を入れたカフェだったのです。
マスターとも仲良くなり、
お食事のあとはギターを弾きながら(!)おしゃべりをして(接触3)

15年ほどここでカフェをしているとのこと。
高野山の食材を使い、ヴィ―ガンメニューを展開していること。
いろいろな陶器やアート作品もおいており、何とも良い空間でした。
ちゃっかり、マサラチャイの素を分けていただきました。


お手洗いに行った際に、お手洗いに奥様の作品があり、
そこに、私の高野山メモリーが詰まっていました。
(思いがけぬところに答えはあり、いつもアンテナを張っておくものですね(笑))


”7代先の子孫に思いをはせる、アメリカの先住民の方々の思想”

というタイトルで、飾られていたその作品にトイレどころではなく(笑)
写真撮るのを忘れた。

これだよなーーーーーーーーーーーーーーー。
奥の院を通って感じた思いはこれだ。

バトンを繋いでもらって、そして我々もバトンを次に繋いでいく・・・。


また、いい作品と名言に出会ってしまったなあ。。。
と黄昏つつ、熊野を目指し高野山を後にします。
また来るぜい!

(あとでわかった事ですが、私にとって高野山はめっちゃ相性がいい?場所で、
 元気をもらうために毎年行くことにしています。)


次回、気が付いたら熊野へ向かってた。
熊野編




⭐︎高野山〜熊野〜伊勢の旅⭐︎

第一弾~理由編~
https://note.com/takahashi_ayako/n/neeb6bb3e4c97

第二弾~高野山編~
https://note.com/takahashi_ayako/n/ndd784ac8dbc2

第三弾、第四弾〜熊野編・前後編〜
https://note.com/takahashi_ayako/n/nf18f643dc2fc

https://note.com/takahashi_ayako/n/n196a4523d817

第五弾~伊勢編・完結~
https://note.com/takahashi_ayako/n/nd5054791282a




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