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偏差値至上主義を作るのは誰か

皆さんは子どもの教育にどのようなことを求めますか?

様々な体験をしてもらいたいと考える方もいるでしょうし、とにかくたくさん遊べ!という方もいるかもしれません。
ですが、多くの保護者は願わくば良い学校に進学してもらいたいと願うはずです。
そのために質の高い授業を、つまり学力を上げてくれることを期待していると思います。

そのような保護者のご期待の通りに、日本の学校では子どもたちの進学に細心の注意を払い、受験で良い学校に合格できるように学力を上げようと躍起になっています。
学力というと聞こえはいいですが、学力とは一般的に知識量を相対的に比較した結果である偏差値を指しがちです。
つまり、学校では偏差値を上げることを優先的に考えていると言えます。

こうした偏差値至上主義が生み出される背景には、日本社会がいまだに学歴主義体質が抜けきれていないことが原因としてあるのでしょうが、それよりも子どもたちの親がそれを助長しているということは事実だと思います。

親が子どもの未来を案ずるのは当然のことです。
教育の格差が将来的な収入の格差を生むことは統計で明らかになっていますから、質の高い教育を親が求めるのは同様に当然のことだと言えるでしょう。
ゆえに偏差値を上げてくれることを強く求めるわけです。

ですが、ここに落とし穴があるような気がします。
質の高い教育とは、偏差値を上げてくれることなのか?
つまり知識を詰め込むことなのか?

インターネットが発達した現代では、知識を詰め込むことになんのメリットもありません。
なぜならば、誰もがインターネットを通じて様々な情報を入手することができるからです。
言ってしまえば、人間の脳はインターネットに接続しているようなものです。
インターネットに記憶された莫大な情報を自分の脳に記憶された情報かのように手軽に利用することができます。
ですから極端な考え方をすれば、知識を詰め込むことは全くもって無駄なことだと言えるわけです。

では、本当に優先されるべきこと、偏差値よりも優先されることは何か?
それは知的好奇心です。
知的好奇心がなぜ重要なのかということについてはまた別の記事で書こうと思いますが、これをお読みの皆さんは「偏差値よりも知的好奇心が重要」ということを感覚的に理解していただけるのではないかと思います。

高い偏差値は安定した大学までのレールを敷くことができますが、安定したレールが子どもたちの幸せな未来を生み出すとは限りません。
「可愛い子には旅をさせよ」
「獅子の子落とし」
という言葉があるように、ときには直面する壁も必要です。

あえて壁を作る必要はありませんが、親が壁を避けさせるように仕向ける必要は絶対にありません。

親が偏差値至上主義を助長しないようにマインドを変えていかなければなりません。
どうやったら変わっていけるのかは、noteなどで多くの人のご意見を吸収しながら考えていきたいと思います。
まずは私が偏差値至上主義に囚われないように気をつけていこうと思います。

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