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アメリカ奮闘記:Bostonチャイナタウンでエネルギーを感じる

渡米して8日目。の、続き。見出し画像はインスタ映えを狙えるホテル近くの何か。
(今日はほんとは10日目です。更新がたまっている・・・!)

19時に日本人リサーチfellowのKさんと待ち合わせ。
チャイナタウンに連れて行ってもらう。

ボストンのメディカルエリアにはたくさんの名病院がある。
今日はそのメディカルエリアにある病院の
いずれかに所属している○○器官系のfellowの交流会だそうだ。

Green lineでチャイナタウンに向かう。
電車で、偶然にも、水曜日のセミナーで発表していたスウェーデン人にばったりと会う。
私のことを覚えていてくれたようだ。嬉しい。
彼はもうfellowの期間が終了し、来週国へ帰ってしまうそうだ。

そんなこんなでチャイナタウンに到着。
治安が少々悪いらしい。
といっても、その理由は定番飲み屋街だからであって
違法な何かがあるからではない。(裏では知らないが。)
一応ここは観光地でもある!
まだ明るいからかもしれないが、夜の歌舞伎町の方がよっぽど怖いと私は思う。

ということでお店も中華大衆レストラン。食べ放題。
ついてみると、日本人しかいない。
話をよく聞いてなかったが、日本人fellow交流会だそうだ。

人数は18人ほど。
こんなにもたくさんの日本人リサーチfellowがボストンに来ているのか!と驚く。
年齢はだいたい30~40歳くらいだろうか。
つれてきてもらったKさんが一番若いくらいだ。

両隣の人に、ボストンにやってきた経緯を聞いてみる。

日本で10年前後臨床経験を積み、技術的に達成できる一番高いところまで到達したとのこと。
この10年での成長は大きかったが、
この先の10年、20年は、先輩たち見ると、毎日同じことの繰り返し。
この先に成長が見えなかった。とのこと。
そこで、大学院に入り、そこ経由でgrant(奨学金)の獲得とボストンへの推薦をもらい、リサーチをすることにしてみたという。

他の人に聞いても、このケースが多かった。
もちろん、Kさんのように、一度時間をとって疫学等のリサーチをしっかりと学びたかったという人もいた。
あとMPHを取りに来ている人もいる。

そしてみな、口をそろえて話すのは、
「私も学生の頃にこっちに来ていたら、人生も変わっていたんじゃないかなあ。学生の頃なんてなんも考えてなかったよ」とのこと。

医学部は、卒業しても研修医をこなさなければならないし、
就活という就活もない。マッチング制度みたいなやつがあると聞いた。
多くの人がそのままレールの上にのり、臨床の道へ進むのだろう。
それは決して間違っていないし、患者さんの命を救う素晴らしい道のりだ。
そのまま一生をそのレールの上で過ごす人も多いだろう。

だが、ここにいる人たちは、
そのレールに違和感を感じ、自分で行動を起こし、ここにやってきた人たちである。
皆、奥さんや夫がいる、子どももいる、0才児すらいる。
それでもここにやってきたのだ。

なんとなくこの場からエネルギーを感じるのは、当たり前のことだろう。

私も将来、仕事も家庭も忙しくなった時にこそ、
こうやって行動を起こし、
精一杯生きることが出来ているだろうか。

彼らは2年後、5年後、自分がなにをしているのか全く想像がつかないと笑って話す。

レールの上にずっと乗っている人は、
もうきっと退職までどんな道を歩むのか、すでに想像がついている年齢だと思う。
分かりきっている道をそのまま進むよりも、
この先どんな未来が待ち構えているのか分からないほうが、きっと楽しいだろう。

私もいつかアメリカに戻ってくることが、出来るだろうか。

そんなこんなで夜遅くなり、お開き。
Uberで帰宅。

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