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バードック ~小説『ユースレス』#1~

 見渡す限りどこまでも広がる大平原。緑の平野と空との境界線はゆるやかに上下を繰り返す山脈だが、それさえも遥か彼方であり、光に満ちた消失点バニシング・ポイント近くで曖昧にかすむ影となり果ててしまっている。

 ――雄大な大自然を初めて目にしたときは感動した。美しい緑、鮮烈な青空、不思議な香りのする空気。何もかもが興奮をもたらした。
 そのうち、だだっぴろいだけの単調な風景に嫌気がさした。文明圏に帰りたくてたまらなくなった。

 そして、今は、慣れてしまってもう何も感じない。

「クイーンと六のフルハウス。悪ぃな~、また俺の勝ちだ」

 バードック・ヘロッド連邦保安官は、移動基地の簡易宿舎の向こうに広がる大平原から目をそらし、丁寧とも言える指先でテーブルに五枚のカードを置いた。テーブルを囲む兵士たちの口からいっせいにあがる不平の声を聞き流し、くしゃくしゃのクレジット紙幣をかき集める。

「おまえ今日は一人勝ちじゃねえか、ヘロッド。なんか妙な手を使ってんじゃねえだろうな? カードを透視できるとか?」

「言葉を慎みなよ、伍長さん。あんまり失礼発言かますと黒焦げにするよ?」

 バードックは外見年齢二十歳ほどの青年だ。中肉中背の体型には特に目立った特徴もないし、手入れしてない砂色の短髪も色褪せたよれよれの服も、この界隈では人目を惹くものでもない。ただ、少年のようなヘーゼルの瞳と、目元をくしゃっと縮めるはにかんだような笑顔が、見る人によっては魅力的に映るかもしれない。

 移動基地の外れ。水平に枝を広げた大木の木陰に補給品の空箱を積んで作った即席のテーブルで、彼らは日の高いうちからカードに興じていた。バードックを含めて六人。全員が薄汚れており、全員が退屈しきっていた。

 バードックの足元には一匹の獣が丸くなって眠っている。全長一・五フィート(尾は除く)の、白く短い毛に覆われた四足獣。白い毛皮にはところどころ、黒と明るい茶色の斑点がついている。ふいにそいつが顔を上げ、二等辺三角形の耳をぴん、と持ち上げた。軽い足音が近づいてきたためだ。

「可愛い! ねえ、触ってもいい?」

 十歳ぐらいの黒髪黒目の女の子だった。瞳を輝かせて白い獣を見下ろしている。

 バードックはうなずいた。

「いいよぉ。噛まないから、安心して好きなだけ触んなよ」

 女の子はうれしそうな顔をして、しゃがみ込んで獣の頭を撫で始めた。

 ワイズ町の子供だろう。

 この巡回登記団の移動基地はワイズ町のすぐ外に設けられているが、境界などは別に設置していないので、入りたければ町人は誰でも自由に基地に入って来られる。好奇心に駆られた町の子供たちが遊びに来るのも珍しいことではなかった。

 撫でられて、獣が心地良さげに、ぐるぐるぐるという音をかすかに喉から漏らした。ごろんと地面に横倒しになり、腹を上に見せた。まるで「腹も撫でろ」と言わんばかりだ。

 女の子は獣の腹を撫でてやった。

「わあ、ふわふわ! 気持ちいい! この子、何ていうの?」

「トムって呼んでやれば返事するよ」

「ううん。名前じゃなくて。種類。何ていう動物なの? こんな子、図鑑でも見たことないわ。どこかの星で新しく発見されたの?」

「そぉいうわけじゃない。こいつは『猫』さ。原始地球に生息していた哺乳類の一種。遺伝子情報をもとに《中央》で復元されたんだ」

「ふーん……」

 女の子は検証するような視線になって《猫》を見下ろした。顎の下を撫でられると、猫は快感に目を細め、ぐるぐるという鳴き声が大きくなった。

 バードックと治安維持部隊の兵士たちがもう一勝負終え、バードックが再び紙幣をかき集めたとき、女の子の新たな質問が響いた。

「あなたは何ていうの?」

「んー? 名前、それとも種類?」

 カードを配りながら、振り返りもせずに尋ねる。女の子は頬をちょっと膨らませた。

「名前だよ」

「バードック・ヘロッド」

「ちなみに、種類は『ごくつぶしユースレス』だ」

と、バードックのすぐ隣に座っている太った伍長がまぜっかえした。

「種類じゃねーよ。それは、コードネーム」

「どっちだって同じことだろ?」

 バードックと伍長の言い合いを無視して、女の子は猫を抱いて立ち上がり、「あたしはジェイ。よろしくね、バードック」と、大人びた口調で言った。きちんとした躾と教育を受けている子らしかった。

 猫は安心しきった有様でジェイの腕に身をゆだね、眼を半ば閉じて、ぐるぐると鳴き続けている。

「あなた保安官でしょ。悪い奴らをつかまえるのが仕事なんでしょ。こんな所で、昼間っから遊んでちゃいけないんじゃないの? 『大人は昼間は仕事をするものだ』ってママも言ってたわよ」

 ジェイの口からいきなり、子供とは思えない直球の正論が飛び出してきた。

 テーブルを囲む兵士たちが騒々しく爆笑した。

「ジャックのフォーカード」

の一言で兵士たちを黙らせると、バードックはぐるりと目玉を回して天を仰ぎ、のんびりした口調のまま答えた。

「俺の仕事はねー、ここにいる兵隊さんたちが退屈し過ぎてボケないように、適度なストレスを与えて脳を刺激してやることさ。カードでお金を巻き上げたりねっ」

「そんなの、おかしい」

 ジェイは言い張った。猫を抱きしめたまま、猫と同じような黒くて丸い目で、彼をじっとみつめた。

「町では、人手が足りなくて困ってるのに。麦の収穫の時期なのに男の人がいないから、収穫ができないかもしれないって言ってるのに。こんなにたくさんの大人が昼間から遊んでるなんておかしいよ」

 その言葉に、バードックはカードをシャッフルしていた手を止めた。それまでは振り返りもせず片手間に会話をしていただけだったが、そのとき初めて、ジェイの方にはっきりと向き直り、真正面から幼い顔をのぞき込んだ。

「男がいないって……なんでよ?」

 ジェイは彼の目を見返し、ためらった。長い間黙りこくってから、明らかに、言いたくない言葉を無理やり引っ張り出している調子で、

「みんな死んじゃったから」

とだけ答えた。

◇ ◆ ◇

 銀河系宇宙にあまねく勢力を広げる強大な銀河連邦政府。その勢力の及ばない所にも可住惑星があり、人間が暮らしている。

 年々、何百個もの可住惑星が新しく発見され、移民が進んでいる。

 人はそういった場所を《フロンティア》と呼ぶ。おそらくは、希望と若干の憧憬を込めて。

 文明を捨て去り、何もないまっさらな土地で一からやり直したい――そう願う者は、いつの世にも絶えることがない。そういった連中がフロンティアに住みつき、土地を開発する。産業が興り、社会が形成される。

 そして発展がある程度進んだ時点で、国家が生まれる。

 混乱を防ぐため、国家成立のプロセスは、銀河連邦政府の行政官の関与とサポートの下で行われるのが通常だ。めでたく国家が成立すれば、それと同時に、銀河連邦の加盟国として広く銀河系全域に受け入れられることになる。

 その前段階となるのが、銀河連邦政府――別名《中央セントラル》――の行政官により実施される実態調査だ。行政官たちは惑星全体を歩き回って、正確な地形を測量し、住民を把握して住民台帳を作成し、土地の権利関係を把握して土地登記台帳を作成する。住民およびその資産の把握。それが国家成立のプロセスの基本となる。

 その実態調査を行っているのが、いわゆる巡回登記団。

 十五人のプロの行政官と、治安維持部隊の二百人を超える兵士たちとで構成される移動ユニットだ。

 治安維持部隊の任務は、行政官たちを護衛すると共に、調査終了後の土地に残って台帳を管理することである。住民台帳や土地登記台帳を作成した後に、住民が移動、死亡したり土地の奪い合いが起こったりしたら、台帳を作った意味がなくなってしまう。国家が無事に成立するまで、住民や土地の権利関係の異動をきちんと管理し、台帳に反映させること――それが治安維持部隊の務めだ。だから巡回登記団は、ある町の調査を終えて別の町へ移動するとき、必ず数名の兵士を後に残していく。二百名の兵士はそのための要員だ。

 兵士が少しずつ減っていき、残りわずかになったら、巡回登記団はいったん本部(調査対象惑星の衛星軌道上を巡って待機している《中央》の巨大戦艦)へ戻って兵士を補充する。

◇ ◆ ◇

 巡回登記団には、フロンティアに身を潜める悪質なお尋ね者を発見し捕えるため連邦保安官が随行することがある。

 バードック・ヘロッドの任務も、まさにそれだった。

◇ ◆ ◇

 惑星エペソの南半球では、今は秋だ。暑くも寒くもない快適な温度が続いており、雨があまり降らないので空気も乾燥している。開発が進めばすばらしい穀倉地帯になるだろう。

 簡易宿舎の自分の部屋で、バードックは銃の手入れをしていた。

 時刻は真夜中なので、辺りは静まりかえっている。基地で起きているのはたぶん数名の歩哨と、睡眠をわずかしか必要としないバードックだけだ。

《おぬし、また妙なことを考えているのではあるまいな?》

 彼の頭の中で声が響いた。

 正確に言うと声ではない。彼の自律型補助拡張端末であるTOM-6390801-calina、最新式の第十三世代の人工知能を備えた猫型ロボットからの通信を、脳の拡張回路が受信したのだ。脳はその通信を、しわがれた老人の声として認識する。

「……妙なことって、なーに? ぼく、わかんなーい」

 バードックも声を発しないまま、猫に通信を送り返す。

《たわけ。とぼけるな。……保安官として巡回登記団に随行し、もし連邦法違反で指名手配されている犯罪者を発見したら身柄を確保する。それが、おぬしの任務のはずだ。それ以外の行為はすべて命令違反となる。忘れたか?》

「毎日毎日カードばかりじゃ飽きるんだよ。ここの基地、弱い奴ばっかだしさー」

《職務に刺激を期待するな。公務の本質は単調さだ。そんなことぐらい承知で公務員になったのだろうがっ。……なぜ命令違反を繰り返す? 減俸されることにマゾヒスティックな歓びでも覚えているのか》

「おめーにマゾの何がわかるってんだよ、トムちゃん」

 バードックは猫型ロボットの脇の下に手を入れて持ち上げ、そのまま自分もベッドに仰向けに転がった。高く差し上げられ、ぶらんと垂れ下がる形になった猫の胴体を下から見上げる。

 ふさふさした毛に覆われ、優美な曲線を描くそのボディに詰まっているのは、親指の爪ほどのサイズの人工知能基板と動力源と運動機構。そしてそれ以外はすべて、人工知能を保護するための緩衝材だ。連邦軍特製のこの緩衝材は、恒星から惑星エペソ全域に降り注ぐレメック線を遮断する役割を果たしている。緩衝材がなければトムの人工知能はあっという間にレメック線で破壊されている。

「いーなー、猫は。なんつーか、人間の『かわいがりたい』本能を直撃するフォルムだよね。今度《中央》から生体皮殻を取り寄せるときは、俺も三毛みけの毛皮にしよっかな。もっふもふのやつ。尖った耳と尻尾もつけて」

《正気か? よせ。わしのこのサイズだから可愛く見えるんだぞ? おぬしがやったら、ただのタチの悪いコスプレだ》

「だってさー、俺、もう、ヒト型はうんざりなんだもん」

《ヒト型とか言うな。おぬしは正真正銘、本物の人間だろうがっ》

「うーん。その点、ときどき自信なくなっちゃうんだよね」

《……》

 トムはときどきひどく人間臭い反応を見せることがある。意味深に黙り込む、という高度な技を発揮してみせた。

 バードックは、差し上げていた猫の体を、自分の胸に下ろした。

「命令違反はね。俺も人間なんだってことを、証明したいからやってるのかもしれない。機械だったら命令違反なんかしないからさ」

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