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【掌編小説】ずっと見てるね

 地球は青くて、その中にいのちが光って見えるの。いつかママはそう言った。私はよく解らなかったけど、そういうものなんだなあと思って、頷いた。
 大人になったら、火星に棲む。命だけをここに産み落として、夫婦だけで遠い火星の地に向かい、そこで家庭を築いて生きていく。火星でも出産は出来るけど、地球よりもまだ酸素が薄いので、子供の生育には地球の方が適しているらしい。
 数十年前に地球の寿命というのが叫ばれるようになってから、この制度が取り入れられたと社会の授業で習った。産まれたときのことなんて当然だけどもう覚えていないし、ママとパパは今は火星に居るので、ディスプレイ越しでしか会った記憶が無い。でも、寮に帰ってディスプレイを付ければ、いつでもママとパパに会えるから、寂しくはない。
「ママ、パパ、ただいま」
「おかえり、遅かったな」
「もうすぐ試験があるから、残って勉強してた」
 本当は試験なんか無いけれど、どうせ私の詳しいカリキュラムなんて知らないだろうと思って適当な嘘をついた。予想通り、ママもパパも疑う様子は無かった。
「こっちはもうすぐご飯出来るけど、待つから一緒に食べましょう」
「うん、運んでくるから待ってて」
 ブレザーをソファに放り投げながら返事をすると、画面の中のママが怒った。それを無視したまま、食事をディスプレイの前に運ぶ。
 料理は学生寮のおばさんが作ってくれる。完全栄養食だけ食べていれば問題無いのに、おばさんは「それだと味気無いから」と毎日きちんと料理を作って、私達が帰る頃、部屋に置いてくれる。料理が趣味なのだという。変わった人だ。
 私はおばさんがとても好きだけど、陰で「純地球人」と呼んでいる人が居るのも知っている。私達は地球に産み落とされているだけなので、誰もが純地球人で間違いないのだから、センスの無い蔑称だと思う。ママとパパのネーミングくらい、センスが無い。
 私の名前は、住んでいる町にある、地球で一番大きい望遠鏡から取られた。どうして望遠鏡なんかから取ったのだろう。
 その望遠鏡を覗き込む私に、画面越しのママは「那由多もいつかママとパパとこの星に棲むのよ」と言った。望遠鏡を覗いて火星を見ると、星の表面がざわざわと揺れている気がして、ママには言わなかったけど、少し気持ち悪かった。
「試験って大変なの?」
「うん、それなりに。でも鏡子ちゃんに教えてもらってるから」
「あら、良かった。鏡子ちゃんだけじゃなくて、カケルくんとも仲良くね」
 ママの言葉に曖昧に返事をした。暫く食器にスプーンが触れる音だけが続いた後に、あと四ヵ月で那由多も卒業か、と画面の中のパパが静かに呟いた。


 屋上の重いドアを開けると、鏡子ちゃんが居た。膝に乗せるようにして何かを描いている。スケッチブックの白がレフ板のように働いて、鏡子ちゃんの白い肌が光った。屋上は、放課後特有の柔らかくなった日差しが降り注いでいるので、冬に変わりかけている今の季節でも暖かく感じる。
「那由多」
 手招きされたので、隣に腰掛ける。部活をしていない私達は、放課後、こうして何となく屋上に集まってしまう。鏡子ちゃんは絵が上手いのだから美術部に入ればいいのに、絵が描けても仕方ないから、といつも素っ気なく断られてしまうのだった。
 強い風に吹かれて、鏡子ちゃんの長い黒の髪が波打っている。鏡子ちゃんは校則を無視して、ラメの混ざったグレーのアイラインを引いている。目尻で跳ねているそれのせいで、猫の瞳のように悪戯な雰囲気がする。
「那由多みたいに私も結ぼうかな」
 鏡子ちゃんの指が、私の髪を縛っているゴムをつついた。飾り気の無い茶色のゴム。
「跡が付いちゃうから、止めた方が良いよ」
「那由多は結んでるのに?」
 鏡子ちゃんは意地悪い顔をして、私を覗き込むように見る。鏡子ちゃんは、綺麗だから。そう言うと、変なの、と鏡子ちゃんは豪快に笑った。自分のことに無頓着だから、いつもこうして大きな口を開けて笑う。
「進路の紙、書いた?」
「まだ」
「同じ職種にしようよ。職業によって住む地域が近くなる可能性があるって聞いたから」
 進路の紙には、希望職種というものが数個羅列されていた。成りたい職種に丸を付けると、適性検査の後、余程検査の結果が酷くなければ、希望職に就くための勉強を二年行う。その二年の間に子供を成す人もいるらしい。
 四ヵ月以内に適性検査が実施され、その後には私達は高校生でなく、移住予定者という名前で呼ばれる。近くに迫った自分の未来だというのに、不思議なくらい現実味が無かった。
 鏡子ちゃんに返事をしないまま、立ち上がった。屋上を囲う柵に近付くと、更に風が強く吹いている気がする。柵に手を掛けて下を見ると、足の先から力が抜けていくのが面白くて、ずっと眺めてしまう。さらけ出された首の後ろを冷えた風が撫でる。
「那由多、危ないよ」
「大丈夫」
 私は怒っていた。鏡子ちゃんはいつも私を試すようなことを言う。火星に移住する気持ちがあるようなことを言って、私がどんな顔をするかを見ようとしている。見せてやるもんかと思って、地面を見つめ続けた。次第にグラグラと揺れているような気がしてくる。
 風に吹き飛ばされて、自分が屋上から落ちて、地面に私が弾けるのを想像した。トマトを床に落としてしまったときのことを思い出すと、想像するのは容易かった。
「いい加減にして」
 腕を引かれて、屋上の中央に戻された。鏡子ちゃんは、酷く怒った顔をしている。私達は最近、お互いにお互いが嫌がることをしてしまうのだった。
 再び隣に座る。一度拗ねたような態度を取ってしまった後に、どうすれば取り返しがつくのか解らなくて、ずっと遠くを見ていた。私は視力が2.0ある。私がずっと目を凝らせば、火星は見えるだろうか。
 必死に空の奥を見ていると、頬に滑らかな感触が当たった。眠くなってきた、と鏡子ちゃんが私の肩に頭を乗せたのだった。
 同じ寮で暮らしているのに、鏡子ちゃんからは私と違う匂いがする。寮のおばさんが作ってくれるデザートに乗っているミントみたいな匂い。
 鏡子ちゃんはいつも、私の考えていることがまるまる伝わっているように振る舞う。怒らせてごめんね。触れ合っていると、そういう気持ちが鏡子ちゃんから伝わってくる。私もごめんね。
 身体を媒介して気持ちを伝え合う生き物のように、肩を貸したまま固まっていると、屋上のドアが開いた。鏡子ちゃんが起き上がって後ろを向く。
「一之瀬さん、ちょっと良い?」
「何?」
「日直。明日一之瀬さんの当番だから、ノート、机の上に置いておく」
 鏡子ちゃんは、素っ気なく頷いた。カケルは何か言いたそうな顔をしてから、私の方を向いた。
「那由多、今週末食事しようって母さんが」
 ついでのように掛けられたカケルの言葉に頷く私を確認してから、カケルは屋上から出て行った。私の予定など聞かずに、そうなることが当然のようにカケルは予定を押し付けてくる。
「友達なんだっけ?」
「親同士がね」
 鏡子ちゃんの言葉を訂正した。カケルの親と、私の親は、学生時代友人同士だったという。私達と同じ学校でカケルの両親も、私の両親も育った。
「良いな。那由多と結婚するために産まれてきたみたい」
 鏡子ちゃんが私を見た。高校生最後の冬、火星に移住する相手を、殆どの人が既に見つけていた。鏡子ちゃんは、私と出会った小学一年生の頃から地球に残ると言っていて、今でもその意思を曲げない。


 再提出、と担任に突き返された進路希望届を持って屋上へ向かう。
 適性検査をしなくても、おまえには適性が無いことが解る。
 担任教師が呆れたようにそう言ったのを思い出す度に、ムカムカと不快な気持ちが湧き上がってきた。寮の家政婦と具体的な職業まで書いた私の進路希望届は、あっさりと跳ね除けられてしまったのだった。
 今日も屋上で絵を描いていた鏡子ちゃんの側に駆け寄る。どうしたの、と尋ねる鏡子ちゃんに、私は今起こったことを伝えた。
「那由多が家政婦? 絶対無理よ」
 一緒に憤ってくれるのかと思っていたのに、鏡子ちゃんは大きな口を開けて笑った。キャベツとレタスすら見分けがつかないのに、と馬鹿にされたけど、完全食を食べる子が多いから、野菜の見分けがつかない子なんて私以外にも居る筈だ。
「地球に残りたいなら、私みたいにならなきゃ駄目よ」
「鏡子ちゃんみたいに?」
「融通が利かない、変わり者でいないと。何にでも成れる子は、火星に行かされちゃうのよ」
「鏡子ちゃんだって、本当は何にでも成れるくせに」
 私は、鏡子ちゃんがテストでわざと間違えることや、病弱を装って運動をしないことを知っている。制服だって、着崩してはいないものの、何度注意されてもべったりと絵の具を付けたままにしている。
 それでも恐ろしく綺麗だから、クラスの子は鏡子ちゃんのことを少し恐れている。見た目は良くても何を考えているのか解らないというように、動物園の動物を見守るときのような目で、鏡子ちゃんのことを見る。「那由多、よく一之瀬さんと一緒に過ごせるね」と言われることは多い。
「先週末は、カケルくんのご両親と会ったの?」
「うん」
「楽しかった?」
「普通。カケルって、学校での私の失敗談をわざわざ皆で食事している場で話すんだよ。酷くない?」
 私が怒っているというのに、鏡子ちゃんはケラケラと笑った。カケルの両親にまで私の失敗が筒抜けになるなんて恥ずかしくて、居た堪まれなかったのに。
「那由多はカケルくんのご両親とも仲が良いし、火星でもきっと上手く」
「私がずっと一緒に居たいのは鏡子ちゃんだよ」
 言葉を被せるように、口に出した。鏡子ちゃんは、このところいつにも増して、私を火星へ追いやろうとする。出会った頃から鏡子ちゃんはずっと火星へ行く気は無いくせに。火星では、絵を描くことは仕事にならないからだ。まだ火星での文明は始まったばかりで、文化は地球に置いてきぼりになっている。社会の役に立つ仕事をしなくてはならないのだ。
 社会の役に立つって何だろう。私は、鏡子ちゃんが居るだけでここで生きていきたいと思うのに、どうして鏡子ちゃんのしたいことは「社会の役に立つこと」に含まれないんだろう。
 それでも、私からすれば、鏡子ちゃんの方がずっと羨ましい。前に、鏡子ちゃんのパパやママは悲しまないの、と尋ねたことがある。私の質問に、「たとえ離れていても、私が本当にしたいことをしなさいって言ってくれたの」と鏡子ちゃんは答えた。私だって、本当にしたいと思うことをしたい。どうしてこんな時代に産まれちゃったんだろうと嘆くと、鏡子ちゃんは「馬鹿ね」と涼しく笑うのだった。


 パパやママ以外の大人に、こんなに叱られたのは初めてだった。家政婦になることしか考えられない、おばさんのように一生地球で暮らす。そう言った私を、担任は大声で叱り飛ばした。驚いて涙が勝手に出た。それなのに、私の涙が見えていない様子で、担任は「将来のことを考えろ」と怒った。
 担任の先生やおばさんのように、生涯地球で暮らす人というのは確かに存在している。子供だけでは生きていけない。先生やおばさんに許されて、私が駄目な理由が解らなかった。鏡子ちゃんと一緒に居たいだけだというのがバレてしまったのかもしれない。
 屋上に着いてすぐに鏡子ちゃんに今あったことを伝えると、「ふうん」と他人事のように返事をされた。
「ところで、ナスカの地上絵って知ってる?」
「何それ」
 私がこんなに傷付いているのに、鏡子ちゃんがそんなことを言う意味が解らなくて、私はつっけんどんに返した。私の不機嫌を知らんふりして、鏡子ちゃんは話を続ける。
「古代の人が地上に描いた不思議な絵。私もこのグラウンドいっぱいの地上絵を描くから、那由多は宇宙から見ていてよ」
 望遠鏡って火星にもあるのかな、と鏡子ちゃんは朗らかに言う。
「火星の話はしないで!」
 私が叫ぶと、鏡子ちゃんは笑っていた顔を急に仕舞った。私が怒っているのに、鏡子ちゃんの方が苛立っているように見える。何も言えず、唇を噛んだ。
「那由多が本当に地球で暮らしたいなら、私も先生を説得するよ。でもそうじゃないでしょう」
「……どうして?」
「キャベツとレタスすら解らないもの。本当にここに残りたいなら、それなりの誠意を見せて」
 誂いだと思っていたあれは、鏡子ちゃんの中では誂いでは無かったらしい。
 鏡子ちゃんの顔を見ていられなくなって、視線を下に落とした。私と同じ上履きなのに、鏡子ちゃんのそれはわざとらしく絵の具塗れになっている。
 鏡子ちゃんの誠意って、どこからやってくるのだろう。火星で絵を描くのと、地球で描くのは何が違うんだろう。
「鏡子ちゃんは、そんなに地球に残りたいの」
 意を決して、鏡子ちゃんを見る。相変わらず目元が光っている。瞬きの度に鱗粉のように光が溢れる。
 クラスの子が鏡子ちゃんを恐れるのは、何を考えているか解らないからという理由だけではない。この子だけ、明確な意思を持っているからだ。思考する間もなく、火星に行くことが当然の校内で、鏡子ちゃんだけが地球で暮らし続けることを考えている。
 しかし、今、私の問いに鏡子ちゃんの目の奥が微かに震えた。珍しく少しの躊躇いを見せてから、鏡子ちゃんが口を開く。
「親が、火星に行くときに死んだから」
 今までに聞いたことのない平坦な声だった。
「ロケットが発射した瞬間、炎に包まれて、大気圏に出る前に粉々になって、海に落ちたの。映像で見たわ。本当は、私の両親は地球から出ないまま死んだ。だから、誰かと火星に棲むなんて、私、考えられないの」
 鏡子ちゃんの目から、一筋の雫が落ちた。私は謝りながら慌てて鏡子ちゃんの白い手を掴んだ。涙は、一粒落ちただけで、それで終わりだった。
 私は、初めて世界で一人になった気がした。鏡子ちゃんと触れ合っても、感情が見つからない。そうなって初めて、今まで鏡子ちゃんが私の怒りや、悲しみを形にしてくれていたことに気付いた。
「那由多は、火星に行った方が良いよ。私と違って、これから何にでも成れるから」
 白い手が、私の手の甲を優しく擦った。鏡子ちゃんは、ずっとどういう気持ちだっただろう。強い心で地球にただ一人でも残ると決めるのは、それでも寂しかったのではないだろうか。
 私は、鏡子ちゃんの側に居る。私はきっと地球に残れないけれど、たとえ距離が離れても、鏡子ちゃんの側に居る。
「ずっと見てるね」
 鏡子ちゃんの目を見てそう言った。瞳の中に、閉じ込められたように私が映っている。
 地上絵はラメの入ったアイライナーで描いてほしいと言うと、そんなの見えないわ、と笑い飛ばされた。それでも、いのちは光って見えるの。「私の視力は2.0だからどんなに小さくてもきちんと見えるよ」と返すと、鏡子ちゃんは「馬鹿ね」と私の手を強く握った。

(終)

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