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精神科医だった父の教え

以前に精神科医だった父のことを書きました。

意外と多くの方が読んでくださったので、調子に乗って父との思い出をまた書いてみたいと思います。父が言っていた、少し変わった教えについてです。

1: バイトはするな

大学に入学するにあたり、父からバイトはするなと言われました。その理由は、「バイトをするとお金が簡単に稼げることがわかってしまうし、若い時、安易にお金を稼ぐ価値観を持ってしまうと将来、お金を優先した選択をするような人間になってしまうから」ということでした。要するに、安月給だけど最先端の医療が学べる施設と、給料はいいけどルーチンワークだけの病院を選ぶ状況になった時に、後者を選ぶような人間になってほしくないということのようでした。
また大学時代という貴重な時間を、お金を稼ぐことだけにあてないでほしいという思いもあったようです。お金は社会人になれば稼げるのだから、その時にしかできないこと、クラブ活動でも趣味でも旅行でも、なんでもいいから、そちらに時間をかけてほしいと考えていたようでした。また「それに対しての金銭的補助は自分がするから、お前も子供ができたら、子供にそうすればいい」と言っていました。
結局、私はそれに甘えて、クラブ活動や大学のイベントなどに精を出した大学生活を送りました。本もたくさん読みましたし、海外も何回か行きました。しかし不思議と親のお金で、ぽんぽん高い買い物をするようなことはしませんでした。「お金がない」と言って、バイトに明け暮れている友人の方が簡単に高価なものを買っていた気がします。もちろん生活を成り立たせるためにバイトをしている先輩もいたので、この考えは誰にでも当てはまるわけではありません。しかし個人的には大事な考え方だと思っていますし、いまも選択を迫られた時はお金ではなく、自分の本当にやりたいことを第一に考えるようにしています。
ちなみに一度だけ、親に隠れてバイトをしたことがあります。模試を、千葉の方の会場から東京の採点するところまで電車で運ぶというバイトです。電車に乗ってるだけの楽なバイトなのですが、拘束時間は長く、バイト代も安かったです。親が言うほどバイトで稼ぐのは簡単でないと実感した瞬間でもありました。

2:落第させるのはどっち?

父は昔、看護学生向けの講義をしていたことがありました。それに関連して、こんなことを聞いてきました。
「一度も講義に出ず、テストが不合格だった学生と、毎回、出席していてテストが不合格だった学生がいた時、どちらか一人を落第させないといけないとしたら、どっちを落とす?」
簡単です。出席していない生徒を落とすのが筋でしょう。世の中には出席点というものも存在するくらいですから。すると父はこう言いました。
「それは違うな。出席しててテストができなかった学生はもう伸び代がないということだろ。出席してなかった方は、もし出席していたらテストで合格点が取れたかもしれない。だから出席してて不合格点だった方を落とす。」
この話を医局の先輩にしたことがあります。その先輩はいたく感動し、
「厳しい姿勢で学生と向き合っていて、すごいね」と言っていました。その後、たまたま実家に帰ったタイミングで、先輩が先の話で感動したことを母に話すと一蹴されました。
「あれ、たしか誰かが言ってたのをパクっただけよ。だって、ただの屁理屈やん」
なるほど、とりあえずこの話の真相は、先輩には黙っていることにしました。

ちなみに父が看護学校で講義をした時は、講義の最後に関連するビデオを流し、試験ではその感想を書いたら合格点をあげるという風にしていたらしいです。そう、実際は生徒に甘かったのです。

3:すぐにやめる

昔、「ブラックジャックによろしく」という漫画がドラマ化され、テレビで放送されていました。妻夫木聡さん演じる研修医 斎藤が、熱い気持ちで突き進み、大学と対立しながらも成長していくという内容でした。大学病院の闇を暴いた作品として、漫画の時から話題になっていました。
この時は連続ドラマが終わって、しばらく経った頃で、2時間スペシャルで単発放送されていたのを、たまたま父と見ていました。
がん治療の話で、抗がん剤推進派の医師を阿部寛さんが、抗がん剤反対で緩和推進派の医師を石橋貴明さんが演じており、研修医の斎藤くんが、その二人を巻き込みながら患者さんに携わっていくという内容でした。
ドラマが始まってすぐに、こんなシーンがありました。研修医 斎藤くんは色々な科をローテーションしてきたのですが、連続ドラマ時代にはその熱い思いゆえ、毎週毎週、色々な科の教授やら上の先生ともめていました。
この2時間スペシャルで斎藤くんは、がん治療をしている外科をローテートすることになります。その初日に斎藤くんが教授室を訪ねると、教授にガン無視されます。「君の名前はローテーションの名簿にないねー」と。本当は名簿に名前があり、「ここにあります」と斎藤くんは食い下がるのですが、ここで教授が「私は分をわきまえない人間が嫌いでね。がん細胞は早期に発見して治療しなければ、どんどん増えていきます」と切り捨てます。お前はがん細胞みたいなやつだから、心を入れ替えないと、うちの科で研修はやらせねーぞと宣告されてしまったわけです。
斎藤くんは土下座して謝り、なんとか外科をローテートさせてもらえることになったのでした。
実は私、この漫画が好きで全巻、持っています。ドラマは漫画をかなり丁寧に再現していたので、このくだりも知っていて、何とも思わず見ていました。すると父がボソッと聞いてきました。
「こんなこと言われたら、お前ならどうする?」
まあ現実にはこんなこと言う教授はいないですし、いまならパワハラでアウトでしょう。ただもし自分が斎藤くんなら、やはり研修をきちんと終わらせる必要があるわけで、そこはぐっと堪えて教授に謝罪し、研修させてもらえるようにお願いするのではないかなと思いました。「謝って、お願いするんじゃないの?」と答えた気がします。すると、また父がボソッと言いました。
「やめるな」
思わず、えっと聞き返しました。
「こんなこと言われて、そのまま働けるわけないだろう。わしなら、すぐに病院ごとやめる」
これは自分にとって斬新すぎる発想でした。なぜならその理論は、例えば学校でものすごい問題のある先生が自分の担任になったとして、その先生が気に入らないから学校をやめると言ってるのと同じだと思ったからです。なんとか我慢して最後までやるのが普通だろうと。ただ、よく考えたら父は教授が気に入らなくて、母校の医局を辞めたのでした(前の記事を参照してください)。それならこの発想も仕方ないなと思ったのでした。
しかし最近は父のような考えの人が増えているようです。堀江貴文さんはYouTubeで、「辞めたければ辞めろなよ」という話をされていたと記憶しています(というか、そもそも学校も行かなくていいし、会社なんか入るなという考え)。彼に影響を受けているわけではないのでしょうが、最近の若い人の間では、このような考えが浸透してきているような気もします。ただ大きな組織を飛び出す勇気はたしかに大事なのですが、実力がないと勝ち残れないのも事実です。と言っても、医師の世界だと大学病院から飛び出したところで、食いっぱぐれることはあまりないので、意外と父の意見は的を得ていたのかもしれません。

3 番外編: 子供の骨はやわらかい

最後に番外編で、私が幼稚園生だった時の話です。ある日の夜、私は自宅で座布団に足を引っかけて転んでしまいました。すると私の左手がありえない方向に曲がってしまったのです。母があわてて救急車を呼ぼうとしましたが、父が「子供の骨はやわらかいから、一晩様子を見よう」と言い出しました。
母はそれをガン無視して救急依頼をし、私は近くの病院に運ばれました。結果、やはり骨折していたのですが、父の医者としての威厳はこの件で大分、落ちました。
実は、この話には裏話があります。この少し前に母が一ヶ月くらい入院しており、その間、私は父と二人で過ごしていたのですが、母は私の骨が折れたのは、その二人暮らしの間に父が私にジュースばかり飲ませて骨をもろくしたためだと信じていました(正直、あまり根拠はないと思います)。またこの時に私が転んだのも父がふざけて私を追いかけていたためで、この出来事に関して母的には何から何まで父が気に入らなかったようでした。

4:最後に

どれも懐かしい思い出です。
父は、残念ながら私が医師として働き始める前に他界しました。医学生と医師では、やはり見える景色が違います。医師になった後で、父の話を聞きたかったし、父と話をしたかったのですが、いずれも叶わない夢です。
今回も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。写真は、父の好きだったヨーロッパの風景です。

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