見出し画像

母と祖母の確執と家族の歪みの話

前回の記事で

激怒された話がおそらく母親の祖母が侵入してくることに対する恐怖心だったという話を書いた。
その『母と祖母の確執』の話を書こうと思う。

元々母が嫁に来ることになったのもおそらく祖母が原因

そもそも、父はなぜ母と結婚しのかというところから、もう祖母が関わってくる。父が30代中盤、祖母が50代の時に、祖父が心筋梗塞で亡くなった。
祖父と祖母は12歳離れており、祖母はお嬢様の家の出身ではあるのだが、10代の後半に結核で相次いで両親を亡くし、女学校を卒業後、教師となり自分で稼いで妹と弟を育てた苦労人である。祖父は祖母と同じ教員で職場結婚かは知らないが、仕事がらみであったのだろう。ちなみに好きになったのは祖父だったようだ。
祖母は祖父のことを「おやじさん」と呼んでいた。祖父は家では物静かな人だったと聞くけれど、良い人だと聞くし、仲は良かったのだと思う。というか少し精神的な依存をしていた部分があったのだと思う。
そんな祖父が亡くなり、祖母は精神的に調子を崩したようだ。

私の父は教員をしていたが、あの人はASDだと思う。こだわりがつよい、ルーティーンで動く、行動を譲れない、ルーティーンが崩れると攻撃的になる、相手の気持ちや感情がわからない、聴覚過敏である、雑談できない等々、子供の頃は普通だと思ってたけれど、彼の日常はちょっと普通ではない。毎日同じ時間に同じことをする修行僧のような生活を今もしている。でも、彼にとってはそれが落ち着くらしい。
そんな父が、精神的に不安定になった祖母の面倒をみれるとは考えられない。弱者の立場に合わせた行動を取れないからである。
けれど、父は基本的に一人で生きることができない。
仕事はめちゃくちゃできる人だが、日常生活の知識や常識等はかなり欠けている。
亭主関白というか、男は外で仕事、家のことは全部女がやるという考え方を持っているという認識もなくやっている人である。

そんな父がおそらくその辺の理由もあって嫁を探したのだと思う。母とは祖父が亡くなって数年のうちに結婚している。
ちなみ、母は父の学校の生徒である。
別にそんなドラマや漫画のような教師と生徒の禁断恋愛をしたわけではなく、卒業後、母が大学の物理のわからない問題を聞きに行ってなんかそういう関係になったらしい。

母は性格や考え方は祖母と正反対だが、基本的にはとても祖母似た能力を持っている。
祖母は家庭科の先生だが、母も家庭科関係(料理、縫い物、編み物等)は抜群の腕を持つ。その辺、父は祖母に近い人を選んだなと思っている。

ただ、代わりを選んだのかと言うとそうとも言い切れず、父は母のことはとりあえず好きではある。父の意思表示が小学生並みだし、小動物のように観ているところはあるけれど、それは観ていてわかるので、都合だけで結婚したのではないとは思う。

かと言ってじゃあ父が母の味方であったかというと、母に協力的なわけではなかったようである。


母が祖母に恐怖を抱くようになった経緯

父と母は結婚すると、実家の敷地内に新居を建て、同じ敷地に祖母の家と、父と母の家がある状態となった。父は祖母の面倒をみなければいけないかったこともあり、金銭的な面もあり、そうしたのだと思う。

ちなみに、父には兄がいるが(私の叔父さん)叔父さんは祖母の干渉が嫌って北海道に逃げている。ちなみに、この叔父さん、IQがめちゃくちゃ高い天才タイプなのだけれど、(超文系なのに滑り止めで受けた医科歯科に受かって歯医者になった)社会とは父より上手くやっていけるけれど、やはり人の気持ちを察したり寄り添う能力はあまり高くない。父の家系は天才系なのだけれど、見ていて人間として凹凸があるなと思う。

結婚当時は母も看護師として病院で働いていた。
母は父と新居に住んでいたわけだけれど、ここで祖母が侵入をしてくるのである。
具体的には、朝、家の中に勝手に入ってきて、父と母が寝ていた布団を勝手にあげてしまう。
母が仕事にいっているうちに二人の衣類を洗濯したり、干してあったものを畳んで片付けたりしてしまう。
仕事に行っている間にきて勝手にやられてしまうので母はかなり気持ちが悪かったし、やり方を合わせてくれるわけでもなく、やり直さなければいけなくなったりで、迷惑であったらしい。
あとは、これは嫁姑問題でよくありそうなことであるが、お米を祖母が買っているお米屋さんで買うような流れにさせられてしまい、そのお米は鮮度が悪いし、味も不味いし、挙句の果てに虫まで沸いてることがあり、母は困って、強引にその米屋から買うことをやめたらしいが、その時も祖母に微妙な対応をされたらしい。

あと、これは兄が生まれてからの話になるが、祖母により、母は兄を連れて公園などに一切遊びに行かせてもらえなかったそうだ。母はママ友などにも出会えず、外の世界から遮断されている状態だったとも言える。そして、兄を祖母に取られそうになっていたらしい。けれど、私が生まれ、兄が幼稚園に上がらなければならなかったことで、このままではまずいと母が思い、公園行きを強行するようになったことで解消した。
ただ、母はこの時、「兄はもう祖母にあげてしまおう」と、思ったらしい。そういう発想をするのがまた母だなとも思う。
そんなこともあって、母は私に執着した部分もあると思う。(兄に対しては私ほどべったりではなかった)

この状況に対して父はどう思っていたのかと言うと、「祖母の言うとうりにやればいいのに、なんでやらないの。教えて貰えばいいじゃん」くらいの考えだったそうだ。祖母が侵入してくることに関してもなにも感じていなかったのだろう。
もちろん嫁の気持ちになってそれがどういうことでどんな気持ちになるかなんて推し量れないわけで、そういう意見になるわけなのだけれど。
母は、結婚して数年で、いつでも離婚できるように自分の貯金をためていたらしい。
けれど、兄が生まれて、私もできて。結局離婚はせず、今に至る。
私を孕っていた時はちょっと鬱っぽくなっていたらしい。

水と油の嫁姑

結局、元々祖母と父とは若干依存関係であったのだと思う。
祖母はなんでもできる人であったが、誰かの世話を焼くということがなくなってしまうと少し不安定になるところがあったのではないだろうか。
父は精神的に自立はしていなかったし、祖母も精神的に自立はしていなかったのだろう。

そこにADHDっけのあるチャキチャキ育ちの母が嫁にきて、さらにぐちゃぐちゃになったわけである。

母と祖母が合わなかった理由の一つに、元々持っている生活のベースが違うというものもあったと思う。
祖母は、当時の女子高等師範学校にもいけてたくらいの元々はお嬢様出身だ。私が知っていた祖母も、お嬢様っぽい品が漂ってたし、来客があれば花を生けたり、豆に贈り物をしたり、お手紙を書いたりと言うそう言う社交もする人だった。

かたや、母はリアル三丁目の夕日育ちである。
母は港区芝浦で生まれ育った。親が船関係の仕事をしていたため、海の近くに家があり、母の家の近所には到着した船から積荷を下ろす黒光りした人足さんたちがたくさんいたり、あのあたりは当時、各家に鍵なんてかけてなくて、近所の子供なら誰の家でもどこの家でも自由に出入りができたと母は話していた。
隣の家の犬猫が自分の家におやつをもらいにきていたとかも言っていた。
母の両親の兄弟が多く、大所帯で、たまに殴り合いの喧嘩もあったと話している。

お嬢様とそんなチャキチャキ育ちの価値観があうわけがない。
そして、お互いにお互いのことを知ろうともしないだろうし、お互いお互いが正しいと思っていただろうから溝が埋まることもない。
ただ、祖母は絶対に体裁的に表面的には仲が悪いようには見せなかったと思う。ただ、チクチクとはいろいろしていたようである。
父はどちらかというと祖母よりだったので母には味方がいなかった。

また、祖母も母が自分のイメージどうりに全く動かないので不満だっただろうし、母はこの家にいることで、自分のアイデンティティを抑圧され奪われ否定され続けているような状態だった。
私は散々母をボロクソに書いているけれど、母は当時まるで精神的に余裕がなかったのだ。(それでも私が感じた感情は存在するから書くけれど)

うちの家族はみんなどこかに依存があったし、歪みがあった。
その上、発達障害っけもあり、表面的には「お父さんも優秀で、お母さんも学校のPTAなどにもしっかり参加されてて、娘さんも運動も勉強もできて素敵な家族」ということになっていたけれど、実際の内情はぐちゃぐちゃで、信頼とか、愛情とか、人と人との支え合いとかそんなもののない、機能不全を起こしている『家族』という形の何かだった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?