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パン屋での初バイトの話

予備校に行かなくなってから4ヶ月ほどたった9月、私はついにバイトを始めることにした。

高校の時は親が禁止していたため、バイトができず、バイトをすることは憧れだった。
そして、いつか絶対やりたいと思っていたのはパン屋さんのバイト。
私は、新聞の折込の求人で出ていたパン屋さんの求人に応募した。

私はパン関係の仕事だからという理由で何も考えずに応募したのだが、
その求人は某高級スーパーのパン部門の工場でのサンドイッチの成形のバイトだった。場所は、近くにある有名デパートの地下2階。
そのデパートは子供のころからよく遊びに行っていたが、地下一階フロアの下に隠し階段で行く隠しパン工場(別に隠してはいないかもしれない)があるとは夢にも思わなかった。
面接に行くとすぐに採用になり、私はそのパン工場で働き始めた。

勤務は朝の7時から。
パン工場の近くの部屋で焼き上がったパンに具を挟んで切ったり、詰めたりしていく。ランチで買ってもらうことを想定したサンドイッチなので、10時までにトラックに詰めて出荷しなければいけない。この工場から都内3店舗へ出荷していたため、3店舗分のサンドイッチを4人で仕上げていく。
毎日時間との戦いだった。
一緒に働いていた人は、面倒見のいいKさんというベテランのおばさんと、Yさんというちょっとやかましいおばさんと、仕事を辞めてパン屋さんになるために学校にかよっていたRさんという29歳のお姉さんだった。

他にも、パン部門の社員さんが二人、同じ部屋にハム、ベーコンなどの食肉加工部門の社員さんが二人、パン工場には工場長の60歳越えのチーフをはじめたくさんの人が働いていた。皆いい人で良い職場だった。

特にKさんは本当にいい人で、サンドイッチの作り方をはじめ、色々なことを教えてくれたし、何かと世話を焼いてくれた。サンドイッチに使うパンやハム、ローストビーフなどは余るともらえたので、kさんはいつも私にたくさん持たせてくれた。また、娘さんが海外に嫁いでしまったそうで、私にもっていた着物と帯を譲ってくれたりもした。

年の近いRさんとはよく一緒にお昼を食べた。静かめだけれど綺麗なお姉さんだった。
午後はパン工場に入ってデニッシュの成形をしていた。パン工場の3歳くらい年上のお兄さんが色々教えてくれた。おかげでクロワッサンの成形ができるようになった。

あと、工場長のチーフが職人気質ではあるもののとてもいい人だった。
この人の作るパンは本当に美味しかった。
パンというのは店頭ではその日の分しか売ることができず、余ればすべて処分となる。
かといって、高級スーパーとしては、パンが売り切れで全くないという状況を作りたくないらしく、パンは常に売り切れないように作られていた。
チーフはいつも余って戻ってきたパンみてもったいないと嘆いていた。
本当にあの美味しいパンを捨ててしまうのはもったいなかった。

余ったパンは百円で好きなだけ持って帰ってよかったため、私はパン工場で働いていた数ヶ月間たらふく美味しいパンを食べた。
デニッシュも生地が余ると持って帰らせてくれたので家でよく焼いて食べた。ちょっと太った。家計がとても浮いた。

職場環境はとてもよかったが、ただ、当時私の体調がよかったかというとそうでもなかった。
週5、8時間勤務だったが、休日はは疲れてしまって、一日中寝てるような状態だった。
原因は朝が早すぎたことと、立ち仕事だったこと。あと鬱などが治っていなかったこと。
仕事をするために休日は寝込み、平日は1日仕事、仕事と布団の中の往復のような生活をしていた。平日の仕事終わりや休日にどこかに遊びにいくということをほぼなかった。

給料は時給740円くらいだったと思う。
月で8万円くらいだった。そのうちの5万円を貯金に回していた。
当時私はお金の使い方がよくわかっていなかった。
自分の稼いだお金で自分の好きなものを買ってもいいという感覚もあまりなかった。
そんな私がパン工場時代に唯一贅沢として買ったのがバムセという「ロッタちゃんと赤い自転車」という映画に出てくる巨大なブタのぬいぐるみだった。確か一万円くらいした。
初めて自分の稼いだお金でかった自分の欲しいものだった。

このパン工場、とても良い職場だったが、半年ほど働いたところで、私はお日様が恋しくなった。なんせ朝の7時から夕方4時まで一日中日の当たらない地下にいるのだ。あと、接客のような華やかな仕事もしてみたくなった。
なので、次の年の3月でパン工場の仕事は辞めることにした。

この職場では本当に可愛がってもらったと思う。
一流の美味しいパンと美味しいハムやベーコン、ローストビーフをたくさんいただいた。あんなに美味しいローストビーフを山のように食べれる日はこの先の人生でもうくることはないだろう。

可愛がってくれたKさんをはじめ一緒にサンドイッチを作ったYさんRさん、そして社員さん達、チーフ、パン工場の人たち、皆さんにお礼を言いたい。
本当にありがとうございました。
今振り返ってもとても良い職場だったと思う。




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