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戦国武将に学ぶ!No.2~竹中半兵衛①~


”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。


私は日ごろより周りの方々から
 ”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ


ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。





驚きの理由で君主を城から追い出した軍師!





『一番好きな軍師は誰ですか?』

とよく聞かれます。


歴史上の人物の中で広く知られる
有名な軍師といえば…おそらく黒田官兵衛。
もちろん、とても好きな軍師のひとりです。
しかし、私はどちらかというと、
黒田官兵衛と同時代に生きた軍師…


竹中半兵衛が好きです!


竹中半兵衛のエピソードはいくつかありますが、
中でも好きなものをひとつ、ご紹介します。



* * * * * * *



斎藤龍興(さいとうたつおき)
稲葉山城(岐阜城)の当主だったころ。
竹中半兵衛は軍師として仕えていました。

しかし…
斎藤龍興は政治に興味がなく、
あまり良い当主とは言えませんでした。


当主の行いに目を瞑ってきた竹中半兵衛でしたが、
ついに稲葉山城を制圧し、君主を追い出します。


一国を治める大名が、家臣の手によって
一日で落城したことは当然、
大きなニュースになりました。


しかも、険しい山上に位置したために
難攻不落と称された稲葉山城です。


これを聞き及んだ織田信長は、
竹中半兵衛に『城を渡せ』
と迫ります。



しかし…



竹中半兵衛はなんと、
『当主が反省すれば、城は返すつもりだ』
と言って、織田信長の申し入れを断ります!!

竹中半兵衛は、当主を反省させる目的で
城を襲撃し、追い出した。
そして当主である斎藤龍興が改心すれば
城を返すつもりだと、堂々と公言したのです!


実際、稲葉山城の制圧から一年ほどで、
城を返還しています。



なかなかできない『逆命利君』を地で行った人物




このエピソードが物語るのは、
竹中半兵衛の中にあった
『逆命利君(ぎゃくめいりくん)』
という考え方です。


これは、中国の古典【説苑(ぜいえん)】に
出てくる言葉のひとつで、
『逆命利君、謂之忠』を略した言葉。


『たとえ主君や国家の命令に逆らっても、
正しいと思うことを進言することが、
本当の忠義である』
という意味です。


相手がどれだけ忠誠を誓った
素晴らしい主君であっても、
国家のためにならないことをするなら
命令に逆らってでも、駄目なものは
駄目だと言わなければならない。
これが真の忠義である。

と、説いています。


現代風に言い換えると、
社長の判断や行動が間違っていたら、
部下は言いなりになるのではなく、
いけないことに対してきちんと物申す、
という意味合いです。


私は、経営者の想いを実現する、
成功に導くためのお手伝いをさせて
いただいています。


その中で、決して楯突くわけではなく
より良い発展のために、
たとえ相手がお客様であっても、
物申さねばならない場面があります。
そんなとき、


『社長に物申さねばならないときは、
嫌われてもいいから、命を懸けてでも物申す。』



と覚悟を持ってご提案させていただいています。


まさに竹中半兵衛のこのエピソード、
『逆命利君』から教わったことです。
逆らえば本当に切られるかもしれないこの時代に、
『逆命利君』を地で行った竹中半兵衛は
本当に偉大な人物だったと思います。


noteをはじめたときの記事に、
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
という言葉を大切にしています、と書きました。


”軍師” としてお客様に仕える私は、
おかしいと思ったときには、
『それは間違っています』と
覚悟を持ってお伝えし、行動する勇気を、
竹中半兵衛から教わりました。


間違っていることに対して、
『間違っている』と言える勇気は、
誰しも必要だと思います。


逆命利君。
ぜひ参考にしていただきたい、
名軍師からの教えです!




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